失ってわかる大切さなら最初から大切にしていればいいんだ

終業式の日に「このクラスもお別れだねー」ってさようならを告げた後、退任式でまた同じクラスで顔を合わせるのなんか気まずくない?

3月も後半。あと少しで高2が終わるというころ…
あれ、もっと美しい”おわる”の表現あったなと思い中学生のころ買った漢検漢字辞典で”おわる”を調べてみました。

【終わる】
おわる。おえる。はてる。しまう。すませる。最後。はて。おわるまで。ついに。とうとう。

【卒わる】
しめくくる。つきる。

【了わる】
おわる。しまう。さとる。物事の決着がつく。済む、けりをつける。

【訖わる】
おわる。おえる。とまる。やむ。おわりになる。おしまいになる。

【竟わる】
おわる。おえる。きわめる。つきる。ついに。とうとう。さかい。わたる。連なる。

【畢わる】
おわる。おえる。ことごとく。すべて。物事が尽きておしまいになる。すっかり済む。

いやー、、ぜんぶ当てはまるな・・・。正解ないやん

そういえば”畢”を使った漢字で「畢生」という言葉を知っています。

【畢生】
終生。生涯。一生をおわるまで。

個人的にめっちゃ推してる歌手に花譜という方がいるのですがその方の曲の中に「畢生よ」という曲があります。リンク貼っとくから聞いてほしいな。いい曲だから。

自分の好きな曲をみんなに広めたいってのとひっそりと自分だけ知ってる優越感に浸りたいという相反する気持ちをかき混ぜてマシュマロを作りたい

そんな幼い心に沁みる歌詞と歌声。最高!

一番好きな歌詞は?と聞かれると困ります。全部好きだもん。

証を残したかったり 大切なものがあったり 死に絶えた選択肢が 鈍い心に染みる

畢生よ

何かを成し遂げたり譲れないプライドがあったり大変な一年

奪う者と奪われる者 失敗したら失敗したまま すれ違う生涯すら様々 じゃあ僕は何をしてんだ?

畢生よ

いろんな想いを持った人がいて「自分は何をしてるんだろう」と思ったり…

見失ったものばかりで 守れなかったものばかりで しかし 確かに胸を張って なりたい未来がある 愛すべき者達を 愛すべきと気付いた 畢生よ 終わるのなら あなたの希望となる

畢生よ

クラスが変わると関わる回数は確実に減るから今のうちにクラスメイトは大事にしなさいという意味も込められているのでしょうかね。

昨年度の6月に聞いて未だに聞き飽きない曲です。

そういえば「了」という漢字の成り立ちなんですけど子どもの腕を切り落とした姿って聞いたことあります。なんでだろう。

どうやら昔の中国で罪を犯した子どもは両腕を切り落とされてたので子どものうちに両腕が無くなる=人生の”了わり”を意味しているそうです。怖。

子どもの腕を切り落としたのが「了」ならば大人の腕を切り落としたのは「人人」になるのでしょうか。クーポン券の語源って”券券”って意味だから似たものを感じますね。

全国の自分と同年代の人数が約109万人だったことを知り
「一クラスの人数がだいたい40人だから109万分の40の確率じゃないとクラスメイトに会えなかったのか」
と思ったとある日の夕暮れ。109万分の40を約分すると 1/27250(0.0037%) となるのでどのくらいの確率かなって調べてみたんですけどどうやら飛行機が墜落する確率と同じだそうです!また残酷な話出てきたよ…

今まで飛行機の墜落に巻き込まれたことなんてありませんしそうやって考えると今のクラスメイトに出会えたのは本当に奇跡としか言いようがないですね。「友達は宝」という言葉もあるぐらいだから奇跡的な確率で宝を手に入れたとするとソシャゲのガチャで欲しいものが当たらなかったり大事なじゃんけんで負けたりする理由がよく分かりますね。競馬に負けて叫んだりパチンコで全財産をスッて店前でうなだれてる人を見てて「竟わってんな」「かわいそうだな」と思ってたのが「学生時代すばらしい宝を手に入れた人なんだな」とポジティブに捉えることで日々の生活がほんの少しばかり明るくなりますね。そうでもないか。

失ってわかる大切さってあると思うけど無くなってから「好きだった」って思うぐらいなら最初から好きになっとけって思うのは愚考でしょうか?「諸行無常」「盛者必衰」「万物流転」「有為転変」など世の中の移り変わりを表す言葉はたくさんあるのにWindowsの背景の美しい写真がいつになっても色褪せないのはなぜでしょうか?

ひとの心ってたんじゅんですね。隣の芝生は青く見えるとかいって「あのクラスの方がよかったー」とか嘆くくせに三学期になると「このクラスから離れたくないよー」って泣き喚くのはおそらく自然の摂理でしょう。サーティーワンで好きなアイスをピックしたあと友達の選んだのを見て「それもおいしいよね。それ選べばよかった。ひと口ちょーだい♥」って言ってる人結構いると思うからやっぱ自然の摂理には逆らえないんだなって・・・思ったりして。

来年は高校生卒わりの年だし「高校時代これやっとけばよかったー」なんて後悔することがないように学割効く店とかよく行ってます。

学割のために留年する人っているのかな?ずっと高校生も楽しいと思うけど留年を許さない世間の目と人生の二度と取り戻せない高校生活を一生楽しめる嬉しい気持ちに押しつぶされそう…。

トイザらスに来た子どもぐらい話が寄り道してしまいましたね。子どもっていいな。別れなんて知らなくて。3歳の時に母方のおじいちゃんが亡くなってお葬式に行ったり骨上げしたらしいんですけど何にも覚えてないし悲しい記憶もありません。家族の悲しみをよそに「うわー骨だー」とか言ってたのかな?そんなnoteの背景のように純粋無垢なまま育ちたかった…

「終わり良ければ全て良し」ってなんて都合の良い言葉なのでしょう。最初の頃「なんやこいつ」って思ってたのに関わっていくにつれてほんとはそこまでヤバい奴じゃなかったなって。逆に最後の方になるにつれて本性現すやつもいて「うわ、、こいつこんなにやばかったんだ」なんて思ったり。でもなんだかんだめっちゃ嫌いなあの人も、ウザかったあの人も、「もう最後だし」なんて思うことで今なら許せる気がする。もしかして嫌いな感情ってツンデレ?
まあ初めから卆わりまでずっとヤバいままで評価上がらなかった人もいるんですけどね…

さて、文字カウントを見てみるといつの間にか2500字になっていたのでそろそろ書くの訖わりたいな。

高校生って二度と取り戻せないし長い人生のうち高校生活の経験がほとんどを占めるんじゃないかなって。つまり高校二年生って実質人生みたいなもんだ。その人生がおわる。だから「畢」この字を当てはめます。
「高2が畢わる」
なんか美しいですね。

”おわり”は寂しさもありますが新しいことへのチャンスでもありますね。みなさんはどの”おわり”を当てはめますか?


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