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清水エスパルス外国人名鑑(2011年〜2019年)vol.1

はじめまして。でるぽとふと申します。

タイトルの通り、今空前の(?)ブームになりつつあるJリーグ外国人名鑑、せっかくなのでやってみたい!ということでブログを立ち上げてしまいました。企画をパクってしまいすみません。


さて、そんな僕が書くチームは大好きな清水エスパルス!年によって上位から下位まで行ったり来たりするライブ感溢れるチームです!
年代としては2011年、ゴトビ体制1年目から現在に至るまでの外国人選手の思い出を綴っていきます。vol.1の今回は2011~12年にかけて加入した選手たちです。

思い入れ強すぎてかなり長くなっていますが、エスパルスをあまり知らない方にも楽しんでもらえるように詳しめに書いたので、是非読んでもらえると!ありがたいです!

それではいきます!

ボスナー(2010~2011)

強烈なFKでJリーグファンには馴染み深いであろう、長身左利きCB。ポジションはCBだが、なんといってもその魅力は「ボスナー砲(キャノン)」として恐れられたFK。長い助走を経てその左足から放たれるボールは弾丸と化し、相手ゴールネットに突き刺さった。加入してすぐの試合で「低弾道・無回転・弾丸」を網羅した新ジャンルのFKを決め、解説の安永氏が「すげえええええ!!!!なんだああ!?!?」と大興奮していたのが印象深い。その左足はもはや一種のエンターテイメントであった。
FKが凄すぎて、守備面のことを全く思い出せないが、マッチデープログラムのインタビューで「サポーターはチケット代だけでなく移動費や食費など、決して安くないお金を払ってスタジアムに来てくれる。そんな彼らを喜ばせたい」と答えていたのが印象的なナイスガイ。清水に来る外国籍選手は、基本的に人間として素晴らしい選手が多い。

ひとこと
「いつかキックインセレモニーに来て、バックスタンドにキャノンをぶち込んでほしい。」


アレックス(2011~2012)

清水で「アレックス」というと、「三都主アレサンドロ」のイメージが強いが、こちらはオーストラリア人のアタッカー。2011年以降で言えば、最高クラスの貢献度と言っていい選手だと思う。
ゴトビ式4-3-3の中で、時にはCF、時にはウイング、時にはインサイドハーフをこなしたマルチロール。たしか左サイドバックもやってた。豊富な運動量で攻守に貢献し、確かな足元の技術でチャンスを演出するとともに、重要なゴールを何度となく決める決定力の高さも持ち合わせていた。全てを高いレベルで兼ね備えた上で非常にクレバーな選手であり、清水にとって理想的な外国籍選手でそれはそれはお世話になった名プレイヤー。
替えの効かない中心選手であったが、2012年途中にアルアインヘ電撃移籍。本人は残りたいとは思ってくれていたようだが、億単位の移籍金を積まれたオファーだったため、クラブの経営も考えて移籍を決断したそうだ。彼も本当にナイスガイ。
2012年はナビスコ杯で準優勝した年であったが、大前高木が完全に封じ込められた中、彼がいてくれればあるいは…という思いが今もある。
人間的にもプレイヤーとしても非常に良い選手で、100点!と書こうとしたところで、枝村か誰かがリークしていた「アレックスは屁が死ぬほど臭い」という話を思い出し、なんともいえない気持ちになった。

ひとこと
「清水出身の元サッカー選手が腸内フローラの事業やってるらしいよ!…あ、いや、別に深い意味はないけど!」


カルフィン・ヨン・ア・ピン(2011~2015)

鋼鉄の身体を誇る、元U-23オランダ代表。肉体に似合わず、愛称は「キャラ」とかわいらしい。ゴトビコネクション1号として2011年途中に突如加入し、その規格外のフィジカルで日本人を弾き飛ばしてボールを奪いまくるという衝撃のデビューを果たした。
初年度はアンカーとして小野、アレックスの後方を支え、3人で彼の肉体と同じくらい見事な逆三角形を形成。その後は左SBやCBを務め、最終ラインで相手の攻撃をFWもろとも跳ね返し続けた。2012年には、岩下とヨン・ア・ピンといういろんな意味で世にも恐ろしいCBコンビが結成されていたのも今となっては懐かしい思い出。
フィジカルに加えスピードや足元の技術も高く、素晴らしい守備的プレイヤーであったが、怪我に泣かされ、在籍終盤はほぼ試合に絡めず。契約満了となった翌年町田に移籍し、J2でまた弾き飛ばし稼業を再開。現在は横浜FCに在籍。そもそもアヤックスやフェイエノールトも獲得に乗り出していた中で、ゴトビ監督と小野を慕って清水に来てくれたというありがたすぎる経緯もあり、もし清水に来なければ、欧州で輝かしいキャリアがあったのでは…とも思ってしまうほどの選手だが、日本で家族と幸せそうに暮らしていてなによりである。清水に来てくれてありがとう、キャラ。

ひとこと
「オランダにおけるヨン・ア・ピンと日本における八反田はどっちが珍しい名字なのかを調べてくれる第三者機関の方、ご連絡ください。」


フレドリック・ユングベリ(2011)

10年代清水において最大のビッグネーム。アーセナル無敗優勝時のメンバーであり、赤いモヒカンと高速ドリブルで鳴らした「あの」ユングベリである。ゴトビコネクション第2号。
ある日突然、日本平でのホームゲーム時に「ユングベリいる!」と話題になり、そのまま加入。かつて幾多のビッグネームが「もう来る」「絶対来る」と騒がれながら来日しなかったのに対し「気づいたらいる」というよくできたホラー映画のような新機軸を見せた。
ただ悲しいかな、時の流れは残酷で、彼は明らかにピークを過ぎていた。技術は素晴らしいものの、往年のスピードは無くなっていた。怪我を抱えており稼働率は悪く、トレードマークの赤いモヒカン頭も、禿げ上がってスキンヘッドになっていた。あれだけ綺麗に赤くなるぐらいだから多分染髪料強かったんだろうな…。
そんな彼だったが、随所にテクニックを見せてくれた。特筆すべきは名古屋戦でのアシスト。本当に圧巻のプレーだった。右サイドでボールを受けると、裏街道で相手を置き去りにし、アレックスに低いクロスを供給。ぴったり合わせて得点を演出した。「これがスターか…!」と思ったし、今でも鮮明に覚えている記憶に残るプレーだ。あの時だけ、彼の頭に赤いモヒカンが見えたような、そんな気がした。
翌2012年も契約が残っており、アーセナル時代と同じ9番を背負い、ユニフォームのモデルとして大々的に広告されていたものの、開幕前に「ビジョンが違った」とバンドマンのような言葉を残して契約解除。そういえば、入団会見で「ゴトビ監督からはアジアのチャンピオンを目指すチームだと聞いている」とか言ってたな、と思い出した。当時の清水は「アジアに行けたらいいな」というレベルであり「アジアのチャンピオン」などはるか遠くであった。今もか。ゴトビさんはモチベーターであり戦略家だが、これは流石にやり過ぎた。退団もやむなしかな。清水サポーターにとっては、一瞬だけ現れた幻のような存在であった。でも清水に来てくれたことには感謝しています。「来ぬシャビより、来るユングベリ」という諺があるように、来てくれたっていうこと自体に価値があるのかなと。今でこそビッグネームが当たり前に来てくれますが、まだそうではない時代に日本に来てくれた心意気はありがたかった。小野との共演、最高にいい夢見れました。
退団後は引退したと思ったらインドで現役復帰したりと謎の動きをしたが、現在はアーセナルのU-23ヘッドコーチに落ち着いたようだ。指導者としての成功を願うばかり。

ひとこと
「リュングベリとかユングベリとかいろいろだけど、正しい発音は『ゆんべぅ』であると教えてくれたあのスウェーデン人ファンの方を僕は忘れない。」


姜成浩(カン・ソンホ)(2012)

CBとボランチを務めた選手。清水ともゆかりの深い田坂監督のもと大分で活躍し、清水に加入してきた。長身ながら足元の技術もあり、守備的ポジションをマルチにこなせる貴重な選手だったが、CBにはヨン・ア・ピン、ボランチには村松大輔という不動の守備的プレイヤーがいたため、あまり出場機会に恵まれずカップ戦要員であった。
退団後は、京都、東京V、金沢と渡り歩き、現在は京都のフロントにいるようだ。清水では恵まれなかったが、がんばってほしい。

ひとこと
「京都のフロントということで、呉くん(次々回ぐらいに登場)をよろしくお願いします…。あと仙頭選手と小屋松選手ください。」


李記帝(イ・キジェ)(2012~2014)

「オレンジの若虎」の異名をとった、韓国人左SB。大卒でそのまま加入し、太田宏介が抜けた穴を埋め即レギュラーとなった。武器は強烈な左足のキックであり、糸を引くようなクロスや、強烈なFKでチャンスを演出した。大多数のレフティと同じく、左足しか使わないというタイプで、ビルドアップするときにプレスを受けると必ず左足クライフターンで切り返していた。そこディフェンスラインだかんな。途中からパターンがバレ始めてるのにやめないからなかなか恐ろしかったかんな。あと、在籍時にJ1で決めた唯一のゴールはなぜか右足でのミドルシュート。いや右足使えるの知らなかったかんな。びっくりしたかんな。
人としては、優しそうで素朴な好青年といった感じだった。プレーになると熱くなり、カードをもらうことも多かったが。
2012年は不動のレギュラーだったが、2013年以降、怪我もありだんだん出場機会を減らしていき、2014年限りで退団。オーストラリアに移籍した。
現在は水原三星でプレーしており、昨年のACL準決勝で鹿島戦に出場し、エスパルスサポーターに元気な姿と変わらない左足の精度を見せてくれた。
(訂正:兵役のため、現在は水原三星を退団し、K3(実質4部相当)の金浦でプレーしているそうです。失礼致しました。)

ひとこと
「チャントを一時期チョコレイト・ディスコにしちゃってごめんね」


ジミー・フランサ(2012)

さて、あなたはご存知だろうか。ジミー・フランサという清水サポーターに最も嫌われ、最も愛された男のことを。
出会いは2012年春。ユングベリショックが色濃く残る清水の地に「年間15点取れるストライカー」として彼はやってきた。「モルドバリーグ得点王」という怪しすぎる経歴を引っさげて。
かすかな期待とともにユングベリが着けるはずだった9番を背負いデビューすると、サポーターは口々に嘆いた。
「どんなリーグならあのレベルで15点取れるんだ」「オフサイドのルールを知らないのか」「フランサっていうブラジル人はもれなくサッカー上手いんじゃないのか」
温厚な清水の人々に、イギリス人のような皮肉を吐かせてしまうほど、彼のパフォーマンスは惨憺たるものだった。
そう。語弊を恐れずに言えば、彼はサッカーがほんの少し下手だったのである。シンプルに、サッカーがほんの少しだけ下手だったのである。
サポーターが彼は15点取れないFWだと気づいてからも、彼は一向にゴールを決めなかった。びた1点とらなかった。助っ人としては大外れの部類。ただ、ある変化があった。それは、彼ががんばるようになったということだ。ほんのちょっとである。もともと歩いてた彼が、ボールを追いかけるようになった。競り合いも勝てないながらに頑張って体をぶつけるようにはなった。足元がおぼつかないながら、ポストプレーっぽいけどそれをポストプレーと言うにはいくつか法を改正しないといけないよね、というようなレベルのことをなんとなくしようとしていた。彼にとっては明らかにパニックゾーンすぎる環境であるJリーグに、少しずつ少しずつ、慣れていったのだ。そんながんばる彼の姿を見て、サポーターも次第に「あいつはダメだなあ」と言いながらもどこか胸を打たれ始め、気づけば彼は「ジミーちゃん」という愛称で親しまれるようになった。人間、ダメなやつががんばってるところほど応援したくなるものなのだ。
しかしそんな両者の関係も長くは続かなかった。アスリートは結果が全て。リーグで1点も取らないのに外国人枠は1つ埋めてしまっているジミーちゃんは、編成上は余剰でしかなかった。
迎えた8月11日。「ジミーちゃんは今日が最後なのでは」。そんな噂がまことしやかに流れる中で行われたホーム名古屋戦。彼がボールを持つたびに会場はまるで彼がエースであるかのように大声援を送り、その1プレー1プレーに熱狂した。エスパルス史上最悪助っ人とも言われた彼は、いつしか史上稀に見る愛され外国人になっていたのである。その日の彼は、間違いなくエスパルス在籍中のベストパフォーマンスを見せた。そしてついにその時が来る。左サイドを抜け出した高木の折り返しに、ペナルティエリア手前でフリーだったジミーちゃんが右足を振り抜いた。ジミーちゃん史上最高のシュートに名手・楢崎も懸命に右手を伸ばすが届かず。ゴール右隅へ鋭く飛んだシュートは…

クロスバー直撃。これが彼のラストチャンスであった。ついにゴールは奪えないまま、終了の笛が響く。勝ちロコと万来のジミーフランサコールに見送られ、彼は泣きながらピッチを去っていった。
その3日後、ジミーフランサの東京Vへの移籍が発表され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った。
ちなみにジミーちゃんは退団後もエスパルスを深く愛してくれており、遠いブラジルの地から、Twitterで毎試合のように応援メッセージを送ってくれている。彼もまたナイスガイだ。ついでにジュビロが負けるとめちゃくちゃ煽る。どこまでオレンジに染まっているのやら。憎めないやつめ。

ひとこと
「もう年間15点とれるとか強がり言うんじゃないぞ!まったく!これからもよろしくな!」

(ジミーちゃんが最後いかに愛されていたかがよくわかる2分間)


金賢聖(キム・ヒョンソン)(2012)

ジミーちゃんの後釜として補強されたロンドンオリンピック韓国代表FW。かつて韓国代表でコーチをしていたゴトビ監督のラブコールによりFCソウルから期限付きで加入。
加入直前までオリンピックに出場していたことに加え、ジミーちゃんフィーバーの後で「次はちゃんとしたFWが欲しい…」というサポーターの心情からかなり期待されていたが、12試合3ゴールとあまり結果を残せず。
ゴトビサッカーでは、1トップはポストプレーができることが大前提だが、個人的な記憶では、彼は高身長ながらポストプレイヤーというよりはむしろストライカーだったように感じる。ゴトビ監督の肝いりの選手だった割に、あまりハマっていなかったような、そんなおぼろげな記憶。期限付き移籍だったため、シーズン終了後にFCソウルに戻った。現在は城南FCにいるようだ。元気に頑張ってほしい。
ちなみに初ゴールの際に、まだ日本でそこまで有名ではなかったPSYの「カンナムスタイル」を踊るパフォーマンスを見せていた思い出。どうせならマルコスジュニオールみたいに点取るたびにK-POPのパフォーマンスをして、シーズン終盤にはネタ切れでフライングゲットとかやるぐらいゴールを量産してもらいたかった。

ひとこと
「賢く聖いという漢字をあてたご親族のネーミングセンスがめちゃくちゃいいなと思います。」


イ・ミンス(2012~2013)

大学在学中に清水がオファーし、日本にやってきた韓国人MF。「将来の韓国代表を担う逸材」という触れ込みで鳴り物入りで入団した。2012年は、加入直後に外国人枠の関係で湘南にレンタル移籍し、2013年から清水での選手キャリアをスタート。ゴトビ監督がこのシーズン目玉として準備していた「トレスボランチ」の一角として、開幕スタメンでデビューしたものの、あまりアピールできないうちにトレスボランチが早々に機能不全に。成績不振のためシーズン序盤でダブルボランチに切り替わったことで出場機会を失った。
結局清水でのリーグ戦出場は4試合にとどまった。年代別代表の常連であることや前評判の高さからも、素材は間違いなかったのではないかと思うが、チームが不振にあえいでしまった関係で外されるなど、タイミングが悪かったような。これも巡り合わせだが、もう少し長く見てみたかった選手。
その後は栃木で少し活躍して、町田に行って、今は韓国に戻っているようだ。すごく前の選手に感じるが、まだ27歳。がんばってほしい。

ひとこと
「期待値が高いと大変だよなあ。若いのに海を渡ってきてくれてありがとう。」


こんなに書いてまだ2シーズン分しか進んでません。なんてこった。でも楽しいのでこの後もゆるゆると続けていこうと思います。
読んでくださった方、ありがとうございました。自分としては精いっぱいの愛を込めたつもりですが、もしご気分を害された方がいらっしゃいましたらすみません。

次は1試合6得点で有名なあの人からだよ!

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