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【連載小説】「北風のリュート」第3話

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第3話:空を泳ぐもの(2)
 
海水浴に訪れたK海岸の岬にはアクアパークという水族館があった。
 イルカショーへの順路の脇に小さな展示室を見つけた。
 理科室のような白くて狭い展示室には、横に長いガラスケースが一つ置かれているだけで、水槽のたぐいはなく、壁に説明パネルがいくつか掲げられていた。がらんとした部屋には子どもの興味を引きそうなものはなかったけれど、ガラスケースの中のものにレイの目は釘づけになった。
 空を泳ぐ魚にそっくりの魚がいたのだ。
 生きてはいない。漁の網にかかったのを剥製にしたものだった。
 陽に透けるほどに白い銀の肢体は、頭頂部から尾へと細く長くのびていた。寝転がったレイの背丈ほどある。頭の先端から背に向かってひげを数本なびかせている。
 ――とうめいのお魚はいたんだ。
 ――私は、嘘つきじゃなかった。
 ぽろぽろと涙がこぼれた。
 母は弟の櫂を乗せていたベビーカーから手を放し、レイを抱きあげた。
「怖がらなくても、だいじょうぶ。深い深い海の底にしかいないから」と耳もとで、だいじょうぶよ、怖くないと繰り返した。
 レイは身をよじって母の腕から降りる。
「ちがうよ、ママ。海の底じゃなくて、お空を泳いでいる魚だよ。レイは嘘つきじゃなかったんだよ」
 母は困った表情で父と目を合わせ、レイの前に膝をつき肩を抱き寄せる。
「レイは嘘つきじゃない。それはママもパパもわかってる。でも、これはね、お空じゃなくて深い海の底にいるお魚なの」
 父と母にもわかってもらえない。喜びは一瞬にして落胆に変わった。
 後にそれはリュウグウノツカイという名の深海魚だと知った。
 
 K海岸の海上を透明の魚たちが泳いでいた。夏の海の光を反射して楽しそうにはしゃいでみえる。ここには海があるのに、どうしてあの魚たちは、海ではなく空を泳いでいるのだろう。どうして私にしか見えないのだろう。彼らはこんなにもきれいなのに。嘘ではないのに。
 リュウグウノツカイにそっくりな魚が銀の鱗をひるがえし海の真上の空を悠々と泳いでいる姿を、浮き輪につかまってレイはただ眺めていた。海水は涙と同じ味がした。
 ぼおっとした子だ。人が話かけているときはよそ見をしない、と注意されることが多かった。疎外感というのだろうか、他人と相容れない感覚は常にレイの隣にあった。
 
「レイってさあ、美人だから、なんか近寄りがたいんだよね」
 高校のクラスメイトの沙織が、前の席から振り返る。
「あたしたち友だちじゃん、隠しごとなしだよ」
 なんでも打ち明けろ、という。
 じゃあさ、とレイは内心でつぶやく。空を泳ぐ魚のことを打ち明けたら、どうなるんだろう。わかってほしいと願うのは、とうに手放した。
 レイは沙織にあいまいに笑みを返し、教室の窓から空に目をやる。
「もう、また、ごまかす」沙織がむくれる。
 うわの空。そうレイの心はいつも空の上にある。
 
 レイは自転車を止めて、空を見上げる。
 彼らはいるのだ。そして、きょうも春の空を泳いでいる。
 ギュイイイィィイイイイイン。
 後方から空気を切り裂く爆音がドップラー効果を加速させて通り過ぎる。
 空の魚たちが戦闘機のジェットに飛ばされ高速で流れていく。
 竜野川沿いにある航空自衛隊鏡原基地を飛び立った四機は、雲の上に消えていった。

続く


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