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『はじまりの記憶 杉本博司』対談 杉本博司×中村佑子

京都市京セラ美術館開館記念展の一つ、新館・東山キューブで開催中の「杉本博司 瑠璃の浄土」。国際的に活躍する現代美術作家の杉本博司にとって初となる大規模な京都での個展を記念し、2012年に公開されたドキュメンタリー映画『はじまりの記憶 杉本博司』を出町座にて特別上映。7月12日に杉本博司氏、中村佑子監督をお招きして対談トークを行いました。観客数を制限しての実施となり、ご参加頂けなかった方も多かったことから、こちらの対談の再録記事を作成しました。
杉本博司(すぎもと・ひろし)
杉本博司は1948年東京生まれ。1970年渡米、1974年よりニューヨーク在住。活動分野は、写真、彫刻、インスタレーション、演劇、建築、造園、執筆、料理と多岐に渡り、世界のアートシーンにおいて地位を確立してきた。杉本のアートは歴史と存在の一過性をテーマとし、そこには経験主義と形而上学の知見をもって、西洋と東洋との狭間に観念の橋渡しをしようとする意図があり、時間の性質、人間の知覚、意識の起源、といったテーマを探求している。世界的に高く評価されてきた作品は、メトロポリタン美術館(NY)やポンピドゥセンター(パリ)など世界有数の美術館に収蔵。代表作に『海景』、『劇場』、『建築』シリーズなど。
2008年に建築設計事務所「新素材研究所」を設立、IZU PHOTO MUSEUM(2009)、MOA美術館改装(2017)などを手掛ける。2009年に公益財団法人小田原文化財団を設立。2017年10月には構想から10年の歳月をかけ建設された文化施設「小田原文化財団 江之浦測候所」を小田原市江之浦にオープン。古美術、伝統芸能に対する造詣も深く、演出を手掛けた『杉本文楽 曽根崎心中付り観音廻り』公演は海外でも高い評価を受ける。2019年秋にはパリ・オペラ座にて演出を手掛けた『At the Hawk’s Well(鷹の井戸)』を上演。主な著書に『苔のむすまで』、『現な像』、『アートの起源』、『空間感』、『趣味と芸術-謎の割烹味占郷』。1988年毎日芸術賞、2001年ハッセルブラッド国際写真賞、2009年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞。2010年秋の紫綬褒章受章。2013年フランス芸術文化勲章オフィシエ叙勲。2017年文化功労者。

中村佑子(なかむら・ゆうこ)
1977年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒。哲学書房にて編集者を経て、テレビマンユニオン参加。美術や建築、哲学を題材としながら、現実世界のもう一枚深い皮層に潜るようなナラティブのドキュメンタリーを多く手がける。映画作品に『はじまりの記憶 杉本博司』、『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』(2017年HOTDOCS正式招待)、テレビ演出作にWOWOW「はじまりの記憶 現代美術作家 杉本博司」(2012年国際エミー賞・アート部門ファイナルノミニー)、NHK「幻の東京計画 首都にあり得た3つの夢」(2015年ギャラクシー奨励賞受賞)等がある。現在、文芸誌『すばる』にて連載していたエッセイ「私たちはここにいる 現代の母なる場所」が今秋書籍化。近年は「女性性」をテーマとしている。

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中村佑子(以下、中村):今日はご来場ありがとうございます。杉本さんも、この度はありがとうございます。観客のみなさま、観ていただきありがとうございました。
まずこの映画の時代背景を説明すると、この映画を撮っていたのは2010年で、震災後の2011年に編集をしなおしました。そのあとエミー賞にテレビ版が行ったりして、一緒にタキシードを着ましたね。

杉本博司(以下、杉本):そう、エミー賞にノミネートされました。ニューヨークまでちゃんと二人で行きました、ブラックタイをつけてね。

中村:杉本さんにもタキシード着ていただいて、レッドカーペット歩きましたよね(笑)。

杉本:残念ながら最終にはね…。

中村:ファイナルノミニーとして世界の4本まで残ったんですが、最後の最後にイギリスの人気番組に持っていかれてしまって…。その後2012年に公開しました。

今、京セラ美術館で『瑠璃の浄土』展が開催(2020年5月26日-2020年10月4日)されていて、コロナ禍のロックダウンでずっと閉鎖されていたものがやっと開いた。

で、今日はちょっと廃墟のことから杉本さんにお伺いしたいのですが、この映画の途中で杉本さんが、世界が廃墟になる姿を幻視するというか、ある種楽しみだと発言されているのですが、あの時の感触で言うと、まだ震災はまだ起こってなかったですし、廃墟というものがある種、別のニュートラルなものとして捉えられていました。それが、震災後に公開されたときは、今度は震災後の躁状態だったというか、日本がこのカタストロフによって、もしかしたら変われるのかもしれないという可能性を感じていた時代に公開され、杉本さんの発言が響いた。そんな時代背景だったんですね。

一方、今コロナで、世界がロックダウンして世界中の廃墟を私たちが目撃してしまった時代に、杉本さんは廃墟をずっと撮っていらして、世界中の都市が封鎖して、ほぼ廃墟のようになった姿を見てどのようにお感じになられましたか。

杉本:文明がこのまま、特に資本主義っていうものだけが残っていったとしたらどうなるでしょう。これは拡大再生産をしなくちゃ成り立っていかないシステムなんですよね。一年の成長が5%か6%ないとお金が回っていかない。でもそんなことが永久に続くわけないんです。成長するということは自然を破壊するということなんですよね。ですから、どこかで折り返し点が来る。その時に、とんでもないカタストロフィーの形になって人口が半減するとかね、そういう形にならざるを得ないなと思って、遠い未来のことを考えていたら、考えている間に本当にそれがどんどんと、10年に一回くらいカタストロフが起こってきてしまうようになった。

それで恐らく、このパンデミックもそうですけど、また違う新しいウイルスも出てくると思うし、もしかしたら今度は5年サイクルになってくるかもしれない。この集中豪雨だってそう。これみんなトランプ大統領が嘘だって言っていますけれど、そういう大統領がいるような世の中に、逆になってしまっているということなんですよ。

それともう一つ、アメリカは民主主義が最良の選択でなくなったことが証明されてしまった。愚民政治っていうんですかね、みんなが投票すると悪い方向、悪い方向に決まっていってしまうというトランプ大統領が当選するというのはそういうことなんです。だったら逆に中国の一党独裁のファシズムの方が効率がいいわけですよね。反対意見は全部誅殺できるんですから。それと資本主義と全体主義、ファシズム的なものが一体化した中国の独裁政権っていうのは、資本主義に勝てるもっとも効率の良いシステムなんです。フランス革命の頃にやっと民主主義というのは理想的なシステムができてきて、それから200年経って、それも機能しないと。

だから何かこう哲学のレベルでも新しい未来の姿、人間の社会の姿はこうあるべきだっていう姿を、例えばマルクスなんかは200年前にそういうのを提示して200年かけて実験してみたらやっぱり失敗した。

歴史というのは、そういうことを繰り返してきてるんでしょうね。何かそういうことを考える人、哲学者も現れてない。あ、中村さんは哲学科を卒業されていましたね。

中村:はい。私もコロナの間、ほんとうにいろいろ哲学書を本棚から引っ張り出して読んでいました。そこで考えていたのが、まず一つに、今の時代というのは個人主義の行き着いた果てということですよね。民主主義の限界もそうですけど、人間の個人主義にほとほと疲れたなっていうのが実感としてあります。個人対個人でいくとやはり異質性に目がいきます。人権擁護にしても異質であることを尊重するのはもちろん良いんだけれども、個人対個人というのは異質性に敏感になることともイコールで。

一方、個人を超えた「類」で考えると、人間という「類」と対「自然」という図式になれる。個人対個人だといつまでも、人間内部での尊重ということになるんだけれども、人間を「類」として考えて、私たちはある種同質的な、一つの「人という運命」を共有する「類」だと考えて対自然、対地球っていう風に図式をシフトしていかないし、問題は一向に解決しない。「個人」というものをずっと考え続ける中では、気候変動にしろ自然環境の破壊にしろ、解決しないだろうな、と。

例えば、ここは京都なので田辺元に言及してみますと、彼の本を本棚から引っ張り出して読んだのですが、その中に「種の論理」という話があります。すごく刺激的でした。でもこの論理、実は危険なんですよ。田辺はすごく批判もされてきているし、結局「種の論理」というのは大東亜共栄圏みたいな話に行きついてしまい、戦前に京都学派が批判されたのは、結局田辺が批判されたということで、第二次世界大戦に突っ込んだ人間の「種」というものを重く見ると、行き着く果てには「イエ」があり「国家」があり結局国家権力に回収されてしまう。田辺の議論はそっちにいってしまったので、危険ではあるんです。が、でもそれだけじゃない可能性もあって。「類」としての人間というのを考える哲学者もいたんだという、それを現代的に読み替える必要があるというか、「類」としての人間という図式を読み替える必要をすごく感じたんですね。

ここで、杉本さんに戻ると、私今日「瑠璃の浄土」展を初めて見て、すごく感動してきたんですけれども、杉本さんは常に主語が、「人間」じゃなくて「人類」なんですよね。そこが、私が杉本さんに惹かれた所以なんだなということを改めて感じました。

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杉本:人間が人間である所以というのは、ずっと、考えてきました。人間というのは動物の一種です。動物界の特殊な動物なんです。動物というのは生命ですから、自然界の中から何十億年前に海中から出てきた生命現象ですよね、それの一番の進化、どういうわけか進化した。そして、どういうわけか人間だけに意識が宿った。我々は言語を持って心を持つ。なぜ人間だけに心という意識があるかっていうのが僕の中でずっと考えてきたことです。

ですから、自分が子どもの時に自分の心が芽生えた時の記憶というのを探求しています。そして、それをずっと辿ってきて、自分の心の血の中にも人類の記憶があるんじゃないかと、その自分の血の記憶を辿っていくと、あっ、あの時こういう風に心が芽生えたんだなっていう、何億年か前の記憶があるかもしれない。そんな大昔じゃないんですよね。3年、4年前くらいに何かが起こったんですよね。それが道具の発見とかいろいろ意識の外界と自分がいるということがはっきりわかるんですね、その瞬間を体験したいなという強い気持ちがあるんです。その中から個人というのが生まれる前に共同体としての意識があります。ですからそこから王を分離していく、家系とかね、宗教とか神と言うのは最初にあったわけではなく、人間の心が神を生み出したという唯物論的な考えを僕はしているんですが。もしかしたら、そういう絶対的なものが何かあって、その啓示的なものがあったのかもしれない。

例えば新石器旧石器時代に矢尻ってありますよね。あれを集めてるんですけどね。アフリカで3万年前に作られた矢尻の形と日本の縄文時代、1万年前くらいに作られたものですよね。形はアラビアで作られたもの。世界中で人間が散らばってコミュニケーションが絶対あり得なかった時になんで石器の形がみんな同じなのかっていうのが文化人類学とかそういう人にとってもわからないんですよね。同時多発的に世界中に動物から人間になった。人間の心にこういうものを作りなさいというような、脳の中に指令が来たとしか思えないですよね。

中村:神話なんかもそうですよね、神話も、まだ海洋民族が発達して直接のやりとりが始まる前から神話の形態というのは世界中で非常に似ていて、動物が乗り移って動物が言葉を話して、など祖型は似ているんですよね。

意識の話で思ったんですが、今回コロナ禍でもう一つ限界点に達したのは都市機能ですよね。都市機能というのは、人間が意識をもち、抽象化する能力を持っていたからこそ、都市が自然を抽象化してる訳ですよね。治水を行い、土をならし、生身の自然ではなく、自然を抽象化して下部構造を整えて、それをインフラにして土台を築いた上に個人が生きている。都市とはそういう人間の意識が抽象化した「自然」の上に成り立っていて、抽象化したインフラの上だからこそ、はじめて多様な個人がその上に乗っかる。そこにバグとか誤配とかが生まれて都市のダイナミズムが生まれるっていう魅力でもあるんだけれども、結局、抽象化したと思っていた自然に、豪雨にしろ地震にしろウィルスでも、都市を破壊するという形で自然の猛威として襲ってきている。人間の意識下で作ってきた都市が、結局自然を抽象化出来損ねていたということがわかったんですね。今回のウイルスはとくに都市の密集というのが、どれだけウイルスにとって好都合かということがわかってきた。
意識を持った人間たちの住まう形態として、もう少し距離を離して暮らせるようになった方がいいんじゃないか、と。抽象化した自然の上に、個々人のコミュニティがもっと島宇宙化して離れるというか、新しい文明の形っていうのがどういうものになっていくのかなというのをすごく考えました。

杉本:結局臨界点に達して、後は後戻りする方向に導かれていくのではないかと思います。都市機能でもなんでもね、東京の品川駅なんか、小田原に行く時にたまに通りますけれど、もの凄い量の人間が渦のように通っていく訳ですよ。それは生命でもね、どんな動物でもあまり密のところにいると気が狂う、あるいは発狂状態ですよね。僕は久しぶりに東京で半年以上住んでいますけれども、山手線に乗っても東海道線に乗っても接触事故がありましたので30分遅れます、とかね、接触事故っていうのは抽象的な言葉になっているけれども自殺する人がそれだけ多いってことですよね。死因の上位を自殺が占めているというのは、実は、若い人が自殺している。

この環境の中で自発的に死を選ぶっていうような心の状態までになってしまったというのが今の都市の臨界点ですよね。僕が子どもだった頃は平家の一軒建てで中産階級の人が小さな庭付きの家に住んでました。あの頃は夕方まで缶蹴りして遊んだりしたんですよね。そういうのが人間の心の普通の情緒というのに刺さっていたと思うんですよね。小さなマンションの中で草木も見ないでずっと育ってしまって、電脳世界でゲームだけで育つと、そういう根本的な人類の心を派生してきたもの、ずっと何万年も辿ってきた心の培養の仕方そのものが根無草になってしまう。生きる力が時々ふらっと失われる。大抵飛び込みで自殺する人っていうのは決心するのではなくて、瞬間的にふらっと飛び込んでしまうらしいんですよね。そういう意味で、今回のコロナがとんでもない災難だと思えるんですけれども、逆にですね、人類全体から見ればこれ以上自然を破壊しながら文明が進んでいくことに対する自動調節機能だとも思っているんですね。土地に対しての人口が多くなりすぎたら逆に自分たちのコミュニティを守る為には、適当な個体数に戻るようにどんな生命種でもなってるんですね、増えすぎると自動的に調整機能がある。だからこれは天命かもしれない。ですから活動しないっていうね、飛行機も乗らない、そうすると航空燃料も使わない、オイルは減産になる、そうすると開発をしない、土地も戻ってくるしそこに植物も育ってくる。悪循環のサイクルが一旦途切れてもう一回元の自然に戻ろうとする自己治癒力なんでしょうね。世界に自然界の自己治癒力が働いて、人間世界に個体調整を迫っている。人間にとっても生存するための条件として与えられているという風に逆に考えると思えるんですよね。

中村:ネズミなんかも個体が増えすぎると崖から飛び降りると言いますよね。亡くなられた方がいらっしゃるので天命という言い方が、微妙なところもありますけれども、でも人間対自然や対地球で考えたときには確かに、ある種の自然治癒というのはもしかしたら結構多くの人がそうであるという風に、人間に鉄槌が下されたんだという風に思った方もいたかもしれないですね…

杉本:ペストの時は神が人間を罰していると言われていたんですけれども、今回は少し違って神そのものを人間が信じられなくなっている時代ということですね。

中村:自殺の話でもそうですけれども、今回の「瑠璃の浄土」も日本人としての死生観、死後の世界をどういう風に日本人がイメージしてきたかということを杉本さんは見せてくださっているわけですが、展覧会を見てて思ったのは、いまの世界には「死」が足りないんですよね。死も足りなければ生も足りないというか。

自殺で電車に飛び込んでしまうというのは、リアルな死もリアルな生も両方ともものすごく足りないという感じがする。例えば死体を見た経験とか私たちは無い訳ですよね。火葬場で焼かれてということしか経験しないし、人が生まれる姿も自分が産むとき以外は見ていないし、死も足りなければ生も足りない。生成の現場というか、ものが生まれてくる生産の現場っていうのも、ものすごく疎外されていて。マスク一つ作れないしマスク一つちゃんとした物も人に届けることもできない国に住んでいるのだなというか、生産というものの価値がこれだけ落ちているということが本当に目の前に迫ってきていて。死も生も、生産というか生命活動ですよね、それが全部足りない。昔の日本人の死生観だともっと、きっと死がイメージできていたんだろうなと、杉本さんが撮影された三十三間堂の仏像を見ていてすごくリアルに感じました。

杉本:死というのは病院などから隠蔽されていますよね。かつては意識がありながら死んでいくっていうのが普通だったんですよね。僕は絶対に自分が死ぬところを自分で観察したいと思うんですよ。自分の心がどうやって失せていくのかなって。

道元の遺偈(ゆいげ)というのがありましてですね。すごい遺偈で、一生かかって修行したけれどもやっぱり悟れなかったと、こうなったら自分が死ぬところを生きたまま見続けて死ぬっていうのがね、遺偈なんですよ。意識を保ちながら自分が死ぬところを見て、やっとその時分かるんですよね。その時にはもうお伝えすることは出来ませんけどね。ですから、チューブに繋がれて、全く無意識で脈が止まるのを待つというのは、人間の生存に対する尊厳に反しているのではないかと思うんですよね。意識が無いと、生きているということにはならないと思うんです。

中村:病院で扱われる生というのは、死が「敵」ですよね。死は悪で、死をもたらす病というのも悪で、悪を取り去らなければならない、という風になっている。今回のコロナ禍では、「戦時中」と表現したり、「撃退する」と言ったり、戦争の比喩になり、排除の論理になっているのですが、本来であれば、死は悪でもなく、病も悪ではなく、病と共に生きることも含めての、死生観、生存観のようなものを持っていたと思うのですよね。

例えば、先ほどあげた田辺元は「死につつ生きる」と言っていて、死が生を媒介するような形で生きる、と。それがすごくしっくり来るんですよね。常に生まれた時から、死につつある、朽ちつつある体なわけで、それがずっと持続しているのだから。そうしたところから、文明論のようなものも、改変していくのかなと思います。

杉本:生きていることが仮の世界であって、死後にこそ救済がある、ということが、世界文明のどこでも言われているんです。ですから、生きていることを、ある意味では苦であると捉えると。現代では、生きていることは苦ではなくて楽であるという風に、近代化と共にすり替わってしまって、死後の世界は、あっても無くても良いやという、意識に上ってこないものになった。それが人間の尊厳を阻害しているような気がします。

中村:例えば広告の女性は皆バラ色の頬で、白い歯で笑顔で、というように、「健康」ということが、いつからファッション的に、大事になったのかと思うんです。高度資本主義社会で、拡大再生産を続けるなかで新しいものを売らなきゃいけないという命題を全世界の人が担った時に、より一層、健康というものが重視されるようになったのだと思うんです。健康に生きて、どんどん新しいものを、新しいアイフォンを買い、新しい薬を使っていかなくちゃいけない。

杉本さんの展覧会で、久々に作品をじっと相対していて、そうだよな、と。「死につつ生きる」ということを改めて思ったんですよね。死がかなり隣接している状態のまま、生をかろうじて生きるという感覚で、展覧会を見終わって、外に出たんです。そうしたら京都の街並みが見えて、本当に、ここにも死も生も足りないな、空疎だな、と感じてしまったんです。現在というものに取り憑かれすぎてしまっていますよね、私たちって。「今ここ」しかいない、時制的に「現在」に磔にされているというか。

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杉本:人間の利潤動機といいますか、エゴが世界を拡大してきました。共産主義で、皆の総合意志で理想的なものを作ろうとしても、結局は利潤動機で、官僚は自分の地位を守るために、ソビエト連邦のような、官僚組織になってしまった。利潤動機が無いというのは、死んだ人間の社会になってしまうので、成り立たなかった、というのを100年かけて実験したということになります。それと同じように、人間の欲望をコントロールした途端にまた人間社会は崩壊するということで、コントロールしようがないということについて、次の世代はどういう風に成り立っていくのか、というのを考えています。

僕は大学の時に、マルクス経済学をやったのですが、価値とは何かということが一番の問題なんです。今というのは国債が何十兆円、世界で言うと何百、千兆円という規模です。ただただお札を刷っているだけで、近未来を食いつぶして今に充てている。破綻するのが目に見えています。超デフレになるはずなんですが、信用というものがあることによって、何となく皆で信用しあってやっている。誰かが、王様が裸だ、と言ったら一瞬にして崩れる、虚構なんですよ。

僕は学者でもなんでもないですが、個人的に、これからはプラス成長の時代ではなくなって、マイナス成長で良いということになるのではないでしょうか。人口減ということも絡んできますよね、日本はこれから毎年人口が減っていく。成長した社会というのは皆人口が減っていく傾向にあります。例えば、今年は、−2%の成長だけれどもその代わり5%人口が減ったら、3%プラスに転じるということです。一人当たりは毎年豊かになる。自然環境は戻っていくし、人口は減っていくし、京都でも東京でも世代が変わるごとに倍の面積が住宅として与えられるようになる。高層はやめて、庭付きの家にして、子供が庭で遊べるようになって、人間の人間らしさが戻っていく、という。そういう、マイナスにしていって、近代化の19世紀くらいまで戻すのが一番良いんじゃないだろうかと。誰も不幸にならないで、縮小していくという、そういうモデルを考えたいですね。

中村:このままずっと文明論を話してしまいそうなので、ちょっと話題を変えましょう。今、日経新聞の「私の履歴書」で杉本さんが登場されていますが、杉本さんは、時代の目撃者という部分があるのだなと。ベルリンの壁崩壊前のロシアをシベリア鉄道に乗って旅行し、東欧を周り、ウィーンについて安心したと仰っていたり、70年代から今までのニューヨークの生き生きとした活写もそうですが、それで言うと、幼少のころの杉本さんは本当に昭和の東京の目撃者なんだな、と感じたんです。東京がものすごく生き生きしていて、猥雑で、あの頃の街にはどういう魅力があったんでしょうか? そこに、何かヒントがあるような気がして。どんな東京だったんですか?

杉本:そうですね。私は昭和23年に生まれて、昭和20年が終戦で、敗戦です。意識が芽生えた2、3歳の頃には、敗戦の記憶がそこらじゅうにあったんです。傷痍軍人はみんな駅にいるし。日本って戦争があって、負けたんだ、っていうのが、子供の最初の意識です。それから朝鮮戦争の特需があって、日本がものすごく経済成長した。うわーっと豊かになっていくのを子供の目で見ていました。ですから、成長神話というか、「青年よ大志を抱け」というスローガンを持っていて、若者なんかは、お金が無くても海外に行って、世界を見に行け、という知的な上昇志向がありました。皿洗いしながらヨーロッパやインドに行く若者が多かったんです。今は、映像で海外ってだいたい分かっているんです。東京~大阪の新幹線代でニューヨークに行けるような、そういう格安プランがあって、1週間くらいふらっと行って、世界ってこういうものなんだ、という認識を得る、そういうものとは全然違いましたね。

中村:でも先ほど思考実験として仰っていた、マイナス成長の世界だと、杉本さんが感じていたような、国が盛り上がっていく、大人たちも盛り上がるから子供たちも夢を抱くというようなエネルギーが無くなってしーん…としていそうだなと思うんです。マイナス成長を生きる子供たちの、これからの世界は、どうエネルギーを注入していけば良いんでしょうか?

杉本:先ほどのマイナス成長の話は、観念的には成り立つとは思いますが、実際に社会実験をするとなると、とんでもなく難しいことだと思うんです。逆にコントロールできなくて、どんどん経済成長が続いていく場合には利害関係が大切です。今までは第一次世界大戦、第二次世界大戦という形で、戦争というのが人間の人口を調節するという能力の機能する形だったんです。ところが、原爆ができて以来、それが総すくみ状態になって、1945年に終わってから何十年も、半世紀以上大きな戦争は無い状態というのは、人類史では異常な緊張が堆積してしまっている状態です。だから、自動的に戦争に突入するという選択肢しか無くなってきてしまう。今、中国とアメリカがどうなるかわかりませんけれども。そうなった時に、僕はもう72歳ですから、次の世界というのは非常に恐ろしいな、と思うしかないんですけれども。実際そこに生きているかもしれませんし。

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中村:政治の話の迷路に迷いこんでしまったので(笑)、次は杉本さんの新しい活動のことを質問して良いでしょうか? ものすごくスリリングな話をさっき伺いました。小田原の江之浦測候所に今建てられているのが神社だと。どういうご予定があるのか、新作について聞かせてください。

杉本:はい。「小田原文化財団 江之浦測候所」というものがありまして、ここは元々、耕作放棄された農地でした。ミカン畑だったものが、ミカンが売れなくなり、若者が東京に行って、働いている方の平均年齢が70歳。おじいさん、おばあさんしかいないという土地で、どんどん荒地になっていったところを安く買って、それを文化施設にしています。13000坪くらいになりました。そこにいろいろな室町時代の門などを移設して、禅寺の様式のようなものにしています。そこに、土地の霊を祀る鎮守の森っていうのがないのはまずい、土地に対するリスペクトを顕彰するような社が無くてはいけないということで、神社を作ることにしました。神社だったら、どこかから御霊を分けて頂かないといけない。財団のコレクションとして、どういうわけか春日関係の古神宝類、宮曼荼羅や御神体などが多かった。

中村:今、細見美術館にも春日神社関係の古物が多く飾られていますよね。

杉本:そうです。ですから、これは春日社に縁があるからということで、奈良の春日大社から御霊分けをしてもらって、春日形式の神社を、今作っているんです。鳥居も作りました。それで正式に宮司さんにお願いをしたところ、非常に快く分霊して頂けることになったんです。2021年の1月に春日若宮鎮座1200年大祭というのがありまして、その儀式の一部としてその時に分けて頂くことになりました。恐らく真っ暗闇の深夜に御神体が分祀されまして、それが箱に入れられて、新幹線で運ばれます(笑)。

中村:春日大社の御霊が新幹線に乗って杉本さんの小田原に来る(笑)。すごいですよね。浩宮様が天皇になられる時も、三種の神器が新幹線で運ばれた、あれは印象的だったんですが。

杉本:熱田神宮の三種の神器の一つ、刀が運ばれていましたね。

中村:御霊受けも春日大社としては戦後初ということなんですね?

杉本:そうおっしゃってました。戦前は、満州国建国の時に各都市に全部春日大社を建てたようなんですが。山下奉文中将によるシンガポール陥落後にも神社を建てたんです。ですからある種、帝国主義的な侵略と、日本の領土になったところに作るものが神社だということになっていました。ですから、ある意味神社には侵略的な、ネガティブな印象というのはあるんですけれども、今度は、国内の小田原で、荒地を整備して、そこに御霊をお迎えすると。

中村:小田原に、春日の神様がいらっしゃるということで(笑)。

杉本:もともと春日大社は藤原氏の神社として神護景雲2年、奈良時代の8世紀に鹿島神宮と香取神宮から御霊が飛来して、白い鹿に神様が乗って奈良までいらっしゃったという風に書いてあるんですよね。鹿島と奈良を直線で結ぶと、小田原の上を通過している(笑)。

中村:出た、杉本史観(笑)、

杉本:そこは、なぜお通りになったかというと、御旅所といいますか、浜松にも春日神社があって、三浦半島にもあって、転々と旅をしながら来たんです。

中村:だから今度は、鹿が小田原に来ると。

杉本:そう。だからあの時のことを思い出しました、っていうんです。

中村:ええ(笑)。

杉本:血の中に、記憶があるんです(笑)。

中村:この映画で最初に取材していた頃は、「僕は神社も建築も専門外だけれども、作っている」なんて仰っていたのが、この10年で、本物の御霊を降臨させるものまでに作るに至ったというのが、私もすごく興奮しました。杉本さんの軌跡として考えると、本物の御霊までも祀られることになったということで。

杉本:奈良に円成寺というお寺がありましてそこが平安の末期に、春日社の建て替えの時に古い社をそこに移したと。それが春日造で一番古い形で残っていまして、それが国宝なんですよね。それを許可をもらってメジャーで測りまして、平安時代の春日社を再現するというのをやっています。

中村:平安時代の神社の原型が、新品で、小田原に建つと。

杉本:だからあと1か月くらいですね。それで、1年間お待ちして、御霊受けをすると。

中村:杉本さんが半年間も日本にいるのは、22歳の時に日本を出て以来だそうです。去年はパリでオペラ座で監督されたり、ずっと海外を飛び回っていて、ちょうど良い頃合いにコロナだったと。

杉本:だから、ずっと籠もりまして、朝4時半頃に目が覚めちゃって。5時頃から頭がはっきりするので、執筆活動を2か月毎日のようにやっていました。一冊本を書きまして、『江之浦奇譚』という、『濹東奇譚』をもじったもので、因縁話というのを12万字くらい、300ページで脱稿しまして。10月9日に岩波書店から書き下ろしで出版できることになりました。コロナが無かったら全然これは書けなかったですね。誰も来ないし、外にも行かなくて良いし、本当に集中できる半年間でしたね。

中村:その本は、和歌があって、その和歌に対する応答みたいな形になっているんですよね?

杉本:最近、和歌に凝って、特に連歌っていうやつですね。連なっていくんですけど。ですから、この江之浦の土地に巡り合うまでのいろいろな因縁話、たとえば平成二年の秋というと、そこでみかん畑を見た。それで和歌を一つ書いて、でそこからお話が始まってその時の記憶を再現したような写真ですね。写真家もやってますから(笑)。いい写真、歌に沿ったイメージが入って、そこからお話が進んでいく。で、44ほどの歌を連なって、歌につられながらずっと話を進めている。

自分でも驚くような、不思議なことが次々に連鎖反応で起こっていって、導かれるままに此処についた。で、お金の目処が全く立たないうちに、ふとした節目で自分の作品が高く売れたりなんかし始めて、そのお金が全部財団の資金に、建築資金になっていくという。で、宵越しの金は持たないっていうんですかね。そういう形で、死んだ時に、キャッシュバランスがゼロになることを理想にして今生きてますね(笑)。常に現金は全部財団に入っていって、なくなってどうしようかなって思ってると、一生懸命作品を作ったりなんかすると、また売れるという(笑)。今度のコロナでまたダメかなって思ってると、今度の展覧会も評判になってですね。かろうじて、綱渡りですよね本当に、人生というのは。あんまりバランスが赤になると、倒産しますから。綱渡りで何とか此処まで来たという。自分でも不思議だなと思いますよね。

中村:そもそも、古物商でらして、物を、平安時代とか鎌倉時代とかの物を実際に触って、その物から、時間を学び、歴史を学び、としてきた杉本さんですから、短歌を扱うようになっていくとまたそこから、それこそ歌人としての歴史が、なにか始まるんじゃないかなという予感がしているんですけども。

杉本:晩年は、詩詠みとして(笑)。歌会始めに招かれるように。

中村:春日大社の御霊がねえ、来られたら、徳仁天皇様がね、新皇様が小田原にいらっしゃってもおかしくないんじゃないか本当に(笑)。

杉本:まあ夢は続きますね(笑)。

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中村:なにかご質問がお有りの方は。はい。どうぞ。

質問者:今日展覧会を見せていただいて、非常に心打たれたと言うか、静寂の世界観に、異世界に入ったような感じで、とても素晴らしいなと思いました。

一つ質問は、神様と仏様と両方が一緒になっているという。私も実家に、一部屋に祖父母の仏壇が、神棚があったんですね。すごく親しい感覚を抱いたんですけど、例えば死後に関してとか、生命観をどんな風に考えてらっしゃるのか知りたいです。現代の社会で死が遠くなっていったってところで、私はすごく思うんですけども、先ほど、自分の死んでいく姿を見たいってすごく面白いお話だなって思ったんですけど、じゃあその後どうなるのかのイメージを持って例えば神社を作られて、もしかしたら山の向こうにとか、何か死生観を伺えたらなと。

杉本:これは話し始めるとね、一日かかっちゃうんですけども。非常に手短に言うと、まあ普通のうちには神棚があって、仏壇があるというのは普通のスタイルだったんですが、マンションになったら仏壇はほとんどなくなりましたね。で、お寺に位牌を預けちゃうとかそういう家が多くなって、神も仏もあるものかって言う時代になったんですね。でも僕はですね、神様のほうが先に日本にはいて、その後から仏教が入ってきて、仏教の哲学的なエネルギーに圧倒されて、神様のほうが仏教にすり寄っていって、神仏習合っていうのが成り立ったのが平安初期ぐらいから平安末期にかけてかなと思うんですね。

ですから日本人は本当に、縄文時代から森に、なにかこう、いらっしゃる。木々に精霊が在るっていうんですか。すべてのものに、命に霊が宿っているという非常にアニミズム的な信仰というのが非常に一般的で。そんな神木のようなもの、大きな岩倉とかですね。木を切ったら祟るっていう、祟りの感覚のほうが大きかった。しかし文明というのは森を切って耕地を作ることですよね。動物を使って家畜化すること。ですから、日本人は、そういうことをしちゃいけないっていう風に感覚的に思ってきたんですね。というのは日本の自然って、森も豊かだし、海岸には小魚もいるし、それを壊してしまったら自分たちの食生活の基本が壊されてしまうんじゃないか。そういう清らかなものと穢れっていうものとをはっきり分けて、森を切ってはいけないと。ところが、圧倒的な中国文明が入ってくることによって多少は文明化せざるを得なくなって、嫌々稲作を受け入れ始めたというのが7世紀頃くらいからかな。それから仏教の神々を、仏様たちを日本の神々にあてていって、神仏習合という形態が、起こるのが節目でね。それが急激にこの近代化の中で、失せていくという、大雑把に言うとそういう歴史だったと思うんですよね。

ですから、都会の中で、木もなければ森もないところで、どうやって神々しい感覚を自分の体に、戻すかというときに、生まれたときからないんですから、そういう感覚が子供に宿るわけはないですよね。これから地方分散でコロナでみんな田舎に戻るっていうのは非常に僕いいことだと思う。

中村:杉本さんの死生観で言うと、まだまだ忙しくて死ねないとおっしゃっていました(笑)。

杉本:私の歴史の最終回はそういうオチで。晩年になったらゆったりした時間がね、流れるかと思ってたら私の場合は逆で。あまりにも、歳を取るにつれて加速度的に仕事が増えていって、私は忙しすぎて死んでいる暇がないっていうので、終わります。ネタバレをします(笑)。

中村:デュシャンの墓碑銘「いつも死ぬのは他人…」がありますけれども、杉本さんはいつもオチを考えている人だから、墓碑銘など考えているんですか?と質問をしたんですけど。

杉本:それは流石に、言っちゃおしまいよ(笑)。

中村:言っちゃあおしまいよ、ということで(笑)。そういうことです、はい。私の司会が行き届かなくてあっちゃこっちゃ長くなりましたが、ありがとうございました。お気をつけてお過ごしください。

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(了)

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『はじまりの記憶 杉本博司』
2011年/日本/81分
配給:Playtime

出演:杉本博司、安藤忠雄、李兎煥、野村萬斎、浅田彰

監督:中村佑子
音楽:渋谷慶一郎
ナレーション:寺島しのぶ
プロデューサー:大出寛之、古谷秀樹、中村佑子

★出町座で本作のDVD(税込¥5,170)販売取り扱っております!
文字起こし:刀根栞里、藤原萌、前田万里奈、松澤宏道(映画チア部京都支部)
編集:田中誠一(出町座)、宮迫紀彦(CAVABOOKS)編集協力:中村佑子



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