虐待由来のPTSDから「解離性障害」になってたっぽい

ここ数日

「自分は解離性健忘なのではないか?」

という気持ちが高まっていた。

「解離」「離人感」これらの言葉を知ったのは10年くらい前だっただろうか。知ったときに

「これや! めっちゃフィットする!」

と初めてしっくりくる靴を履いたような喜びをかんじた。離人感も解離も、イチから自分の言葉で説明するのは難しい。どなたか賢明な先人がその難しい概念に名前をつけてくれたおかげで、私の生活の質は上がった。

医師にも「離人感があるんですよね~、解離しちゃって」

と言えば一発で通じる。便利だ。

◆◆◆

そんな折「解離性健忘」という言葉を鈴木大介さんのエッセイで目にした。

この言葉は、数年前から知って【は】いた気がする。気がするというのは、アマゾンの履歴に「わかりやすい解離性障害の本」なるものを2014年に買った履歴が残っているから。そして、私はその事をすっかり忘れて、健忘して、いたから。

単に忘れたのではなく「健忘していた」というところがひっかかる。

2014年の私は、解離性障害と向き合うだけのキャパがなく、自分でも気づかぬうちに、その本で読んだ内容を健忘したのだろう。つまり本に書いてあった解離性障害の内容にに心当たりがありすぎたと思われる。

自分が「解離」するということは自分で認めていた。けれど「解離」のうえで「健忘」する、まだこれは自分で認めていない。解離した上での健忘は「わすれんぼさん♪」ですまされない怖さがある。できるならこのまましらんぷりして生きていきたい。

だがしかし、ここ最近「解離」した自分の各方面への無礼かつトンチキな言動が目に余るようになってきた。自分で自分が恥ずかしい。

◆◆◆

そこで精神科の主治医に相談した

大和「さいきん〇〇、〇〇、〇〇、などのことを忘れていたと人さまからの証言で判明しまして、自分が解離性健忘かどうかわからないんですが……」

医師「解離性健忘でいいんじゃな~い?」

◆◆◆

というわけで解離性健忘であることが判明した。

大和「原因は?」

医師「PTSDですね」

私は親からの虐待で今もPTSDの治療を受けている。なるほど、納得できる話だ。

◆◆◆

アタマでは納得したものの、気持ちは大きく乱れた。「わたし」を落ち着かせるためにカフェに入った。上に生クリームを乗せてもらうのが好きだからオーダーはエスプレッソ・コン・パンナ。コン・パンナが「with 生クリーム」って意味だ。たぶん。

(コン・パンナって言えた……全部忘れてるわけじゃないんだ)

少し勇気が出た。

◆◆◆

だけど「わたし」がなんだか悲しんでいる。他人ごとのように書くけど、私の感覚としては、自分は特に悲しくない。胸がぎゅっと痛いし呼吸も苦しくて、体が悲しいと訴えている。でも私としては

「悲しい……のか?」

と疑問形だ。やがて涙が出てきた。私自身は泣いてなんかいないのに。

「なんか『わたし』の奴が悲しんで、泣いているようだな。」

またまた他人事のように思う。悲しみ、泣いてるのは私の体なんだけど、私にとっては他人事なんだよな。

これが解離なんだろうけど。

涙が止まらなくて恥ずかしいから、コン・パンナも早々に席を立った。とにかく安全な場所に逃げたい。人から隠れて過ごしたい。恥ずかしい。怖い。怖くてたまらなかった。



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