「なりたい自分」と「ありたい自分」

今年2回目の投稿です。
まず、ぜんぜん一粒万倍になっていないことをお詫び申し上げます。でも反省はせずマイペースに続けていこうと思います。
今日、文章を書きたくなった理由は、伊日通訳者でエッセイストでもあるMassiさんの投稿に「なりたい自分」という言葉が使われていたから。
本筋は、Massiさんが庭師だったお父様に伝えた言葉への後悔と、それが現在の仕事につながっているというエピソードです。

この投稿の中で「なりたい自分は一生解決できない」という表現があり、それと、スポーツ心理学の研修で教えてもらった「ありたい自分であり続ける」という言葉が、私の脳内でリンクしたので、何がどうなってリンクしたのかの備忘録として書いています。日本語ですが数学の証明のような論調です。

スポーツ心理学の研修は、「自分を常にゴキゲンな状態に保ち、最高のパフォーマンスを発揮する」方法を学ぶという内容でした。(興味のある方は 『辻秀一 スラムダンク』などで検索してみてください)
この方法の中に、「ありたい自分の姿を定めて、ゴキゲンな状態に保つ動機付けをする」というステップがあり、ここで言う「ありたい自分」とMassiさんの言う『なりたい自分』は同義のように感じました。
スポーツ心理学の研修における「なりたい自分」の定義は、ある到達点の目標であり、到達した時点で目標ではなくなるもの。一方、「ありたい自分」は状態目標で、その状態を目指すことだけでなく維持することも目標の一部となり、動機付けを失うことはないもの。
Massiさんの『なりたい自分』は「陰ながら誰かを支えられる」と書かれており、上記の定義に照らし合わせると、それは状態目標で「ありたい自分」に当てはまるのではないかと捉えました。(間違ってたらごめんなさい)

ここでふと、自分のことを振り返ってみると、研修を受けた当時はこの差は理解できてなかったし、現時点で確固たる「ありたい自分」の姿も定まっていない気がします。
ただ純粋に、学問や技術・趣味を探求するのが楽しくて走ってきたことは間違いなく、この中に「ありたい自分の姿」のヒントはあるのかな。と思います。

みなさんは、
「ありたい自分の姿」を持っていますか?


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