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YMO Megamix

83年にYMOが散開した。それから3年後の86年、突然〈アルファ・レコード〉からリリースされたメガミックス作品がこれ。当時のYMOファンによるブログなどを読むと、YMOロスの人々はこぞって購入したがその内容については賛否両論だったことがわかる。それまでのYMOは、ニューウェイヴ〜テクノポップの文脈で語られてきた。しかし、本作ではそのYMO作品をedit〜scracthといった手法でメガミックス〜リミックスとして仕上げられた。つまり、それはDJ文脈への組み替え作業でもあったのだ。文脈が違うのだから賛否両論あるのは当然。YMO本人達は知らないがレーベル・サイドはそんなことも折込みずみだったのだろうと推測する。


86年といえば、海外のポップ・マーケットでは12インチ・シングルがシーンを席巻していた。と同時に、メガミックスやエクステンデッド、リエディット、リミックスといったDJ文化から生まれた手法が全盛期を迎えていた。その手法をはじめて取り入れた作品は諸説あるが、この「YMO Megamix」もその作品のひとつであることは間違いない。つまり、当時の日本のポップ・シーンにおいてメガミックスというものがごく一部でしか認知されていなかった。この作品で知った人々も多かったと思う。かくいう自分もそうだった。

そのメガミックスを手掛けたのは、当時DJとして名をあげていた藤原ヒロシ、屋敷豪太、KUDOら(のちの〈Major Force〉メンバー)だ。彼らは85年にザ・ハードコア・ボーイズ名義で「吉幾三/おら東京さいくだ」を非公式でリミックス(厳密には全オケ作り直したそうなのでカヴァー)し吉サイドにオファーするも断られたので海賊盤12インチ・シングルでリリースした(このレコードが国産初のリミックス作品だという説もあり)。このレコードがきっかけでYMOメガミックスのオファーが来たのではないか??。

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本「The edit」でKUDOは語ったーYMOのメガミックスのときは、ステレオでどーしてもやりたかったから、一応LとRに分けてサンプルして、同時にトリガーしてみたんだけど、やっぱりMIDIでも若干のズレがあって、、、まぁだから、音質のクオリティーを求めるにはテープ編集しかなかったですよね、、、お皿になるならマシンガン・エディットやりたいなって思ったら、やっぱりテープ編集になる。16分音符に全部マーキングして、切って貼って、スネア一個とって抜いて止めたのを録ってみたいな(笑)

今では波形編集で簡単にやれてしまう作業も、当時は気の遠くなるようなテープ編集の果てにこのメガミックスが作られた。それを想像しながらこの作品を聴いて欲しい。ちなみに、プロモ7インチ・シングルもあり。12インチ・シングルには、「Bhind The Mask」の声ネタが隠されている。



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