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三門つばめという人のこと

エッセイを書きたくなったので、嘘のエッセイを書くことにした。
フィクションです。




「未成年者には居場所がないのではないか」、と昨日言われた。
それへの答えは、当然、Yesである。



15歳の時、ひとりで家を出て、最初にやったことは身分証の偽造だった。
働くのに必要だからだ。 
嫌悪感から、ついでに、名前も捨てた。

1999年3月20日生まれ、三門つばめ。


「つばめさん」という名前は、今でもよくわたしにあっていると思う。何かを言い当てていると思う。
何から着想したのかは思い出せないが。

生きるのに必要だと思ったので、迷いはすこしもなかった。
単にGIMPを起動して、文字をひとつずつ置き換えた。
それだけの簡単な仕事だった。

仕事の面接では、身分証を忘れてしまったと言って、スマホに写した画像を見せた。
コピーはそれを印刷して提出すればよかった。



その頃、バイト先の店長の事務所や、行きつけのバーを転々として夜をやりすごしていた。
その日のアルバイトの給料は、すべてその日のうちに食事や酒代に消えた。

夏からそんなことをしていたが、季節はもう冬だった。
雪の中で眠れば死ぬ。

いろいろな施設が開いている昼間に眠らなければ、眠る機会はない。
駅は深夜1時になると閉まってしまうが、ベンチは広くてよかったので、よく眠っていた。
あるいは、窓から実家に侵入し、かつて自分の部屋だった場所で寝ていた。

大抵の日は、ありがたいことに、そのようにやり過ごせたが、そうできない日も少なくなかった。

一度などは、金も人脈も底をつき、ひどい猛吹雪の中で外で過ごす羽目になったことがある。

誰も寄り付かない、近くの自然公園まで歩き、脚の長さよりも深い雪をわけいって、公園の東屋の中で寝た。
幸運にも、東屋の横にはその屋根の高さまで雪が降り積もり、外から見るとちょうど地下室のようになっていて、屋根の下に入れば雪と風は避けられた。
さらに、その下は少し地面も出ていて、何とか死なずに朝まで吹雪をやり過ごせた。

あるいは、実家で寝ていたら家族に見つかりかけて、上着もなく靴も履かずに外に飛び出して2時間ほど近くの公園に隠れていたこともある。

よく凍傷にならなかったものだ。
奇跡的に五体満足のままここまで来ている(諸説あるが)。


つまりは、当時、とにかく落ち着いて眠れる場所が欲しかったのだ。

そこで、寮つきの仕事をしようと思った。
偽造身分証はさすがに賃貸の信用審査には耐えないだろうし、そもそも偽造なので戸籍の実態がない。
見つかる・告発されるリスクも高い審査は受けたくなかったので、寮がよかった。

工場、風俗、いろいろあるが何でもいい。
とにかく、東京に飛んで、造った身分証で「やりなおしたい」。

しかしそのためには、やはり「モノ」としての身分証が必要だった。

意外に思うかもしれないが、風俗は特に身分証のチェックがすごく厳しい。
わたしみたいなのがいる上に、警察からの監視も厳しいからだ。
正直に言うと、ひとつも通らなかった。

もっとクオリティの高い偽造身分証が必要だ。
わたしは考えた。

Twitterを叩けば、出るわ出るわ、有象無象の「身分証偽造業者」たち。

大半は詐欺なんだろうが、はっきり言って、生活がこの状況では、詐欺だろうが人身売買だろうが些事である。
一人選んで、DMを送った。

対面での直接交換だ、と言われた。ものをつくるには数週間かかると。
取引地は東京。新宿駅。では、3週間後に、と。
わたしは証明写真機で自分の写真を撮り、「三門つばめ」という人間のプロフィールを送った。

もう2月も終わろうとしていた頃だった。積もった雪もかなり減ってきていた。



 
わたしは、取引と就職、生活、また自分自身の命と尊厳のために、やはり年齢を偽って東京へ行く飛行機を予約した。

飛行機には乗ったことがあったが、一人で乗るのは初めてだった。予約を取るのも。そして、東京で降りるのも。

COVID-19が日本でも流行り始めただとか、そんなニュースが出始めた頃だった。
自粛、自粛と叫ばれて、片田舎の地方空港はおろか東京行きの飛行機までもがらんどうだった。

不慣れなガーゼマスクで顔を隠して搭乗した。


そんな東京へ向かう飛行機の中で、いろいろなことを考えた。

苦痛、生活、友人、苦痛、仕事、苦痛、苦痛、苦痛。精神病棟。向精神薬。自殺、鎮静剤、荒縄。

「戦い疲れた」としか言いようがなかった。
もうわたしは戦い疲れた。
しかし、何と戦っていたんだろう。
せっかく取った飛行機の中で、戦い疲れたという気持ちになって、「帰りたく」なった。

実家に帰ったら、また病人扱いされ、精神病棟に入院させられることは見えていた。

その入院は一体どれくらいの期間になるんだろうか。

でも、別に、それでもいいじゃないか。
こんな生活よりも、病棟や刑務所の方が何億倍もマシだ。
わたしはもう疲れてしまった。疲れてしまった。疲れた…


身分証との交換用に握りしめてきたなけなしの数万円を、全部東京で遊んで使うことにした。
帰りの便を予約した。
帰ったら、精神病棟で暮らそう。別にいいじゃないか、それで…

飛行機を降りてすぐ、取引相手に「やっぱりやめる」と連絡した。
当然相手は激昂し、顔写真入りのポスターを撒いてやる、などといろいろ脅迫めいたことを言っていたが、失うものなど何もないのでもはやどうでもよい。

着拒が追いつかない勢いで、電話とSMSの通知が鳴り止まなくなったので、SIMカードを抜いてへし折り、かなぐり捨てて、静かにした。
どうせ電子機器は精神病棟には持ち込めない。


東京にきて、本物のメイド喫茶なんかを初めて見て、楽しんで帰った。
3日ほど滞在し、お金はぴったり使いきれた。

テレビの中の風景だと思っていたものが本当にあるんだなあ、と少し楽しかった。
見たこともないほど狭い路地。
自粛が叫ばれていて、人出はかなり少なかったのだが、それでも田舎から来たわたしにとっては多すぎるくらいだった。

その気持ちを今でも思い出せる。


地元の空港に戻ったとき、親に出迎えられ、そのまま精神科に送られた。
爽やかな気持ちだった。
3月の、17歳の誕生日の直前のことだった。
家を出てから、1年半もそうやって戦っていたのだなあ、と気づいた。

鎮静剤を打たれて、また喋れなくなった。




そうして、精神病棟から出てきた頃にはもう5月か6月で、真っ青な空と青々とした葉が目に沁みた。
病棟の中にはやさしい色しかなかったので、その色さえも新鮮に映った。



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