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例えば私が娘に残したい世界のこと

カジュアルにnoteが書きたいなと思い始めて数千年が過ぎましたので、ちゃんとやろうと思い、この数年で考えてきた今後の話をいくつかに分けてやってみようと思います

大テーマは、私が何をしたくて働いてるのか

それですらブレていい前提で書き始めますw 今回は家族をテーマにやってみよかなーと思っています。

カジュアルな絶望

生まれて、なにかして、死んでいくみたいなおっきな流れがあって、その中で成し遂げられる事って大きくないなとよく絶望します。見る人が見れば幸福な人生を辿ってきましたが、もちろん色んな悩みはあるし、絶望してしまうのは仕方がない。

大小あれど、みんな先が見えない中で選択をして生きているので、「絶望」って割とカジュアルに来ると思うんですよね。きっかけもそれぞれで。僕は今ミラティブという会社で働いていて、優秀で最高なメンバーと働けて楽しくて仕方ないのですけど、それはそれで絶望することも多かったりします(これはまた今度)。

何を支えとするのか、さらけ出す世界がくる

それぞれに絶望を抱える中で、何によって解消されるかも多様化してると思います。中には他人の不幸で幸せになる人もいるでしょう、良い悪いは置いておいても。

SNS以降加速してきた個人の透明化をきっかけに、何がその人の支えなのかも透けて見えるようになりました。好きなもので繋がる事のできる世界は、弱点をさらけ出す事ともニアリーイコールで、だからこそ人はわかりあえるのでは、と。
僕はゲームとコーヒーとインコを取り上げられれば犯人を許さないでしょうし、子供に関して言えば何をするかわからないですね。

変わらないパーソナリティと変わる情報のありか

でも、個人の好きなものなどは、情報社会以前からあったもので。それが情報として回るようになったことこそが前述した変化です。

情報化された事で置き場所が増えた以上に、ITは価値を生み出していると思っています。「好きなことで繋がれる」以上に価値があると思っているのが、「好きなことには、同じように好きなひとがいる」という希望的観測です。

娘に残したいのは「あきらめなくていい世界」

鬱、自殺、孤独死。わかりあえない事以上に、「わかりあえるハズがない」という絶望は毒です。いじめられた経験のある方は、あの気持ちを思い出してみてもらえると、何となくわかってもらえるかなと思います。

少し飛躍します。社会で起きる不幸な、物理的社会的に訪れる死に、すべてセーフティネットを設けるのは現実的ではないと思っています。であれば、せめて娘には、あきらめなくていい世界を残せたら、その一助になれたらなと思って働いていますし、娘に接しています。

終わりに

書いてみるとなかなか、はじめからディープなやつになってしまいましたがw お子様をお持ちだったり、大切な方を思い浮かべていただける方なら分かっていただけるところもあるのかなと思っています。

明日も、「あーーーあんなこと書いたけど、何にもインパクト出せてないつっっっらい」と思いながら、あきらめずにやっていきたいと思います

サポート頂いたら僕のダイエットを妨害出来ます。ぜひ。(?) あと、出来る範囲でお返ししに行きます