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映画『この世界の片隅に』片渕須直監督×細馬宏通さん対談@出町座2018

出町座より、みなさまへ

こちらの対談は出町座がオープンしたばかりの2018年1月20日に行われました。https://demachiza.com/event/481

その後も、出町座は日々さまざまな映画を上映し、ゲストのご来場やイベントにも恵まれ、多くのお客さまにお越し頂いておりました。オープンから3年目となる2020年1月からは『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の上映もはじまり、本作についてのイベントもいろいろと実施、計画をしていきました。4/4には片渕監督と細馬さんの三度目の対談が京都で催される予定でした。168分という長尺となった『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』と同じくらいの時間を、おふたりに大いに語って頂ける時を心待ちにしていたのですが、周知の通り、新型コロナウィルスの感染拡大状況により中止・延期となりました。出町座も4/18より休業に入り、5/22にようやく上映再開となるものの、事態そのものの終息はいまだ見通しが立たない状態です。

そんな中、思い立ってこのオープン時のトークを記事にしようと考えました。片渕監督と細馬さんの対談をもう一度実現させるそのために、こちらを多くのみなさまと共有しておくことは大事だと思いました。様々な方のお力をお借りし、なんとか仕上がりましたので、こちらに掲載させて頂きます。
なお、片渕監督と細馬さんの1回目の対談は、立誠シネマで2017年1月28日に行われ(http://risseicinema.com/archives/19652)、それは再録原稿となって細馬さんの著書『二つの「この世界の片隅に」-マンガ、アニメーションの声と動作-』(青土社)に収録されております。

出町座でも5/22から再び『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』をスクリーンに映し出します。そしてまた、この状況がおさまったら、おふたりが京都で三度相まみえる日が来ることを切に願っています。今はそのプロローグとして、こちらをぜひお読みください。そしてソフトや配信の形で、みなさんのご自宅で『この世界の片隅に』をご覧いただく一助にもなればと思います。

みなさまとも、またお会いできることを願って__

プロフィール

片渕須直(かたぶち・すなお)
1960年大阪府枚方市生れ。日本大学芸術学部映画学科卒。アニメーション映画監督。在学中に、のちに『風の谷のナウシカ』の併映作品として公開されることになる『名探偵ホームズ/青い紅玉の巻』『同/海底の財宝の巻』の脚本を書く。大学三年の秋から演出助手・脚本としてテレコム・アニメーションフィルムに通うことに。『魔女の宅急便』の監督予定だったが、最終的に宮崎駿が監督となり、演出補となる。監督デビュー作は『名犬ラッシー』(「世界名作劇場」)。その他の主な監督作品に『BLACK LAGOON』、劇場公開作品に『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が2019年12月公開。

細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年、兵庫県生まれ。早稲田大学文学学術院教授・滋賀県立大学名誉教授。日常会話における身体動作の研究を行うかたわら、マンガ、アニメーションなど19世紀以降の視聴覚文化にも関心を寄せている。著書に『二つの「この世界の片隅に」』(青土社)、『ELAN入門』(ひつじ書房)、『介護するからだ』(医学書院)、『うたのしくみ』(ぴあ)、『ミッキーはなぜ口笛を吹くか』(新潮選書)、『今日の「あまちゃん」から』(河出書房新社)、『絵はがきの時代』『浅草十二階』(ともに青土社)、『絵はがきのなかの彦根』など。近刊に『いだてん噺』(河出書房新社)。

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細馬宏通(以下:細馬):
本日はどうぞよろしくお願いします。片渕監督と立誠シネマでトークイベントをやらせていただいたのが、ちょうど1年前(2017年)の1月でしたね。

片渕須直(以下:片渕):
そうでしたか。一昨年から去年にかけての記憶があまりなくて……(笑)

細馬:
監督ご自身もツイートされていますが、ずっと誰かがどこかで舞台挨拶をやっていましたよね。さすがに365日ということはないですけれど。

片渕:
舞台挨拶だけだったら153回くらいですね。

細馬:
でも、153回って尋常じゃないですよ。全部東京だったらいいですけど。

片渕:
海外がカウントに入ってないらしいんですよ。あとトークイベントも入っていないので、そういうのを含めるとどうなるのか。実は細馬さんとは、このあいだの日本心理学会のシンポジウム(日本心理学会第81回大会@久留米大学2017年9月20日の片渕監督プレゼンテーション)でお会いしているんですよね。

細馬:
そうなんですよ。その時は心理学者として学会に行っていたんです。そしたら、「あれ、片渕監督だ?」って。それで質問なんかしたりして。

片渕:
そうそう。「じゃあ、どなたか質問を」って言って手を挙げた方が細馬さんだったんですよ(笑)そのとき題材にしていたのが、『この世界の片隅に』のすずさんが風呂敷包みを背負うカットで、「あれがどういう効果があるのか、どうやったらああいう動きの印象が作れるのか」という質問でした。

細馬:
去年の1月の段階では、DVDでは観ていなかったので、一体どうなっているんだろうと思っていたんですけれども。動画が配信されるようになって僕が最初にやったのがプログラミングすることでしたね。

片渕:
どういうことですか?

細馬:
配信動画って普通はコマ送りを自動ではできないんです。でも頑張ればできるんですよ、合法的に(笑)「何秒何から何秒何までをコマ送り」っていうプログラミングをまずしました。それを使って風呂敷のところが始まりから終わりまで何コマなのかを割り出して、ナンバーを振って。1番から77番まであるんですけど、それを全部見ていきました。「ここ3コマ打ちから2コマ打ち!」で大興奮みたいな(笑)そんなことをたしか5月くらいにやっていました。
 ところで、この1年は激動の年でしたね。

片渕:
この1年はあちこちに出て行きました。何もない日常に特別な事があるとすごく印象に残るんですが、特別な事しかない1年って、何を覚えていいのかわからなくなっちゃうんですよね。

細馬:
行く先々、全然違う土地ですもんね。

片渕:
この間ひどかったのが、前日、岩手県釜石市にいて、翌日パリに行くっていう。

細馬:
すごい(笑)釜石からパリへの直行便なんてないですよね。

片渕:
ないですよ。だから、釜石までフランス行きの1週間分の荷物を引っ張っていって、そこから羽田まで帰ってきてホテルで寝てパリに行く、というようなことをやってましたね。

細馬:
考えてみると、去年立誠シネマでトークイベントをやった時は、畳敷きの空間に200人くらいのお客さんが入って、それはそれですごかったですけれど、でもその後1年間ずっと公開し続けるとは思ってなかったです。そういう未来は予想してなかった。気が付いたら連続上映日数が365日を超えていてるんですよね。

片渕:
そうです。365日くらいまでは僕もすごく意識していたんですが、365日を超えるとわからなくなってきますね。電車ならどこかで駅にたどり着くじゃないですか。でも、どこが駅だかわからずに、ただずっと、どこまでも走っていくという感じです。

細馬:
呉線でいうと坂とか小屋浦あたりでそろそろ記憶がおぼろになっていくみたいな感じですね。

片渕:
なのでとりあえず『タイタニック』っていう駅を作ったんです(笑)一つの劇場というわけではないんですが、広島の序破急さんという会社が経営するサロンシネマと八丁座という道路を挟んで向かい同士の劇場で、435日間ずっと上映していただいています。この間行ったときに「もうちょっとしたら『タイタニック』の連続上映日数を超えるんですけど」って言ったら、社長さんの眼がギラーンって光って(笑)で、『タイタニック』を超えたところで終わりにしようということになりました。

細馬:
タイタニック駅か。

片渕:
その次は『ベン・ハー』駅なんですけどね(笑)

細馬:
今日はスクリーンで観たんですけど、出町座のスクリーンの広さがちょうど冒頭のバケモノの籠のサイズに見えるんですよ。僕は一番うしろの席から観ていたんですが、すずがいるでしょ、で周作がいるでしょ、であの暗がりのこっち側にお客さんの頭がみんな見えているんですよ。「わあ、みんないる。籠の中!」みたいな感じでね(笑)これが、100席とか200席だと「ちょっと籠にしては違うね」ってなるんだけど、50人弱だと「みんな、籠の中でこれから暮らそう」みたいな感じがして。

片渕:
20席のCINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)は、みんなで防空壕入ってる感じですよ。ちょうどそういうサイズ感。そういう意味で言うと、スクリーンが間近に観られる方が実はこの映画には向いているような気がしますね。

細馬:
ところで今急に思い出したんですけど、崖に座ってるときにタンポポが飛んでますでしょう。あそこってすごいパースペクティブが効いてる絵なんですけど、タンポポの綿毛だけすごいクリアに舞っている。あれは何か狙いがあるんですか? タンポポの綿毛をどういう大きさにするのかという問題。

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片渕:問題ということで言うならば、一番問題なのは、そもそも絵コンテを描くじゃないですか。絵コンテってこれくらい(数センチ四方の四角を示し)の大きさに描くんですよ。これくらいの大きさに、大きいスクリーンのものって描けないんですよね。パースが違って見えちゃうんですよ。で、もうひとつ問題があって、絵コンテに関しては、うちの浦谷千恵(『この世界の片隅に』では演出補、画面構成を担当)に絵を描いてもらってるんですけど、浦谷はそのあと画面構成といって、レイアウト調節をやることになるので、その時点で決め込んでもらうのがいいだろうと思って、その下に注文を書いてもらったんですが、浦谷は僕と同い年なんで、眼鏡かけないと見えないんですよね(笑)。ということは、描く物のサイズを大きく描いちゃうんですよ。

細馬:
なるほど。自分で見えるように。

片渕:
「このくらいの大きさのレイアウトだよ」っていうのを、最終的に作画するときはだいたいA4判くらいの大きさの紙に拡大して描くんですけど、A4判にそれを直接拡大すると、すずさんが画面の中でものすごい大きくなっちゃうんですよ。なので、それをある程度拡大して、さらに回りに余白をつけるという形でレイアウトするようにしているんですね。A4判くらいに描いたものがまた拡大されて画面になるというのを予想して描くのは結構難しいんですよ。最終的には、全部仕上がった背景や上に乗っかるセルとかの素材を組み合わせた段階で、僕がモニターでチェックするんです。

細馬:
そのモニターってどれくらいの大きさですか?

片渕:
『マイマイ新子と千年の魔法』の時は14〜15インチのモニターだったんですよ。それを映画館のスクリーンだと思うと、モニター画面から20cmの距離で観なきゃいけなかったんですよね。

細馬:
近い距離で無理やり大きくして。

片渕:
で、20cmの距離で全カットをチェックしてて。

細馬:
それはきついなあ。

片渕:
非常に目に良くない。『この世界の片隅に』では、最終チェック用のマスターモニターにはちょっと大きなものを用意することができたんですけど、それでも限界はありますね。そういう中で、タンポポはA4判で描いたところで一回設計をやって、必要に応じて、「やっぱりのせてみたら大きく見えすぎるね」とか調整をしていました。タンポポがワーって飛んでるのって、どうやって飛ばしてると思います?普通にアニメーションで原画描くのと同じように、タンポポの一個一個の軌道も描いてるんです。

細馬:
全部別?

片渕:
ですね。

細馬:
ええーっ!

片渕:
コンピューターに任せて軌道を機械に作らせるような方法もあるんでしょうけど、そういうのはなしでやりました。だから、こういう見え方をしているっていうのは絵として描いた時の見え方だと思ってもらうと良いんですよね。

細馬:
軌道もですけど、速度みたいなのもあるじゃないですか。タンポポらしい速度というか。

片渕:
そうそう。例えば、すずさんらしい風呂敷の背負い方というのをアニメーターが作ってるんですが、それと同じようにアニメーター達がタンポポの綿毛も作ってるわけです。

細馬:
たぶんその軌道というのも、おそらく全部二次元軌道でやると、ぺたーっとするだけになってしまいますよね。タンポポが空間を漂ってる感じにしようと思うと、二次元の線だけど、ちょっとこっちに出てきたりとか、向こうに引っ込んだりみたいなことをしないといけないんですかね。

片渕:
でもね、それあんまりやってないんですよ。

細馬:
やってないんですか?

片渕:
ええ。だから、ばれないようにっていうかね(笑)、気にならないように、立体的にいろんなサイズのものを飛ばしてはいるんです。

細馬:
じゃあスピードの違うタンポポがいるんですね。

片渕:
そうそう。写真で撮って見える世界と絵で描いて見える世界とは、ちょっと違うわけですね。例えばパースの取り方にしても、写真で撮ったら実はあっちにもこっちにも消失点あったりするけれど、絵で描くと一個しかなかったりするじゃないですか。写真撮ってそのままレイアウトにすると、おっしゃるように奥行きとかの深度がものすごくきちんと作れたりするんですけれども、我々はそういうところじゃなくて、絵で描いた世界をつくりたい。人が知覚する空間って、そもそもカメラ的リアルとはちょっと違うみたいなんです。絵に描くっていうのは、人が感じたものの方を画面にすることで。

細馬:
で、もっとタンポポが動くところもありますよね。二人が、畑の縁からワーって足滑らして落ちた時に、崖の下から……

片渕:
そうそう、水柱みたいな……

細馬:
そう、タンポポ柱みたいなものが出てくる。あれがちょっと小さいんですよ。そこで遠近のレイヤーが出たりとか。

片渕:
あれだけはね、本当に手で描いているんですよ。手でというか、アニメーターの描く絵として作画で動かしてるんですよ。他のは軌道だけつけてるんですけど。実は、タンポポは2種類しか作ってないんですよ。

細馬:
気が付かなかった。

片渕:
その2種類を作って、それを「こういう軌道で飛ばしましょうね」っていう3コマずつの軌道を作って、そこに当てはめて撮影してもらってるんですね。だから描いているのはタンポポがふらふらしながら回転している2パターンだけなんですよ。タンポポ自体は全部で20枚も描いていないんです。でも、そのなかで、バーンって落っこって、そこからフワって水柱みたいになるところ、そこだけはいちいち全部描いてるんですよ。

細馬:
じゃあ、あそこの作画する人は相当「キーッ」ってなったでしょうね。しかもスクリーンで観ても、本当に小さいタンポポなんで、その小さい絵であれを実現しようと思ったらものすごい先の細い線でやらないといけないですよね。

片渕:
そう、で、あのタンポポの綿毛のほかにも同じようなことをやっているのは、カモメなんですけど、カモメもある程度はじめに作っておいたものです。あ、『マイマイ新子と千年の魔法』の時は『BLACK LAGOON』のカモメを使っているんですよ(笑)

細馬:
それは誰も気がついていないかもしれない(笑)

片渕:
『この世界の片隅に』と並行して青木俊直さんと作っていた『これから先、何度あなたと。』というミュージックビデオがあるんですが、あらかじめ「これはそのあと『この世界の片隅に』にそのまま使うカモメだから」ということでカモメいっぱい散りばめているんですよ。


細馬:ああ、それは気づかなかった。

片渕:
こうの史代さんの漫画は、コマの余白みたいなところに必ず鳥が飛んでるんですよね。余白を埋めるために鳥というものが存在しているんだ、みたいに。なので「いつでもここへ鳥を足せる」という素材を作っておいて、作画をやって、色を塗ってもらって、それを最後に1セットにまとめて、撮影に送り込む最後のところを僕がやって、その時に、「あ、ここに鳥を足しちゃおう、タンポポ足しちゃおう」とかっていうのをやってるんですね。

細馬:
スズメもけっこういますよね。「ストックスズメ」みたいなのがいるんですか?

片渕:
けっこういますね(笑)びっくりするくらいあちこちにスズメを登場させられるし、カモメも登場させられる。

細馬:
ストックスズメなのかはわかりませんが、僕がこの作品を最初に観た時に衝撃を受けたシーンがあります。オープニングで、すずが中島本町でぼーっと佇んでいたところからカメラがぐーっと上にあがっていくじゃないですか。あがっていくと途中で電線にスズメが止まっていて、それを、カメラが通過するんで、その段階では「自分が動いているのを今見ているよね」って思いながら観てるんです。で、しばらく観てたら、スズメが横切るんですよ。さっきまで、カメラが上昇してると思っていたけれど、スズメが真横に過ぎる。カメラが動いていたらスズメが斜めによぎるはずですよね、真横に過ぎるっていうことは、「これ、カメラ止まってんじゃん」と。ということは、動いているのは自分ではなくて、雲の方ではないか。いつのまにか「動いているのがどこかでカメラから雲にすり替わった」と思わされるんですよね。それで僕らはガーンと思うんですけど、今日これぐらいのスクリーンサイズだとそれがかなり来ました。

片渕:
実はオープニングはわりと最後のほうに作ってるんですよ。『この世界の片隅に』の主題歌にコトリンゴさんの「悲しくてやりきれない」を使いたいっていう気持ちもあったんですけど、「悲しくてやりきれない」っていう意味の曲をエンディングに使いたくないという気持ちもあったんです。この曲を使いたいと思ったのは2010年の8月くらいなんですよ。今からもう7,8年前ですね。

細馬:
それはコトリンゴさんバージョンですか?

片渕:
そうです。コトリンゴさんから「今度CD出すんで聴いてください」って、リリース前のサンプル版を頂いて、聴いてみたら「悲しくてやりきれない」が入っていたんです。ちょうど『この世界の片隅に』をやろうと思って心を決めたときだったんで、「これはまさにそういう曲なんだな」と。
ただそれを、最終的に使えるかどうかわからないまま絵コンテを作ってたんです。つまり、オープニングがない絵コンテを。主題歌としてエンディングに入れる場合、エンディングクレジットは別に作るものだからいくらでも入るんですが、でもそれは違うんじゃないかなと思ったんですね。一方で、映画として映画館にかけたりすることを考えたら、「120分で作りなさい」という大人の事情的なこともありまして。でも、いろいろ聞いてみたら、120分というのは本編の尺で、オープニングクレジットとエンディングクレジットはそこに含まれないとうことが分かったんです。で、「オープニングクレジットを足していいなら足そう」ということで、子供の頃のすずさんが大正屋呉服店のショーウィンドウの前で佇んでるカットがもともと1カットだったのを二つに割って、上に上がっていくカメラのカットを足したんですよね。で、終わりの方には、エンディングクレジットを二つ入れちゃって(笑)全部で120分のはずの映画が129分になりました。
もともとオープニングが無かったところにオープニングを入れるということで、どうなるかわからないけど、とにかく曲に合わせて組み立てて行こうと。そのための素材を自分達で用意しといて、それを野村建太(『この世界の片隅に』では特殊作画、演出補を担当)というのに頼んで作っていきました。

細馬:
途中でシネカリ風のシーンが出てきますが、そういうところも手掛けた方ですよね。

片渕:
そうです。彼は『マイマイ新子と千年の魔法』の時に子供がクレヨンで描いた絵がそのまま動くのをやってくれって言ったら、すごく上手にやってくれて。その彼に、いろんな素材をあげるから、それで組み立ててちょうだいと言ったんですね。曲が長いといろんなことをやらなくちゃいけないから、例えば空が曇って夜空になって、明けて、くらいのところまで一応素材は作ってあったんですが、「そんなにいらないな」っていうことになって、ただカメラが上がっていって、白い雲が見えてっていうところでとりあえず形にしたんですよ。

細馬:
そのときは、まだ「悲しくてやりきれない」が使えるかどうかわからなかったんですか?

片渕:
いや、その時はもう決まってたんですけど、この曲に対して、そのバックに来る画面にどれくらいの色(ニュアンス)を付けてあげたらいいのかわからない状況だったんですよ。でもいろんなことをあまりやらなくても、この曲に合った画面が作れるなってことで、無理するのをやめてしまったんですよね。

細馬:
でもあれは、結構実験的なオープニングだと思いますよ。あと、僕は本にも書いたんですけど、「悲しくてやりきれない」っていう歌自体が、メロディもそうなんですけど、河を遡るイメージで作られてる曲ですよね。もともと「悲しくてやりきれない」という曲は「イムジン河」という曲がとある事情で発売中止になった時に、加藤和彦さんがどうしようって言って作った作品なんですよね。それで河を遡るイメージっていうのを僕は本に書きました(『二つの「この世界の片隅に」 マンガ、アニメーションの声と動作』青土社刊)。
今日改めて作品を観て、「あれ?」って思ったのは、終盤に「みぎてのうた」が流れてくるんですけども、「みぎてのうた」って原作では、最後に出会う子供がいますけども、あの子が出てくるところから始まりますよね。

片渕:
いなくなっちゃったはずのすずさんの右手が絵を描き始めて、その中で女の子の絵を描いていてそれが動き出すっていう感じですよね。

細馬:
ところが、アニメーション版では、終盤すずが江波から広島、中島本町かな、そちらに向かうときに砂利船のようなものに乗りますよね。そこにほっかむりした船頭さんがいるんです。もしかするとオープニングですずが乗っていた船と同じ船頭さんかなって思うような人がいて、そこで「みぎてのうた」が流れ始める。あ、また河を遡るよ、と。コトリンゴさんの曲は、あそこと「隣組」と「悲しくてやりきれない」の三箇所で、だから、限られた場所でしかコトリンゴさんの歌声って出てこないんですよ。で、「みぎてのうた」でまた彼女の声が出てきた。そこでも遡るなあと思ったんですね。そのあたりの音楽のディレクションっていうのはどこまで監督がやられたんですか?

片渕:
すずさんが失くしたはずの右手は、すずさんの心の中のイメージを実現してくれる、あるいは形にしてくれる存在なんですね。で、それをすずさん自身に語ってるのが実はあの「みぎてのうた」の歌詞なんですよね。原作では「しあわせの手紙」って書いてある。
 2010年の8月ぐらいに『この世界の片隅に』をやろうと思った時に、右手がすずさんに向かって語りかけるなら、「右手」っていうキャスティングをしないといけないんじゃないかって思ったんです。じゃあ右手の声は誰が演じるのか。すずさんが演じてもいいんだけど、すずさんが演じたら区別つかないですよね。色々考えてる時に、さっきの話になりますが、コトリンゴさんからアルバムのサンプルをいただいた直後だったので、コトリンゴさんに歌ってもらうっていうのもアリなのかなって思ったんですよ。だからのんちゃんをキャスティングするずっと前に、コトリンゴさんがもうすずさんの右手として自分の中でキャスティングされているような状態だったんです。
 すずさんが失ったはずの右手が、空想の世界なのかどこの世界なのかわかんないけど、そこで絵を描き始めた時に、すずさんのある種のイマジネーションの世界、あるいはそれだけではない、普段すずさんが心のなかに抱えているけど言葉では表せなかったような複雑な概念みたいなものが、「しあわせの手紙」っていうものになって聞こえてくるんだとしたら、どこで手が出現して絵を描き始めるのがいいんだろうか。それを原作よりも少し早いところに持ってきてるんですね。すみちゃんと一緒に寝てて、お兄ちゃんの南洋でのその後の姿を、心の中の右手が描き始めてるんですね。そこからの繋がりで「みぎてのうた」が聞こえてくるようにしたわけなんですよ。すでにすずさん自身の中にそういう状態がもうできている。だから、ここからやり始めて良いんだなと。

細馬:
おもしろいですね。というのも原作では、右手は声として早くから出てくるんだけど、右手自身がああやって最後の「しあわせの手紙」でペラペラ、ペラペラというか文字で喋りだすことってないんですよね。だからその、右手の声っていうものを考えたのはアニメーションの発明だと思う。

片渕:
でもあれ、原作も最後まで読むと、「しあわせの手紙」って語り始める、それは誰に向かって語ってるのかなと思ったら、右手がすずさんに向かって語ってて、最後の方で女の子がノミやシラミだらけでみんな痒くなっちゃった時に、その失くなったはずの右手がね、もう掻いてあげられないって言ってるんですよ。

細馬:
そうですね。

片渕:
そこまで読んでみて、今まで読んできてブツブツ書いてあったこの詩、ポエムみたいなものが、実は右手がすずさんに向かって語っていたことだったんだなって。自分の方だけ先にあの世に、どこだかわかんないとこに行っちゃって、そこから人生ってそんなもんなんだよって達観したようなことを言ってるんだなって事がわかったわけなんですよね。だとしたら、それで良いのかなと思って。

細馬:
ああ、なるほどね。ということは「悲しくてやりきれない」の、あの冒頭の声、まあ僕らはコトリンゴさんが歌ってるって理屈でも解釈できますけども、想像をたくましくしてしまうと、あの声ってもしかして右手さん?

片渕:
そうなんですよ。だからあのシーンですずさんは迷子になったはずなのに、顔を見るとうっすら微笑んでるんです。原作が既にそうだったんですよね。もうなんか、どうしていいか分からないっていう風情で佇んでいながら口でだけ微笑んでる。

細馬:
そうですね。

片渕:
つまりね、すずさんっていうのは「ウチはぼーっとしているから」とかいろんな事を言っていますよね。「自分には語るべき言葉なんてないんだ」って自分では意識してるように生きているんだけど、彼女の心の底にはおそらく彼女自身が気づいていない床下があって、そこにはいろんな言葉が詰まってると思うんですよ。
 のんちゃんがすずさんの役作りについて質問してきた時に僕は同じようなことを答えたんです。すずさんはそういう人だから。床下にあるすずさんの言葉が、ひょっとしたら本音なのかもしれなくてね。口元は笑っているんだけど、明らかにこの人は、そうじゃない。「みんなは可愛いスカート履いてるけど私はこんな古ぼけた着物の服装でもよいのよ、それが私なんだから」って思ってるすずさんがいながら、心のもっと奥のところでもっといろんなことをね、そうでしかない自分に対する悲しみとか、いろんなもの抱えて生きてんじゃないのかなって思ったんですね。戦争だから「悲しくてやりきれない」んじゃなくて、そもそもこういう自分だから「悲しくてやりきれない」っていうことなんじゃないのかなと思ってたんですね。

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細馬:右手が無意識のうちにあそこで分泌しちゃったんだ。本当はあの状況で微笑みっていうのはまず出るはずがない表情なんだけど、それがなんかこう、鼻から上は悲しそうなのに、口だけこうひゅっと上がって、漏れちゃったって感じですね。

片渕:
そうそう。

細馬:
右手が漏れてるのかもしれないですね。

片渕:
逆に言うと微笑んでいない部分がね。微笑んでる所はまあ、迷子になっちゃったのが自分だから仕方ないかって言って微笑んでるんだけど、「仕方ないってなんなんだよ」って思ってるのがその心の床下だと思ってて。「悲しくてやりきれない」っていう歌詞は河を遡るイメージって言われましたけどもね、歌詞を読んでみると空への距離感をものすごく感じてる曲でもあるんですよ。「白い雲は 流れ流れて」って、流れていくその白い雲に手が届かないんだ、とかね。あと「胸にしみる 空のかがやき」って、空は輝いてるんだけど、私はそれを胸で受け止めるしかないんだ、と空への距離感を描いてるんだろうというふうに思ってるんです。だからこそすずさんは自分を地面から一歩も離れられない存在だと感じているということなんじゃないかなと。

細馬:
そう考えると波のうさぎの絵もそうですし、畑にいて爆撃にあってるのにふと、ここに絵の具があったらなあって想像してるところもそうですけど、そういう状況じゃない時に妙に、空にパッと、憧れのようなものを抱いていますよね。

片渕:
そうですね。憧れもあるんだけど、例えば、宮崎駿的世界でいうならばー『魔女の宅急便』では最終的に空に行けちゃうんですね。宮崎さんの作品は空に飛んで、空の上まで行ってる時に孤独になるっていう作品なんじゃないかなって思ってるんですけど、おそらくすずさんは地上にいても孤独で、なおかつ空に飛ぶこともできない。だから「貧窮問答歌」みたいな感じなんですよね。

細馬:
山上憶良なのか(笑)

片渕:
「飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」っていう歌がありますよね。そういうのが昔からずっと気になっていて。

細馬:
みなさんもご存知だと思うんですけど、片渕監督は『魔女の宅急便』でものすごくたくさんのいろんな作業をされていて、もちろん飛んでるところもあれこれ操作されている。キキが海から街にようやくやってきて、眼下に船が見える。そこで街をバーって見るときに街がレイヤーになって遠近感が付きますよね。僕はあそこのシーンがすごく好きなんですよ。実はあの辺りの作業を片渕監督があちこちやられてるんですよね。

片渕:
空間が見えるように、いろんな建物を分解して動かすとか、どれぐらいのスピードでそれぞれ動かすのかっていうのを、いちいちやってるんですね。今みたいに一回コンピューターで動かして「こういうふうに動くんだな」ってシミュレーションできればいいんですけど、全部頭で計算してフィルムで撮影してもらうしかないからなかなかやり直しがきかないわけなんですよ。だからその時点で頭の中で空間を作ってそれを具体的に、例えば「建物、塔がよぎっていきます。塔がよぎって行くスピードの、具体的に1コマあたり何ミリ動かしてください」と換算しないといけない。

細馬:
それで最終的には片渕監督が割り出した数値で撮影の方が実現すると。

片渕:
経験した中で、一番すごかったのが大友克洋さんが監督した『MEMORIES』の「大砲の街」っていう作品ですね。これがですね、20分ワンカットなんですよ。街中をカメラがぐるぐる動き回るんですけど、これを今みたいにパソコンの中でデジタル的な空間を作るんじゃなくて、紙に書いたやつを撮影台で撮影しながらそれをやるわけなんです。

細馬:
しかもレイヤーがいくつかあって。

片渕:
セル重ねって適正は3枚とされているんですよ。セルって透明なものなんですけど、ガラスでも重ねると銀色っぽくなってくるじゃないですか。なんとか5枚までいいってことにしてくださいって言って、でも5枚じゃダメなんで何とか6枚まで良いってことにしてくださいみたいになってるんですね。7枚目からはもう画面が鈍くなっちゃってダメなんですね。その6枚の中で手前からガーッっていなくなっちゃったものがあったら次のやつに使えるとかね。それで複雑に動いて、街中をずーっと動き回るカメラっていうのが「大砲の街」で、しかも20分ワンカットに見えるように作るっていうのをやったりしてて。

細馬:
それは聞くだけで恐ろしい話ですね。

片渕:
もっと恐ろしいのがね、撮影に回す前の最後に目盛を書くんですよ。目盛を1から番号振っていってそのとおり撮影してもらうんだけど、目盛が1,000いくつになってきてて。それを撮影台で撮影するんですね。ハンドルを回すと台が動くんですよ。X軸Y軸で全部の座標を記録しておいて、もう一回ゼロに戻して本番の背景をのせてひとコマずつ座標通りに再現しながら撮っていくんです。で本番の時はライト当ててるんですけど、そうすると画用紙に描いた背景がみるみる縮んでいくんですよ。

細馬:
恐ろしい!そんなことあるのか。陶芸の世界みたいですね。窯に入れたら縮みましたみたいな。

片渕:
1,000いくつもあるからすぐ撮りきれないんで、途中でライト消すときに、ライトってね、こうパシッと消すんじゃなくてスライダー、ボリューム絞るように消すんですよ。だからまた点けるときに元のところに戻せなくなるといけないんで、ライト点けっぱなしで帰んなきゃいけないんですよ。でも、ライトって点けっぱなしだと切れるんですよ(笑)で、撮影監督の枝光さんという人から「気が狂いそうになった」と言われたこともありました。で、その撮影をやってくれたスタジオも『魔女の宅急便』のときと同じスタジオぎゃろっぷ。『魔女の宅急便』よりも数段ひどいことをさせてしまった。

細馬:
レイヤーが6つある。恐ろしい……。

片渕:
タンポポの綿毛が飛んでいく描写や立体的に動く背景をつくっていくという作業を目盛に換算しながらやってました。シミュレーションや計算も少しするんですけど、それをほとんど勘だけでやるんです。

細馬:
だからタンポポが飛んでるシーンだけでも監督の経験値というか、今までの蓄積が出てくるわけですね。作画の人もそうですね。

片渕:
作画の人にわかるところは作画の方でやってもらってたりしてました。

細馬:
だから、このアニメーションは本当にね、どうかしてると思うんですよ。僕今日もまたどうかしてるとこ見つけてしまいました。
 水原がすずの家に来るでしょ。水原がすずを抱き寄せるけど断られて、しょうがないからでも膝枕するんですよね。その時に水原が、自分の持ってきた羽をこうクルクルやってるんですね。羽を描いたら羽をじっとしときゃあ作画の人楽なんですよ。ところがあれをクルクル回せって誰かが言うと、誰かっていうか片渕監督が言ったんだけど。ちょい回す、たくさん回す、縦になった、また出てくるっていうのを誰かが作画したってことですよね?

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片渕:そうですね。

細馬:あれを描いてる人がいるんだなと思って僕は「うわーっ」と思いました。

片渕:
あとね、あまりにも地味だからあまり気がつかれていないかもしれないですけどね、この作品の登場人物が着てる、特に和服系の柄に注目してほしいんですよ。今までのアニメーションじゃそこまで描いてるのないと思うんですよね。

細馬:
あの、みなさんね。これ(『「この世界の片隅に」劇場アニメ原画集』)買ったほうが良いですよ。驚愕ですよ。

片渕:
驚愕ですよね。ほとんど全カット、とは言わないけどかなりのカットの作画したものをスキャンして、その中でさらに厳選して編集してるんです。

細馬:
厳選って言うけどね、これほぼ描いてるんですよこうやって。恐ろしい。

片渕:
日本のアニメーションでも和服の人がいっぱい出てくる作品ってあるんですけどね、意外と柄描かないですましてたりするんですよ。

細馬:
つまりすずさんがキュって振り向いたら、この柄も動かないといけないわけですよ。

片渕:
でね、一番問題なのがね、すずさんがキュって振り向くと柄がくっついて一緒に動かないんですよ。

細馬:
あぁ、服だから。

片渕:
服だけど、絵だから。だからね、3Dだったら貼り付ければ一緒に動くんですよ。でも絵で描いてるから貼り付いてるわけじゃないんですよ。で、最初の頃は模様だけどんどんどんどんどっか行っちゃうことが結構ある。何回も何回もやり直してるんですよね。

細馬:
高畑勲監督が『かぐや姫の物語』を描かれた時にやっぱり和服を出してるんですけど、あれは色彩設計・柄設計の人がまあ意図的にやってるんでしょうけど、わざと服と柄がずれてるんですよね。動く時に。

片渕:
そうですね。

細馬:
そういうことも、普通はある。だけどこの作品は服に柄が全部追いついていく。しかも3Dモデリングじゃないので、頭の中でこの着物の柄の三角の笹みたいな葉っぱがもうちょっとこっちにきたら笹がちょい細まるよとか太まるよとかいうのを全部やらないといけない。

片渕:
いわゆる中割りってのを入れるときにね、隣の模様に向かって割っちゃうことってあるんですよ。そうするとね、見事にグルーって動いていっちゃったりするんですよね。

細馬:
そっかそっか。

片渕:
我々は体の輪郭を描いるわけで、立体を描いてないじゃないですか。でも模様付いちゃった途端に立体になるんだけど、その体の想定される立体と模様の立体がズレることが往々にしてあって。なんでですかね、初期の頃ものすごくそれで苦労してるのに、途中からそれがなくなったんですよ。

細馬:
ということは模様を描く人の頭の中に体ができたんですか?

片渕:
多分作画監督の松原秀典さんが、途中までは中割り入れた後になってからやり直したんですけど、途中から見切ったんだと思うんですよね。つまり、原画の段階で作監(作画監督)修正って言うのでその模様の調整を全部やりきっちゃったんだと思うんですよ。

細馬:
恐ろしい…。とんでもない作業量ですね。普通だと原画を何コマかに一回描いて、後は中割りに丸投げなんですけど、作監が中割りの人に「こここうして」っていうのを全部やったということですか。

片渕:
多分そうだろうと思うんですよ。それまでは本当に動画が上がってきた後に動画チェックの人に「申し訳ないんですけど、微調整してください」って事が結構あったんですけど途中からはそういうのがなくなったんで。

細馬:
日本のアニメーションって基本的に原画の人と、原画と原画の間を作る人、つまり動画を作る人っていうのがいるわけですけども、問題はその原画から動画の人にどういう申し渡しをするかっていう問題がありますよね。その申し渡しテクニックみたいなものも多分あるんですよ。着物の柄における申し渡しテクニック、みたいのが。

片渕:
でもそれもね、普通に中割りすればよいですよっていうふうにしとかないといけないわけですよ。機械的にやってくれれば何とかなりますよっていうことにしとかないといけない。それでも原画って何回も描いてるうちにちょっとずつズレちゃったりするんですね、上下にずれてたり。上下にずれてたら、例えばすずさんの着物に椿の模様が入ってたとしてそれが、「すずさんはこうやって動いているのに模様の花だけこうやって動いちゃうんですよ」っていうのを綺麗に並ぶように原画の段階でやりきる、とかね。動画チェックの人もひょっとしたら途中で手入れてくれてるのかもしれない。

細馬:
あと原画をどれぐらいで割るかにもよりますよね。例えば、原画と原画がすごいコマが離れてたら、中割りの人はそれ全部推測しないといけない。

片渕:
まあそうなんですね。結構それは、多いです。

細馬:
この映画では本当に柄がキーになってて。特にこの、すずさんの着ている笹模様の柄。

片渕:この柄はおばあちゃんが夏休みに新しく作ってくれた着物ですよね。これを大人になってから簡単服というものに改造して着てるわけですね。和服地のワンピースみたいなものなんですよ。広島って実はハワイ移民の人もいっぱいいて、それでやるとムームーっていうのになるんですよね。で、男用に和服の生地でシャツ作ると、アロハシャツになるんですよ。

細馬:
だからなんか、こういう柄って思い入れあるなあ、みたいな話も漫画で出てくるんですけども。

片渕:
この服が、子供の頃着てたあれなんだけど、大人になってこうで、その後に空襲の時にこうで、っていうのがずっとあって。これ多分夏に着るやつなんですけど昭和20年の8月6日ぐらいまではずっと因縁があって出てますよね。

細馬:
そうですね。あれ、焼けちゃうやつがそうかな?

片渕:
途中で焼けて、焼けたところを継ぎ足してまた着てますね。それから他の服も。だからそういう因縁がある。椿の柄の着物も最後は食べ物に変えられちゃったりするんですよね。物々交換でね。それからお姉さんのモガだった時の服とかね。一度出てきた服は、みんなどっかに何らかの形で来歴があって。由来があるし、末路もある。

細馬:
エンディングに止めでずっと出てくるところもやっぱりそういう柄が重要になってきますよね。

片渕:
そうですね。

細馬:
実はこの作品って着物の柄っていうか、服の柄っていうのがテーマだよねっていうのがわかる。

片渕:
そうですね。すずさんが最初お嫁にきた時の裁縫箱、針箱がね、エンディングに出てくるんですよ。戦争が終わって、それを新しく来た、僕らが勝手に「ヨーコちゃん」と名付けたあの子に受け渡してるんですよね。「この裁縫箱、戦争を生き延びたんだ」って思ってあそこを画にしながら自分たちでジーンと来ました。「針箱も無事だったんだね」っていうのも思ったりしましたね。

細馬:
そこは注目ポイントですね。まあ何回か出てくるときがありますけども。

片渕:
あの針箱には実は模様が入ってて、けっこう大変だった記憶がありますね。

細馬:
この作品は、針箱もそうですけど、調度品に模様入ってるのがぼちぼちあって。筆箱の梅にメジロとか。

片渕:
針箱に関してはね、模様ね、さっき言ったように最後に撮影に回す段階で僕が全部貼り付けてたんですよ。模様だけシールみたいにして、だいたいこの辺、この辺、って配置して貼ってました。

細馬:
とはいえ角度が色々違ったりして。

片渕:
そう、向きが変わったりするからそれに合わせて調整したりするのをやってたんで。「針箱大変だったな」って思いはありつつ、「戦争を生き延びたんだな」って思ってて。

細馬:
そういうことを一個一個やっているのでそれがまた長くかかっちゃうという。

片渕:
そういうところになるべく時間費やさないようにしようと思ってて。すずさんのほっぺたに赤らみがあるんですね。あれ1カット1カットボケ足が違うんですよ。ボケ足の指定をやってる(笑)

細馬:
何ゆえにそんなに!まあでも、その時々の表情の微妙な違いっていうのがあるんでしょうね。

片渕:
なんだっけな。2.6ピクセルでぼかせとか。で、軍艦なんか出てきますよね。軍艦なんかはただのセルじゃなくてちょっと背景みたいに描いてあるじゃないですか。あれ全部実は自分で塗ってるんですね(笑)

細馬:
片渕監督のこだわりが。

片渕:
そう、ほとんど全軍艦をやってるんです。

細馬:
なぜそこに(笑)軍艦には並々ならぬ思い入れが。

片渕:
というかね、あれはどういう立体なのかわかった上でやんないと筆のせられないんですね。どういう面の構成になってるのかわかってないと。

細馬:
要するにこっちから光を当てたらどういう風に光るのかわからない。

片渕:
そうそう。軍艦見たことがないとかよくわからない人には、どういう立体になってるのか、鉛筆の線だけだとできないんですよ。

細馬:
あれだけ複雑なものですからね。

片渕:
それも『BLACK LAGOON』からやることになって。『BLACK LAGOON』は現代の海賊のお話で、主人公が魚雷艇みたいなのに乗ってるんですけども、それも明暗つけるのほぼ全カットやった(笑)特殊効果っていうそれをやるセクションの人がいたんですけど、多すぎるって言われて。こんなに頻繁に出てくるんならなんとかしてくれって言われて、なんとかするってどうすんだって、「監督自分でやってよ、できるでしょ?」みたいにおだてられて(笑)

細馬:
怖い。

片渕:
そういうのを最初にやったのが『名探偵ホームズ』でした。その時はセルなんですよ。で、宮崎駿さんがきて、グレーのマーカーを出してきて、これでセルの上から塗ると普通のセルで描いたよりももっと立体感出るぞ、みたいなことを言われて。で、そうしたら「海底の財宝」(第9話)っていうのがあってね。財宝なんだったらそういうふうに描けって言われて足したりとか。あと宝石光ってるんだなと思って、ホワイトの修正液持ってきて光ってるハイライト入れたりする。それをやりまくって撮影してフィルムになったものを宮崎さんが観て、「なんかディズニーの画面みたい」って(笑)

細馬:
それはやっぱ頭の中に3Dがあるからですよね。

片渕:
というよりはセルで描いたぺったりしたものから逃れたいっていう願望が最初からありました。そういうのよくアニメーションの世界だと、いわゆる影を足すっていうのでやるんですけども、そういう塗り分けた影じゃなくてもっとこう、筆で描いたような影みたいなものにしていきたいっていう気持ちがすごくあって。

細馬:
さっきのほっぺたのボカシとも通底する感覚ですね。

片渕:
戦艦大和が出てくるシーンがあるじゃないですか。あそこに出てくる手旗信号の内容が実際に解読できるということがネットで話題になりましたけど、それもいいけど戦艦大和もちゃんと観てくれよって(笑)

細馬:
人はね、やっぱり記号を見るんですよ。

片渕:
そうそう。大和あんなに一生懸命塗ったのに。

細馬:
実は僕の親父もその頃中学生だったのですが、呉と隣の吉浦って町の間に実は、工場が一つあったんですね。

片渕:
ああ、ありますね。

細馬:
飛行関係の工場だった。あの甲板の飛行機を飛ばすための工場だったんですけど「そこから大和を見た」っていうんですね。で、「その時の大和が寂しげだった」って口癖みたいにずっと言ってました。

片渕:
すずさんが汽車に乗って呉に帰ってくるところ、港に軍艦が並んでる画があるんですけど、あの線路のあたりがそのあたりだったと思います。トンネルを抜けると呉港が急に広がるところがあるんですね。

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細馬:そのトンネルの上が工場なんです。ということはよく見えるんですね。昭和20年の3月ですかね。ちょうど最後に豊後水道に向かう前の、あの飛行機でとられる前ですね。そこをどうもうちの親父が見てですね、大和なのにお付きのものがいなくて、いわゆる連合艦隊みたいなんじゃなくて寂しい感じがしたなあって。それだったんだ。

片渕:昭和20年3月19日にすずさんが色とりどりの煙を見るところですね。あれは大和を潰しにアメリカの飛行機たちが来てるんですけど、大和はそのとき呉港にいないで反対側の柱島っていうところにいるんですよ。柱島のほうが海が広くて爆弾落とされても逃げ回れた。気がついてそっちにいったアメリカの飛行機もいて。その人達が4月7日に、沖縄に行く大和を捕捉してもう一回大和を攻撃する。今度は沈めちゃうんですけどね。そのアメリカの飛行機に乗っていた人が、二回見た大和が違う大和だったって言ってるんですよ。色が違うって言って。

細馬:
あ、そうなんですか。塗り直したということですか?

片渕:
最初に見た大和は明るい色で、二回目に見た大和は暗い色だったと。要するに夜でも目立たないように甲板を黒く塗ってるんですね。そういうことをやらないといけないくらいの事態になっているということです。
 みなさん気がつかれたかどうかわかりませんが、吉浦から抜けていくところに新宮トンネルっていうのがあって、そのトンネルを抜けると港が見えてきてね。港を出てきたところに、線路の横に塀があるんですよ。戦前に呉線の汽車の中から建造中の大和が見えないようにするためにブリキで塀を作ったんですね。で、実際にその呉線に乗ってた方に聞いたら途中からね、「筵(むしろ)」が増えてきたっていうんですよ。

細馬:
筵ですか?

片渕:
剥がしちゃったらしいんですよ。トタンっていっても鉄だから。

細馬:
あぁ、金属回収でね。

片渕:
そうそう。また別の目撃談によると、最後には塀ごと全部取っ払われて骨組みだけになっちゃったようなんです。で、塀がなくなってしまって向こうが見えるようになったときに、そこには船がなんにもいなかったって言うんですよ。隠れてたらまだ向こうに船がいっぱいいるって幻想を抱くことができたけど、むき出しになって呉港の軍港になんにもいないことが分かってショックだったって言ってますね。そういう記録を読んでたので、3回ぐらい汽車が通るシーンがありますが、その度毎に、塀を変えてるんでそれを見てもらいたい(笑)
 その塀の向こうに並んでる軍艦は最初は余力がなくて3回とも同じ船を描いているんですけど、いわゆるリテイク版に切り替えた時に、シーンによって違う船が浮いているようにしたんですよね。

細馬:
ええ、そんなこと!リテイク版っていったいどこがリテイクなのかって思ってましたけど、そういうとこなんですね。

片渕:
もっと単純なケアレスミスを立て直したっていうのもあるんですけども。自分たちでやり足りなかった所はできるだけ直そうと思って。今回はできるだけは直したんですけど。まだケアレスミスはいくつかあって。

細馬:
まあ、でも最近の人はDVDが出ちゃうと1コマ1コマ止めて観ますからね。

片渕:
それもね、DVD出る前にね、絵コンテ集を出してたんですよ。でね、たまたま知り合いの人が、映画館で観て「カットいくつのところにこういうのがあるけど直したほうが良いかもしれないからお知らせします」っていうのをずーっと教えてくれて。カットナンバーつけて教えてくれるんです。

細馬:
恐ろしい(笑)絵コンテ集を出したらそういう事が起こるんですか。

片渕:
その人は、イタリアの戦車にもの凄く詳しい吉川さんという人で、ガルパン劇場版(『ガールズ&パンツァー』)のリテイク出しに付き合ってたらしくて。

細馬:
じゃあもうプロフェッショナルじゃないですか。

片渕:
アニメーションには本来は全然関係ないはずの人だったんですけど「ガルパンのリテイク出し付き合ってたんで、リテイク出しのやり方わかってますから大丈夫です」って(笑)それで、カットいくつにこういうミスがあって、って全部教えてもらって。

細馬:
まあ、ありがたいといえばありがたいですね。

片渕:
ありがたいです。ありがたいほかないです。しかもDVDじゃなくて、映画館で観て教えてくれるんです。

細馬:
すごい。僕は艦隊とかはあまり見ていなくて、今日なんかでも包帯を見てすごいな、と思ったり。包帯みたいなのが道で飛んでるじゃないですか。

片渕:
ああ、あれは包帯じゃなくてね、アルミ箔っていうか、金属の薄いやつなんですよ。アメリカ軍が日本のレーダーを無効化するために空中に金属片をばらまくんですね。チョコレートの銀紙を剥いて風でひらひらしたものみたいな、ああいうイメージですかね。もうちょっと分厚くはあるんですけど実際には。

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細馬:そういうもんなんだ。あれは風でたわんだりするようなものなんですか?

片渕:そうです。ひらひらって飛んでいっちゃう。

細馬:
呉の空襲のときもやっぱああいうのが飛んでいる。同じものですよね?

片渕:
そうなんです。

細馬:
今はじめて知った。

片渕:
すずさんの家に焼夷弾が落っこちてくるシーンの話をしますと、焼夷弾が屋根瓦を突き破って、天井裏で速度がゼロになるような絶妙なスピードで落ちてくるように計算されていて、エアブレーキになる布のリボンがついているんですよ。あれもヒラヒラしていたみたいでね。僕が読んだ記録だと、空襲の翌日あれを襟巻にしている人がいたようなんです。

細馬:
でもまあ布が無かったらそうしますね。

片渕:
で、その襟巻きのリボンが青だったって書いてあったんですよ。青いエアブレーキの布リボンみたいなのがくっついて落ちてくる。青だか青緑だか、何かそんな様な色だったって書いてあるんですね。

細馬:
へぇ。

片渕:
それからすずさん達が、夜中に空襲警報でドタバタして、ゴツンって頭ぶつけたり、猫踏んじゃったりした時に、飛行機が落下傘を落としているんですけど、あれは呉港の中に機雷を落としているんですね。これも減速しなきゃいけないから、パラシュートがついているんですけど、そのパラシュートも青だったって書いてあったんですね。
爆弾も落ちてくるし落下傘も落ちてくるし、なんかリボンみたいなのもちぎれて飛び散ってくる。空襲のときにはいろんな物が落ちてくるんですよね。

細馬:
こうやって今ことばにしていただいたのでようやくその正体がわかりました。この映画って、そうやって後からわかる事が結構あるんですよね。
あと今日気が付いたのが、最初にお嫁に行く時に4人が向かい合ってますよね。そのときに、お母さんがみかんを食べてるんです。膝の上で。

片渕:
みかんの筋を取っているんですよ。

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細馬:嫁入りの日なのにお母さん呑気でびっくりしたんです。実を言うと、今朝まさにうちのお袋がみかんむいてて。広島と言えばみかんなんですよね?

片渕:そうですね。

細馬:
むかし僕の所もに広島からみかん箱が送られてきたこともあったりしたので、なんとなくみかんって広島のものなんだって感じがするんですけど。まあそれにしてもあの状況でよく筋を取っていたなと。それでまた筋をむくっていう演出をされると、当然それを誰かが描くわけですよね(笑)

片渕:
あれはね、レイアウトをやった浦谷さんが自分で考えて自分でやってたんですよ。ラフ原画も自分でやってたんじゃないかな。

細馬:
誰かが何かをしてますよね。焦点が当たっている人が何かしているっていうのは普通のアニメでは普通の事なんですけど、焦点が当たっている人の脇で色々やっている人がいるっていうのがこの映画の特徴ですよね。
 あと、この映画はオーバーラップ、つまり誰かが何か演技している時に、こっちで次の演技が始まってるっていうのが非常に多いんですよ。その典型が、嫁入り前にすずの所に突然おばさんが「あんたのとこにお婿さんになりたいって人が来てるよ」って呼びに来るでしょ?その時におばあさんがお着物の話をするんですけど、おばあさんが早いんですよ。あの家のおばあさんが「あんたの事を嫁」って言葉が出た次の瞬間におばあさんが「あん?」って言ってもう立ち上がりますよね。おばあちゃん早い!

片渕:
箪笥の所に向かうんですよね。

画像10

細馬:そうなんです。しかもね、立つのが「はいはいはいはい」って感じで。「待ってました」って。だから多分あのおばあさんは、すずが嫁に行くって話が出たらいつでもスタンバイできるようなそういう日常を多分送っているんですね。この映画の動作のタイミングには、ちゃんとそういうロジックがあるんですね。嫁って言われる前までは多分おばあさんそうやって動けないですよね? 

片渕:あれはね、原画のチェックの時にタイミングに合わせて一度クイックチェッカーっていうので画面にして動きのチェックするんですけど、その時にセリフも全部書いて、漫画で言う吹き出しみたいなの作って、それ入れてるんですよ。なんで「嫁」って言うまで本当に立たせてないんですよ。

細馬:
やっぱりそこにはあるんですね、ちゃんと。タイミングの設計が。

片渕:
同時にセリフの全部の長さとかここではこういう事を言ってるっていうのを原画の時に全部それをセットして、その上で芝居に因果関係が出るようにはしているので。少なくともそれ以前に動かないようにするっていう。

細馬:
そこは漫画にはないところなので、大変ですよね。あと嫁に行った時の嫁入り先で小林のおばさんに「不束者ですが」って言って頭下げた時に、実は向こうのお母さんじゃなかったってわかるのが、お辞儀をして「不束者ですがよろしくおねがいします」って頭を上げるより先に、だっけな?

片渕:
そうですね、「今日は仲人を務めさせていただきます」って言って。

細馬:
だから、お辞儀してから頭を上げたら仲人だったのがわかってごめんなさい、じゃなくて、お辞儀して頭が下がっている時に「ふっ?」「へっ?」って思いながら頭を上げるんですね。

片渕:
映画を120分以内で作んなきゃいけないっていうのもひとつあるんですけど、最短どの辺で大丈夫かなっていうのはね、原画の時に全部セリフと込みでやってるんですね。だから逆に言うと、セリフの録音の演出も自分でやらないとだめなんですよ。それって「このタイミングだったら成立する」っていうギリギリの所でやっちゃってるから、それ越えてゆっくり喋られたら、「ごめんなさい。もう一度」って言わないといけないわけなんですね。言葉のリズムとしてこっちで設計しちゃってる。
 「この人はこういうリズムでこういうテンポで喋ってて、それに対してこれぐらいの間があって、こっちの人はこういうリズムで受け止めた時に全体として音がこういうリズムになりますよ」みたいな設計をやった上で、絵を作っちゃってるもんだから、それがアフレコの現場で再現できるようにやってやんないといけないんですよ。

細馬:
全部立ち合うという事ですね。

片渕:
それでもやっぱり役者さんは役者さんなので、こっちが思う通りに動けない場合ももちろんあるわけです。「ここはやっぱりそういうふうに喋らないですよね」っていうのもあるし、固有の喋り方もあるでしょうし。そうするとね、「それでもいいからやって下さい」っていうふうにして、出来上がった音に絵を調整するっていう作業があって。

細馬:
口だけじゃなくて。

片渕:
口だけじゃなくて。絵と音と両方自分で演出しているから、「音を採用して絵を変える」っていう判断が自分で出来るわけじゃないですか。そうでないとあんなに量がこなせなかったんじゃないかと。

細馬:
あと、すずさんが白塗りして来る時に、周作が「すずさんか、じゃあ行こう」って言って、一度画面からはけるじゃないですか? はけながらでも喋ってますよね。で、画面の外で周作が喋り終わると、すずさんが「ふははぁ」となんとも言えない声を出すのがいいんですよね。その直後にすずがついてこないもんだから周作は「どうしたんだ?」って感じで戻ってくる。ここ、周作が画面からは消えているので、周作がいつセリフを言い終わるか、すずさんがいつ「ふははぁ」と声を出すかがとっても難しい。そこからあの「しみじみニヤニヤしとるんじゃ」が出るんだけど。

片渕:
だからはけている間にちゃんと言い終わってないと戻ってこれないんですよ。役者さんには絵を編集したDVDを配っているわけですね。配った上でそれを見て、自分がこの速さで喋ればここに上手くハマるっていうのをリハーサルの段階まで、声優の人たちは自宅でやってくるわけですよ。それでもって自分でタイミング決めてきて、場合によっては「この因果関係の中でこういうタイミングで喋ればこういう芝居になるんだけど、こういう芝居にしたいから一個ここの単語抜かしてください」っていう人もいる。「これ抜くとちょうど狙いのようになるんですけど」みたいな事を提案してくる人もいるんですね。この作品とは限らないんですけど。

細馬:
それは渡すときには秒数というかコマ数書いてるんですか?

片渕:
書いてないです。どこで喋るかだけ書いて後は台本渡して。「その台本の通りにここで喋るんですよ」っていうのを自分で練習してきて、「こういう芝居になるんだな」っていうのを意識して自覚した上で現場に来てくれるっていう事なんですね。

細馬:
でもそのスピードっていうのは現場に来たら「あ、違った」っていうのもあるんですよね。

片渕:
そうですね。ちょっと前までは役者さん全員にVHS配ってたんですよ。今はDVD配れるから。

細馬:
そうかそうか。そのDVDを見ながらこのタイミングっていうのを掴んでもらうっていう。すさまじい事が起こってますね。

片渕:
いやもう本当に我々が演出するだけじゃなくて役者さんの方も自分で演技を組み立ててから来てくれるんですね。
 それで言うと、のんちゃんなんかはそういう事自体に初挑戦だったんですよ。

細馬:
そうですよね。声優初挑戦っていう。

片渕:
実はマイクの前で喋るという経験が今までなかったとかじゃなくて、自分で絵を見て自分の演技を組み立ててくるっていう経験自体が初挑戦だったので、そこからチャレンジしてあそこまで持って行ったんですからね。

細馬:
すさまじいですね。それも割と短期間。

片渕:
そうですね。「どういう事をやれば声優っていうのが成立するのか」っていう事の理解から始まってるから。

細馬:
普通はそういうのは声優学校というか専門学校みたいな所で学んで。

片渕:
或いは何本も経験するとか。初めは端役でちょっとしかセリフがないんだけど他の先輩たちがどうやってるのかなっていうのを現場で見ながらやってたりもするんですけどね。そういうのがなくていきなり主役で、しかも台本見たら、ほとんどすず、すず、すず、すずって(笑)

細馬:
それで小さい時からもやりますからね。声色とかも変えたりいないといけない。それができるって、彼女はすさまじいですね。

片渕:
そういう事に気が付いて「わかりました」ってどんどん家で自習してくれたんですけど。だからのんちゃんの時はのんちゃんだけで最後別撮りだったっていうね。それこそ細谷くんとか周作も径子さんも晴美ちゃんとかまで全部入ってるわけですね。その入ってる中にすずさんの芝居をその間でしか出来ないわけですね。晴美ちゃんが何か言ってる、次に径子さんが何か言ってる、その間で芝居をちゃんとやんないと喋ってる途中で次の径子さんの台詞に重なって喋っちゃったらダメなんですよね。その中でちゃんと芝居を収めつつ、すずさんのキャラクターを作るっていうそういうチャレンジだったんですよ。ただ「マイクの前で喋りました」っていうのとは違う。

細馬:
のんちゃん用の隙間が出来てるわけですね。

片渕:
だから、のんちゃんが「こういうふうにやってほしいからこんな隙間になってるんだよ」っていう事に気が付いてくれなきゃダメだったんですけど、ちゃんとそこ的確に反応してきたっていう事ですよね。なので全部出来上がった時に初めて全員の声が入った時に役者さん達が「自分の声を録音したときは自分一人だけだったけど、今完成したものをみたら私はちゃんとすずさんと会話できてた」って言ってくれたりして。

細馬:
例えば役者さんが、のんちゃんの所は空白にしてこのセリフ、このセリフって言っていくと、前のセリフから次のセリフへの橋渡しもしなきゃいけないですね?前の人がある口調で喋ってて、次にのんちゃんの言い方がパンッて入ると、次の人の感情の変化がおこる。そういうのが論理的にわからなきゃセリフが言えないって事ですよね。

片渕:
その辺は、先に録るものは聴きながら「のんちゃんが入って来たらこう録音できるな」って見極めながらうある、というのがあるんですけど。それから「どうしても尺が本当に合わないようだったらこっちで改めて編集してやりますよ」って言って。たださっきも言いましたけど本編で120分って決まってるので、「音入れたから伸びました」じゃすまないんで、どんなにやっても119分58〜59秒ぐらいにしないといけないんですよ。

細馬:
不思議な事ですよね。いろんな作業がものすごい詰まってるのに、最後それがギリギリ収まるっていうのは何なんでしょう?

片渕:
なんかね、今回119分59秒何コマとかだったような気がするんですよ。

細馬:
なんでそうなるんでしょう? それって目指してなる物ではないんでしょ?

片渕:
いや目指すんですよ。そこは目指さないとダメで。そのために、「ここ3コマ落としましょう」とか。

細馬:
あっちこっちで節約できる所とか。

片渕:
「ここ延びちゃったら切るしかない」とかって事で。トレードしながらやらないとダメなんですよね。と言いつつ、普通編集はどんどん重なっているところを切っていくんですけれど、そういうの出来るだけ出したくもなかったんですよね。それは本当に描いた絵が切られた分だけ無駄になっちゃうから、そうならないように動きを、撮影前の動きの設計の段階で「ちゃんとこっちのカットはここで終わって、次のカット、その終わった段階から始まる」っていう設計をやりにやってさらに音をつけて微妙なニュアンスの所をちょっと編集するとかっていうのをやってたんですね。その上での120分プラスオープニング・エンディング二つの129分っていう尺なんで。

細馬:
だからまあ作り手として、たくさん作ってたくさん削るわけにもいかない。作画してる方とか、動画の方とか、そういういろんな方の作業がちゃんと作品として残るかどうかの瀬戸際ですもんね。

片渕:
いや元々ね、なんで同じアニメーション作るにしても映画やりたいかって言ったらテレビって本当にフォーマットって決まってるんですよ。つまり30分放送枠があって、「オープニングで歌うたうのが何秒です」って、で「エンディングが出るのが何秒です」って決まってて。「真ん中のCMが何秒で」とかって決まってて、本当に何分何秒何コマって所で毎週作品作るしかないんですよ。それが本当に大変で。短めに作って足らない物を足すぐらいの物で良くて、ギリギリに作っといたんだけど何コマ切らなきゃいけない、その何コマ切ればわからないっていうので徹夜して悩むっていうのが何回も何回もあったもんで。だったら映画の方が尺自由なんじゃないのって思ってたら…。

細馬:
やっぱり120分っていうのがあったっていう(笑)

片渕:
で、今度長いの(『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』)になったら長く出来るんだなと思って、「何分なら長くしていいですか?」って言ったら、「30分ぐらいかな」って言われて。「ぐらいなんだ〜」って(笑)

細馬:
意外とそこは。120分の壁を越えるとそこには広大な世界が…広大ではないですね。

片渕:
そうですね。「もうそこで悩まなくていいのかな」って気がしてきて。でもちょっと何年か前にある映画コンクールみたいなので審査員やった時にアニメーションの長編いっぱい観たんですけどね、上映リスト観たら120分・120分・119分・119分だったんですよ。「みんな同じように悩んでたんだ」って思いましたね。「この人たちみんな仲間だ」って思って(笑)

細馬:
そこで感じる。

片渕:
本当にそうですよ。「みんなここで苦労してるんだ」って。

細馬:
じゃあ長尺分作ってしまうとその「仲間」からもまた違った作品が出てきてしまうか。

片渕:
ああ、それはわからないですね。でも確かにね、120分越えて長くやるアニメーションってあまりないですよね。

細馬:
ないですよね。そう言われてみるとそうですよね。

片渕:
なんだろなっていうのはちょっと。まあ色々頑張ってみます。

細馬:
どうなるんでしょうね。楽しみですね。

片渕:
本当に何分伸びるか今よくわかってないっていう。

細馬:
そういう未知の部分も含めて楽しみという事でね。

片渕:
頑張ります。

細馬:
今日はどうもありがとうございました。

片渕:
こちらこそ、ありがとうございました。

(了)

*******************

『この世界の片隅に』から250カット、約40分の新たなパートを加え、まったく新しいすずさんの物語が浮き上がる__
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』絶賛公開中!
出町座でも5/22(金)休業明けから上映再開します!

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編集:宮迫憲彦(CAVABOOKS)、田中誠一(出町座)
文字起し:映画チア部京都支部(上地菜々子、藤原萌、松澤宏道)
協力:片渕須直、細馬宏通、クロブルエ、ジェンコ
発行:出町座
画像クレジット
© 2019こうの史代・双葉社 /「この世界の片隅に」製作委員会



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