見出し画像

別れの美学。

自分にとって、ここだけは曲げられない、他人がどう思おうと、ここだけは貫かねばならぬ自分なりの「美学」ってある。

たとえば、別れた相手の悪口を言わない、別れた旦那さんの悪口を言わない。それも大事な美学だ(と思っているのだけど、世の中は必ずしもそういうヒトばかりじゃないみたい)。

一度でも縁あった人のことを悪く言うって、すなわち、そんな相手と付き合った自分をも、「あんた、ダメ人間ですね」と自ら烙印を押しているような気がするのだ。

そういえば、映画「ゴッド・ファーザー」の中でも(気が付けば、ついついこの作品が登場してしまう。好き過ぎて、すまん)コルレオーネ家の家訓として「ファミリーの悪口を言わない」という掟があったっけ。そう、身内の悪口を言うことほど、醜いことはない。

ところで私が女性芸能人の中で、ダントツに好きな人が清原選手の元奥さん、亜希さん。お会いしたことはないけれど、雑誌の中で書かれるささやかなエッセイや、日ごろ彼女が作る息子くんへのお弁当を見て、「この人、きっと愛情深い人だ」と思っているのだけど、その自分の「目」に狂いはないと思ってる。

薬物、女性問題、その他、何を血迷ったのか入れ墨を突然入れたり、そんな清原選手には散々、苦労させられたはずなのに、紙面で登場する彼女は、いつも凛として、爽やかな風がサラッと吹いていて(ジメジメ、どんよりしていないピュアな空気感)、泣き言ひとつ言わない「肝っ玉母ちゃん」。

そして、つい最近のこと。清原選手が久々に別れた子どもに再会できて、野球を教えたというニュースを読んだ時のこと。「元奥さんは、自分の悪口を子どもに一切、言わなかったと聞いた。何を言われても仕方ない自分なのに感謝している」といったコメントをしているのを読んで、「やはり、亜希ちゃんだ。ヨッ!いい女っぷり、半端ナイスね!」と胸のうちで呟き、私は自分の見る「目」が確かなものだと確信したのでした。


「悪口」じゃないけれど、「いけ好かないヤツ」というのは人間だから、誰にでもいる(もちろん、私にも)。自分なりに「いけ好かない」に足る立派な理由もちゃんとあったりする。信頼できる数少ない相手となら、「いけ好かない人」について、熱情を込めてじっくり、とことん話したいものだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?