その空間に長居は可能か?
私達は、どうしても今ある環境を肯定しようとします。
それは今の環境に不平・不満・愚痴ばかりを言ってる人にうんざりしたりすることが多いからかもしれません。
幸せの青い鳥はここにいた・・・
誰でもそう思いたいかもしれません。
今ある環境を肯定するのは、精神的には美徳なのかもしれません。
しかし、多くの人が今身を置いてる住環境・職業環境・コミュニティーなどは、ある一定以上の期間を超えてそこに長居することがそもそも可能な空間なのかという疑問も生じます。
私達は、永続性を前提とせずに誰かと結びつくのは純粋でないと感じるのかもしれません。
ここにいる人たちはいい人ばかりだから...いままで色々なところで結構聞かされました。そこに慰めを見出すのは悪いことじゃないし、むしろ素敵なことでしょう。素晴らしいことかもしれません。
ここに15年以上住めるのかな?っていうようなプレハブ住宅が増えている印象をうけます。買った人たちにしてみれば、やっとこさ手に入れた念願の一戸建てなのかもしれないし、結構しあわせに暮らしているのかもしれません。一等地の豪邸や高級マンションに住んでる人がよりしわせな生活を手に入れてる証拠はありません。
なぜこんな文章を書いているかと言えば、ひところに較べて住環境や職業環境は悪化してるところが増えてる印象をうけます。
社会は基本不況なんだし、若い人口が減る一方で、いいかげんラクをしたくて妥協ばかりしてるオジサン世代のボリュームが最多で実権を握ってるとなればこうした劣化はやむを得ないのかもしれませんし、オジサン世代にしてみればしかし若い人に呈したい苦言は正直減らないのかもしれません。
自分の欲求や要求を追求するのはエゴと考えてしまい、いまいる場所から生じる苦痛を気の持ちようだけで乗り切ろうとしてる健気な人が多いのかもしれません。
分化的な独立はしばし避けられません。分化がある一方で統合もあります。
統合は企業の吸収合併や、ヨーロッパの国々がEUに統合された例がわかりやすいでしょう。分化はEUからの独立を宣言したイギリスや、卑近な例では会社を辞めて独立したなどです。
分化はしばし苦痛を伴うのかもしれません。EUからの独立を宣言したイギリスも国民投票でそれが決まったときは、当のイギリス国民がショックをうけたそうです。
しかし分化を避ける現状維持も場合によっては苦痛です。
ある種の職場や住環境はそもそも構造的に長居は難しいと思われます。
長居がそもそも難しい構造であっても長居が可能なのは主婦のパートタイマーとかそこでの対人調和に価値の重点を置ける人に限られる気がします。
どういった住環境や職業環境が長居が可能でないのかの具体的言及はここでは避けます。そこにいる人やそこで長くやっていくことに希望を見出している人に大変な失礼になってしまいますし、第三者のジャッジよりそこにいる人の主観や希望のほうがどちらかといえば大事でしょう。
ただ、こんなはなしをする前提として住環境や職業環境で、もしそこでの対人調和をもっとも大事と考えられるのでなければ、そもそも構造的にそこに長居は難しい場所が増えてるんじゃないかという印象を受けているということです。
はなしはかなりかわってしまいますが、TOKIOメンバー山口事件が少し前にありましたが、いまはハワイに雲隠れしてるそうです。外国に逃げなければいけないほど重い罪だったのだろうかという気が個人的にはしますが、日本という国の暮らしづらさについてなにか物語っているのかもしれません。飲酒癖も強かったということでTOKIOのメンバーであるという職業環境からくる自己矛盾も大きかったのかもしれませんし、かといってTOKIOを事件前に自主脱退もムリだったのかもしれません。
場所に対する自己矛盾の一つの例として話題にしました。
はなしをまとめると、対人調和欲求は重要なものかもしれないけど、しかし、住環境や職業環境を今一度見つめ直して、そもそも長居が可能な構造か?と問うことも大事かもしれないということです。そうはいっても一介の主婦や被雇用者でしかない私たちがそんな問いをもったところで何ができるのか!と言われればわたしも答えに窮してしまいますし、それは構造の問題ではなく、そこにいる個人個人の考え方や価値観に拠るといわれれば、そうでないとも言えません。しかし長居が構造的に難しい場所もあるのかもしれません。
こんなことを考えたのはcakesの平田はる香さんの「わざわざ平田の移住日記」という都会から長野へ移住して家を建てるはなしを読んだからです。わたしは団地の一階という結構ストレスの多い住環境(エレベーターとかはないので上の階も色々悩みがあるのかもしれません)に長いこと気の持ちようで仕方ないと踏ん張ってきたのですが、平田さんの記事を読んで、こういう生き方もあるのだなと思いました。もちろん平田さんだからできたことなのかもしれないし、それを見ていいと思ったひとがすぐに真似できるものではないだろうし、真似したら、やっぱり田舎の生活は自分には合わなかったなんてことも考えられます。
当座の対人調和も大事だと思うのですが、住環境や職業環境の矛盾を全面的に諦めによって放棄してしまうのは、まだどうにかなる年齢や状況であればどうなんだろうと思い始めました。
もちろん、それを今いる場所からの分化や独立によって成そうというんであれば、結果的に失敗してさらなる泥沼へ落ちていくケースもなくはないでしょう。平田さんの事例は成功事例でしょう。
もちろん四十年後とかそんなはなしになればまたなんとも言えません。
しかし、わたしを含めて、そもそも長居が困難な場所に気の持ち様で変化を拒んでる人も多いんじゃないかと思ってこんな記事を書きました。
サポートされたお金は主に書籍代等に使う予定です。 記事に対するお気持ちの表明等も歓迎しています。