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32年のブランクから第二のピアノ人生へ

私は32年のブランクの後にピアノを4年前に再開した。32年もの間、ピアノに一切触れることなく、ピアノ愛に無理やり蓋をしていた。だから、忘れもしない4年前の12月、友人の一言で蓋が外れた後は、びっくり箱のようにピアノ愛が飛び出して止まらなくなってしまった。ちょうどそのしばらく前から、本当はもう一度ピアノを弾きたいと思っている自分の気持ちを無視できなくなっていて、電子ピアノを物色していたのだった。

ピアノの発表会に出たという友人に、そもそもこの年齢になってピアノの発表会にでたことにも興味があって、いったい何を弾いたのか問うたところ「バラード1番」の答え。この一言で、32年前にこの曲を譜読みの途中であったことを「あっ、しまった」とばかりに思い出して、やりかけの宿題を家に忘れてきた子供のように、翌日には慌てて実家に行き、姪っ子のもとに一時避難していて奇跡的に一掃処分の難を逃れたショパン・バラード集をもって帰ってきた。ここから私の第二のピアノ人生が始まった。

ピアノをやめてしまった直接の原因は、音大進学を諦めたら気が抜けたとか遅咲きの女子大生デビューが楽しすぎたとか、些細な理由だけれど、32年ものブランクの理由を一言でいうと、「現実逃避」。ピアノが好きすぎてあまりに下手な自分の音を聴くのが辛かったからだ。なぜか17歳のころから左手が痺れだして、次第にひもを結んだりほどいたりも難しくなり、指の位置感覚もいまひとつで5本指の手袋に指を1本ずつ入れることもスムーズにできなくなってしまった。そんな状態でピアノがまともに弾けるわけがなく、他にさしたる取り柄もない私には、ピアノは唯一の拠り所だったので、その面影すら消えているのを目の当たりにする勇気がなくピアノから逃げていた。

そんな訳で32年の月日が流れてしまったのだが、環境の変化やら音楽に触れる機会が増えたことやらで、もう一度ピアノが弾きたくなっていたところ、前出の友人の一言もあってピアノを再開した。32年も弾きたい気持ちを熟成させていたせいか、第二のピアノ人生はかなり色濃いものになっていった。そして、何より奇跡的な仲間との出会いでどんどん音楽の幅が広がっていき、現在、想像もしなかったようなピアノライフを送っているのだ。

しかし、これは「楽しい」「感動する」といったポジティブな面だけでなく、「苦しい」「情けない」といったネガティブな感情とも向き合わざるを得ない、言ってみれば人生そのものだ。でも、これって結構おもしろいのじゃないかと思っている。



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