見出し画像

「曲」に背中を押される

 やりたいこともうやればいいじゃん、幸も不幸も自分次第でしょ———

 私の好きな曲に、そんな歌詞がある。

 世の中には「頑張れ」だとか「やってみよう」だとか色んな応援ソングとやらが蔓延している。けれど、その中で本当に心を動かされるのは、ごくわずかな気がする。

 先日、ザ・ルーデンスさんの楽曲を、友人とカバーさせていただいた。
この曲をどう歌おうか、どんな動画にしようか、と考えながらルーデンスさんの曲を聴いていると、ふと、羨ましいな、と思った。
 羨ましい。
 それは、ここまで純粋に音楽を愛せることだった。

ヨハン・ホイジンガは言った。 「人間とは”ホモ・ルーデンス=遊ぶ人”である」と。 遊びこそが人間活動の本質であると。

「ザ・ルーデンス」YouTube概要欄

 「ザ・ルーデンス」というのは音楽バンドだ。
ちなみに冒頭の文章は「いいじゃん」という曲の歌詞で、明るくてちょっと能天気で、好奇心旺盛な感じがめちゃめちゃルーデンスさんなので是非聴いてほしい。MVがかわいい。

 ルーデンスさんの曲には明るい曲が多い。
 現状から一歩を踏み出す曲、自由気ままに歌ってみる曲、そんな歌たち。
 分かるよ、今から変わるのは大変だ、線路から逸れるのは怖い、でもその先に楽しいものが待ってるかもしれないじゃん、その方が楽しめるかもしれないじゃん――そんな、私たちの躊躇う気持ちを理解して、一緒に手を取って走り出してくれるような。

 彼らが最初にYouTubeに投稿した動画は、何のことないカバーだった。

  こういっちゃなんだが、生活感溢れる背景。リラックスした雰囲気。このサムネイルだけ見て分かる通り、結構緩い、いわゆる「歌ってみた」などの作り込んだMVやMIXとは一線を画している。
 勿論私は「歌ってみた」も好きだ。洗練された音楽にMVは見ていて飽きない。
 けれど、私は、ルーデンスさんのこの素朴さに、音楽を愛しているが故の飾らなさに、強く惹かれてしまった。

 かれこれ半年くらいだろうか。去年の夏頃にハマって、それから追い続けて。
 ルーデンスさんは、着飾らない人だ、と痛感する。
 このツイートにもあるように、彼らは決して順風満帆な、社会の望むようなレールに乗ってきたわけではない。それでも楽しそうに歌って、楽器を演奏して、音楽を心の底から楽しんでいる。愛している。そのひたむきさに、羨ましいな、と思ってしまったのだ。

 私はずっと前から音楽が好きだった。
 小学生の頃にボカロにハマった。CDも少ないお年玉で何枚か買った。受験時代はYoutubeで新曲を漁るのが唯一の休息だった。お昼の校内放送でボカロを勝手に流して怒られた。ボカロ好きの友人が出来た。「中学生になったらボカロを作るんだ」と夢物語を話した。
 そしてそれから、数年が経った。
 曲を作ろうとしたことは何回だってある。そしてその度に挫折した。
 メロディーを打ち込む。ピアノを弾いてみる。コードを考える。触ったこともない楽器の楽譜を作る。そんな作業をしていて、ふと、

「これって何になるのだろう」

と醒めてしまうのだ。

 自分が今作っているものはなんだ? 
 これを作ってどうするんだ? 
 これを作って誰が聴いてくれると言うんだ? 

 そんな気持ちに苛まれ、作りかけとも言えないような音の断片が、今もあちこちに散らばっている。書きかけの楽譜に声の録音。「自分には向いてない」と何回もペンを放り投げ、その度に他の楽曲に憧れては、ピアノを開けて、また投げ出して……。

 そんなときだった。ザ・ルーデンスの楽曲の、カバーの誘いが来たのは。

 私を誘ってくれたのは、他の曲のカバーも一緒にしたことのある、ネットの友人だった。
 住む場所は直線距離で400kmは離れているだろうか。年齢はもう何歳差か考えられない。彼女は歌が上手かった。そして切り絵が上手だった。私は歌が得意でなくて、絵と文章を書くのが好きだった。(ここではEさんと呼ぼう)

 彼女はザ・ルーデンス結成4周年に合わせて「freeeeedom」という楽曲を一緒に歌わないか、と私に言ってくれた。歌うことは好きだ。それに気心も知れている。やりたい、と私は快諾した。

  結局彼女と、私と、もう一人共通のネット上の友人(Kさん)と三人でこのプロジェクトを進めることにした。

 それから歌って、練習して、録音して、ピアノを弾いて、MVに絵をちょっと書いて、何回も話し合いをして、時間はあっという間に過ぎていった。日常の隙間を縫いながら、それでも着実に、私たちは歩みを進めていった。

 Eさんは動画編集とギターを。Kさんは動画に使う絵を。私はピアノを。一緒にものを作り上げていくこと、誰かのことを考えて作業すること。(あと文学部とは違って、世間一般の締め切りは守らなくてはならないものだということ)
 それはすっかりのめり込んで、気が付けば完成した音源を何度も聴き直してしまうくらい、本当に楽しくて、刺激的で、全くの新しい体験だった。

 4周年当日。
 Eさんが動画のリンクを貼って、「お祝いに歌いました」とツイートしてくれた。
 どんな反応がつくかな、喜んでもらえるかな——私は期待と、プロジェクトが終わったことへの達成感と、ランナーズハイ的な興奮と、もうKさんとEさんと動画を作ろうと奮闘した日々は終わったんだ、というわずかな哀愁を抱きながら、少しずつ増えていくそのツイートのいいねを眺めていた。

 そして数時間経った。
 ルーデンスさんから感謝を告げるリプライと、RTといいねを貰った。

 その文面は本当に嬉しそうに見えて、また「初めてカバーしていただきました!」とツイートされているのを見て、ああ、私たちは大好きなバンドの記憶に残るようなことをしたんだ、と痛切に、染み入るように感じた。正直に言って、飛び上がるほどにめちゃめちゃ嬉しかった。
 それは本当にかけがえのないものだった。
 自分たちの歌が、演奏が、動画が、それが確かに人の心を動かした。それは紛れもない事実で、一生かかっても味わえないものかもしれない、あまりに貴重な何かだった。

 私でも、人の心を少しでも揺さぶることは出来るんだ。
 自分の行動で、他人を笑顔に出来るんだ。

 そんな衝撃と感動に打たれ、その夜、届いたルーデンスさんからのリプライと動画を喜んでくださったツイートを見て、ひそかにガッツポーズした。


 結局のところ、私はルーデンスさんに喜んでもらうために歌ったのに、私が勇気をもらってしまった。
 そして決意した。
 今度こそ、曲を作ってみよう、と。

 今まで考えてみたら頭でっかちだった。作るなら完璧にしなければならない、と。最初から完成品を求めすぎていた。
 小説にしろ絵にしろ、そして曲にしろ初心者が完璧なものなんて作れるはずがない。それを忘れていた私は傲慢だった。

「やりたいこともうやればいいじゃん」

 確かにそうかもしれない。それだったら、今こそ、躊躇っていた一歩を踏み出すときなのかもしれない。

 この春の目標は「曲を作ること」。資金はない。ピアノとスマホとパソコンしかない。けれどそれだけあれば十分だ。今はUTAU音源も沢山あって、作るだけならVOCALOIDを買わなくてもいい。

 最後に。
 このルーデンスさんの曲の歌詞を、読んでくださった方と、自分の為に。

「まだ早いもない、もう遅いもない、今から始めよう」


少しでも良いと思ったらサポートしていただけると嬉しいです、励みになります……!