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清水エスパルス外国人名鑑(2011年〜2019年)vol.2

こんにちは。でるぽとふです。

さて、vol.1が大反響でびっくりしております。ありがたい限りです。ひとえに、ジミーちゃんをはじめとするキャラの濃い選手たちのおかげですね。みなさんに楽しんでいただけたなら幸いです。

ちなみに企画元はこちらの方々。

今回は、2013〜2015年に加入した選手たちです。簡単にこの期間、エスパルスがどんな状況だったかご説明します。
まず2013年。前半戦は苦しんだものの、年始に海外移籍した大前元紀が夏に戻ってきて、さらに2010年まで所属していた本田拓也も鹿島から戻ってきて後半戦で盛り返し、9位でフィニッシュ。2014年は、夏にゴトビ監督から大榎監督に監督交代が行われましたが、最終節まで残留争いに巻き込まれ、ギリギリで残留。2015年は、あえなくJ2降格。と、そんな感じでした。あんまり思い出したくない年代ではありますね。

とはいえ、チームとしては思い出すのが辛くても、せめて個々の選手は思い出してみよう!ということで、今回もこの時期に加入した外国籍選手を振り返っていきます。

今回も相変わらず長いですが、お許しください。

それでは行きます! 


バレー(2013)

ユングベリが去り、ジミーちゃんが混沌を生み出し、アレックスも小野も去った中、ナビスコ杯は準優勝。エスパルスにとって激動の年となった2012年を締めくくったのは、年末に発表された「バレー電撃加入」の一報であった。
大宮、甲府、G大阪で得点を量産したスーパー助っ人である彼は、4年半の中東暮らしを経て、ちょうどフリーになっていた。サポーターは機を逃さなかったフロントを称賛するとともに、「Jリーグでの実績」に強い安心感を覚えた。いくら得点王でもモルドバリーグなら意味ないぞ。そんなひねくれ凝り固まったサポーターの心を、Jリーグ通算112得点という彼の実績が優しく解きほぐしたのだ。
期待を一手に背負った彼だったが、シーズンが始まっても思うような活躍ができなかった。コンディション不良もあったが、彼のスペシャリティとゴトビ監督のフォワード像が合わなかったのも原因。バレーの持ち味は、前を向いてから相手を寄せ付けずゴールへ直行するパワーとスピード。にもかかわらずバレーは「でかいから」という小学校のサッカーでGKやらされるのと同じ理屈でそれほど得意でないポストプレーを強いられてしまったのだ。
見かねたゴトビ監督が、システムを4-3-3から4-2-3-1に変え、守備的にセットして高速カウンターを狙うという戦術にシフトさせると、これが奏功。前を向けるようになったバレーは本来の力を取り戻していった。アウェイ浦和戦では、これぞバレーというパワフルな抜け出しから1vs1を沈め、防戦一方だった清水に勝ち点3をもたらしてくれたりもした。人格者でもあり、選手たちから「バレーさん」とさん付けで呼ばれていたそうだ。
コンディション上がってきたな、と期待感が高まってきていた矢先、中国の天津泰達にまさかの電撃移籍。忽然と姿を消してしまった。なんとまあ。一応彼の名誉のために言っておくと、最初のオファーは断っていたそう。しかし、もともと破格だった金額をさらに上げられ、年齢と家族のことを考えて移籍を決断したそうだ。個人的に、こういう話を聞いちゃうと責められないなあと思ってしまう。そして、彼が残した移籍金が、本田拓也や大前元紀の復帰に欠かせないものであったであろうことも想像に難くない。移籍って難しい。
急に来て、急に去っていく。まるで夏の通り雨のような、あるいは繁忙期の現場になぜか顔を出す社長のような、そんな選手であった。

ひとこと
「『バレー』で検索すると、バレーボールが出てきて、『バレー 清水』で調べると『ゴリ』でおなじみのバレーボール選手・清水邦広さんが出てきます。SEO対策をしっかりしましょう。」 


ラドンチッチ(2013)

バレー退団から1週間たたないうちにフロントが韓国から連れてきた大型FW。どうしたどうした。フロント優秀じゃないか。しかも彼は屈強なフィジカルと柔らかなボールタッチを兼ね備えた、ゴトビ監督待望の純然たるポストプレイヤーであった。競れて、収められて、はたけて、決められる。なんという大当たり。バレーショックは1か月もたたないうちにラドンチッチフィーバーに変化した。同時期に出戻りしてきた大前、ずっといた高木俊幸とともに構成した攻撃ユニットは強烈で、チームの成績もうなぎのぼり。この2013シーズン後半戦が、ゴトビ監督が目指したサッカーの完成形に最も近づいた半年間だったのではないか。個人としても15試合で6ゴール4アシストと大車輪の活躍を見せた彼を、清水の人々は「空の大怪獣」と崇め、畏敬の念を示したとされている。(出典不明)
惜しむらくは、期限付き移籍であったこと。大活躍して戻ったので移籍金を吊り上げられたのか、買い取れず。彼は翌年大宮へ渡った。翌年もいてくれれば!あんなこと(ゴトビ監督→大榎監督への地獄のバトンパス)やこんなこと(最終節まで残留争い)にはならなかったのに!
もうひとつ。勝利後の恒例、「勝ちロコ」時にかわいいお子さんをピッチに連れてきて戯れているのがとても微笑ましかった。今でこそ多くの選手が子供を連れて勝ちロコを踊るが、そのパイオニアである。そんな彼には、「エスパルスベストファーザー賞2013」を差し上げます。

ひとこと
「お子さんがサッカー選手になったら、ぜひ清水へ預けてください。勝ちロコをピッチで踊った彼はホームグロウン枠です。」


(三浦弦太に固定概念を揺さぶられ、ラドンチッチ Jr.に癒される動画)


ヤコヴィッチ(2014〜2016)

「カナダ代表」という評価に困る肩書を引っ提げてMLSからインバウンドしたDF。おそらく最後のゴトビコネクション。公式愛称は、デッキー。実際はヤコと呼ばれていた。
ウェーブのかかった髪をなびかせ、いつも「やれやれ、いっちょ守ってやるか」みたいなアンニュイな表情をしていた。
プレー面では長身DFながらスピードがあるストッパーで、多くの外国人DFが苦労するすばしっこい日本人にもしっかり対応していたため、本職はCBながら右SBでも起用されていた。
そんな彼の推しポイントは、最終ラインでボールを持って、パスをつける相手を探している間に、気づいたらふらふらと中盤までボールを持ち上がってしまうという謎ムーブを頻繁に起こすこと。私はこれを「ヤコの大冒険」と呼んでいた。
多分足元の技術があるから持ち上がれるのだろう。でも傍から見ていると、もっさり大股で動くヤコが「どこに出そう、どこに出そう」とオドオドしながら目の前に現れた相手を必死にかわしていると気づいたら抜け出してしまった、という画にしか見えない。その姿、まるで追ってくるゾンビを必死に振り払って逃げるアメリカ映画の主人公のごとし。こんなシュールでスリリングなプレーは、他でお目にかかったことがない。
日本代表に行く立田選手には、ぜひ先人を見習い、コパアメリカで大冒険してこの感覚を日本の全サッカーファンに味わわせてもらいたい。
ヤコヴィッチのその後はというと、年々出場機会を減らし、2016年シーズンを最後に退団。現在はアメリカに戻って頑張っているようだ。Chase Your Dream! Don’t Lose Your 大冒険!

ひとこと
「旅先の宿とパスの受け手は早めに見つけておくに越したことはありません。」


(動画内5:30~7:25がヤコの大冒険祭りです。ぜひご覧ください。)

 

ノヴァコヴィッチ(2014)

大宮に行ってしまったラドンチッチと入れ替わるように、大宮からやってきたストライカー。加入時には既に実績十分だった彼は、大柄ながら柔らかなボールタッチが特徴。シュート精度も非常に高く、当時35歳とベテランの域だったが、全試合に先発し13ゴールを挙げてくれた。
印象深いのは、ここぞの場面でチームを救うゴールを何度も決めてくれたこと。勝ち点0を1に、1を3に変えてくれる、これぞ助っ人という頼れるプレーヤーだった。彼がいなかったら、この年にJ2降格していたかもしれない。ケルン、大宮、清水、名古屋と、彼が去ったチームが立て続けに翌年降格したことから、一部で呪いだなんだと言われていますが、「元から落ちてもおかしくないチームを1年延命させている彼は、むしろ救世主なのだ」という論に僕は全面的に賛成しています。
また、若く青い選手が多かったチームを、時に優しく見守り、時に厳しく鼓舞してくれたのも印象的。193cmということもあり、ゴールを決めた彼の元に集まってくる選手たちを、笑顔で受け止める姿は、さながら出張から帰ったお父さんのよう。「ママと喧嘩しなかったか?」「テストで100点か!がんばったな!」という言葉が聞こえてきそうなほど、父性が溢れ出していた。そんな彼にはもちろん「エスパルスベストファーザー賞2014」を差し上げます。
翌年名古屋へ移籍。その後スロベニアに戻り、現在は現役を引退している。お疲れ様でした。

ひとこと
「我々日本人に、ダンディとはなんたるかを教えていただきありがとうございました」

 

ブエノ(2014〜2015)

千葉の高校から、高卒新人として加入したブラジル人DF。加入当時「鹿島みたいなルートで獲ってきたな」と思った記憶がある、清水としては珍しい経歴の選手。
特徴は、身体能力の高さ。スピードもさることながら、「ヘディング打点めっちゃ高い」という印象が強い。身体能力は生まれ持った武器なので、これは楽しみな選手が来たなあと思った記憶。
「助っ人」というよりは「有望株」という扱いだったが、混沌の2014年、守備陣の怪我もあり、1年目から出番が回ってきていた。翌年は神戸にレンタル移籍。経験積んで戻っておいでー、と思ったら、帰ってきてすぐ鹿島に行ってしまった。やっぱ鹿島行くんかい。鹿島行かんのかいと思ったら行くんかい。ブラジル人にとって全ての道は鹿島に通じているのかもしれない。「清水だって日本のブラジルって言われてるし、応援だってサンバだよ?私のサンバじゃ…ダメなの…?」という2番目の女みたいな気持ちをこらえ、鹿島での活躍を祈っています。

ひとこと
「いつか戻ってきてね。そのときは高校の同級生のカイオくんも一緒に。」

 

ピーター・ウタカ(2015)

ナイジェリア代表で有名な兄がおり、自身も欧州で豊富な経験を持つFW。
加入前年に中国であまり点を取っていなかったため、一抹の不安もあったが、杞憂であった。吸いつくようなボールタッチでヌルヌルと相手を抜き去り、強烈なシュートでゴールを量産した。降格してしまった2015年の劣悪なチーム状況の中で9得点を挙げたのはさすがの一言。
ウタカが触るときだけボールがぷるぷるでもちもちの赤ちゃん肌になっているのではないかと思うほどの柔らかなボールタッチと、思わず声を上げてしまうようなトリッキーなプレーで、サポーターをワクワクさせてくれた。その分、守備貢献が少なめになっているのはご愛嬌といったところか。
プレー面はかなりセクシーな魅力を放っているウタカだが、素顔がめちゃくちゃかわいい。まず見た目は丸顔で、真っ白な歯を見せて笑う姿が最高にキュート。さらに、話し方も優しさに溢れていてキュート。好きな食べ物は「静岡おでん」。郷に入っては郷に従っていてキュート。おでんをあげるとニッコニコになるらしい。もうほんとキュート。多分だけど、サンリオ総選挙に出たらトップ3に入る。ハローキティ、ポムポムプリン、ピーターウタカ。なんなら字面も違和感がない。
そんなかわいいかわいいウタカは、降格と同時に清水を去ったが、広島、FC東京、一旦デンマークを挟んで徳島、甲府と日本各地を渡り歩いている。このまま全国で相手サポーターを恐怖に陥れ、味方サポーターを萌えさせてほしい。

ひとこと
「先日、静岡と山梨のどっちから見る富士山がきれい?の質問に『フィフティーフィフティー』と答えたのは、めちゃくちゃ気が利いてて素晴らしいです」 

(ウタカがそれはそれはおいしそうにおでんを食べる癒し動画) 


ミッチェル・デューク(2015〜2018)

「馬力」「運動量」「猪突猛進」。この3つの単語で、あなたは何を思い浮かべるだろうか。人によって答えは様々だろうが、エスパルスサポーターであれば思い浮かべるのはただ1人。ミッチェル・デュークである。
オーストラリアからやってきたアタッカーである彼の持ち味は、ピッチの端から端まで走り回る豊富な運動量。それはもう、走る走る。追いかける追いかける。爆風スランプぐらい走って、吉幾三ぐらい追いかける。
追いついたらぶっ飛ばしてボールを奪い、大股でゴリゴリとボールを運んで前進する。追ってくる相手は弾き飛ばす。それがデューク。ただ、なぜかトラップやパスの時のボールタッチはソフト。そのギャップがまた良い。
2015年、FWとして加入した彼は、大榎監督によって3-5-2の左ウイングバックとして起用された。控えめに言って構造的に無理があった大榎監督の3-5-2には、人一倍走って組織の穴を無心で埋め続ける選手が必要だった。デュークはその役に任命されたわけだ。ちなみに、走れメロスにこんな一節がある。「最後の死力を尽くして、メロスは走った。メロスの頭はからっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力に引きずられて走った。」このメロスをデュークに変えると、彼の2015年が説明できる。
ただ1つ違うのは、メロスは友を救えたが、デュークはエスパルスを救えなかったこと。チームはあえなく降格した。もちろん、降格はデュークのせいではない。
J2での戦いとなった2016年も彼はエスパルスに残り、小林監督の下、本職であるFWとして活躍の兆しを見せていたが、膝の大怪我を負い長期離脱を余儀なくされた。J1に再昇格してからの2017年は、小林監督に重用されアタッカーとして31試合に出場。識者によると、デュークはポジショニングが良いらしい。馬力だけじゃなかったのか。2018年はヨンソン監督の下、途中出場が多く、限られた時間の中でチームにアクセントを加えたものの、シーズン終了とともに契約満了となった。現在はウェスタン・シドニーでがんばっている。
デュークに関してもう一つ思い出深いのは、アタッカーなのにシュートが全然上手くないところ。とにかく全力で振り抜くのだが、いいボールが来てもミートできず、ミートできてもことごとく枠外かポスト。悔しそうに天を仰ぐ姿を度々目にした。その分、時々ゴールを決めた時には自身もサポーターも大はしゃぎであった。
良くも悪くもまっすぐで、がんばり屋。彼もまたサポーターを愛し、愛された選手だった。幸せに生きていってほしい。

ひとこと
「走れメロスを実写化するときは、主演を頼みます。セリヌンティウスはアンニュイな男・ヤコヴィッチです」 


(デューク久々のゴールに本人もサポーターも大喜び)

 

鄭大世(2015〜)

もはやJリーグファンにとっては説明不要のこの選手を外国籍選手として紹介するのも不思議な感じがするが、彼も登録は外国籍選手。
川崎Fでデビューし「ブルドーザー」と称されたパワフルなFWは、ドイツと韓国でのプレーを経て、清水にやってきた。他のチームからもオファーがある中で当時降格の危機に瀕していた清水を選んでくれた漢気に清水サポーターはまず惚れたものだ。
ベテランの域に入り始めていた彼は、持ち味のパワフルさに加えて、周りを生かすプレーも身につけていた。韓国で苦しんでいた際に「自分が」という考えを捨て、チームのためにアシストするようにしたところ、かえって自分も点が取れるようになったという経験から、悟りを開いたそうだ。J2で戦った2016年には大前、そして金子とのコンビで攻撃を牽引。26ゴール10アシストという驚異的な数字を残して、1年でのJ1復帰に大きく貢献してくれた。昇格決定時にピッチにくずおれて涙を流す姿は、サポーターの胸に深く刻まれている。
プレーヤーとしては、強靭なフィジカルと高い決定力が特徴であり、2017年静岡ダービーでのオーバーヘッドや、同年アウェイ浦和戦での左足ミドルなど、彼にしかできないスーパーゴールをチームが苦しい時に決めてくれる。守備の貢献も惜しまずに常にチームを鼓舞して戦ってくれる、これぞエースという存在。
後輩にも慕われており、金子や松原といった若手の兄貴分として、厳しくも温かく導いてくれている。出場機会に恵まれなくても努力を続け、出場すれば結果を出すという彼の姿勢は、若手にも大きな影響を与えているに違いない。ちなみにとても強気に見えるが、実は繊細なメンタルの持ち主らしく、練習で枝村にキレたら、キレ返されてビビり、へこんでしまったというエピソードがある。
HIP HOP好きが高じてテレビ朝日の「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演したり、清水にあるお気に入りの店「すぱげてぃ屋」が好きすぎて店のTwitterアカウントを開設したりと、ピッチ外でもサッカーファンを楽しませてくれている。ちなみにすぱげてぃ屋は本当にめちゃくちゃおいしいので皆さん是非行ってみてほしい。
サッカーに対して、そして清水に対して、熱い想いを持ってくれている選手であり、これからもずっと清水エスパルスにいてほしい、とサポーター皆が心から願っている。テセさん、これからもよろしくお願いします。

ひとこと
「すぱげてぃ屋以外にもおいしいお店あったら教えてください」 

(テセさん、直近のお仕事)


というわけで、清水エスパルス外国人選手名鑑vol.2、これにておしまい!

今回もとても長くなってしまいました。最後までお読みいただいてありがとうございました。
改めて、キャラの濃い選手たちばかりだったなあと感じますね。

次回は、魔法の左足を持ったあの人とか、ベンチにいるのにイエローカードをもらったあの人とかが出てきます!お楽しみに!

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