ワラシ様の金魚すくい(#シロクマ文芸部)
風鈴と金魚鉢を東寺の弘法市で買った。
朝から京の町はうだるような暑さの底にたゆたっている。
毎月二十一日、東寺の弘法市では骨董などの屋台が軒をつらねて賑やかよ、という話を同僚の島ちゃんから年初に聞いていた。
憧れの京町家に暮らしはじめたのが去年の夏の終わりで、まだ一年も経っていないため、燈子は知らないことも多い。一月の初弘法が特に賑やかだからと誘ってくれていたのだが、インフルエンザで寝込んでしまった。そのうち仕事も忙しくなり、あたふたと日々をやりくりするうちに忘れていた。
「縁がフリルになってるガラスの金魚鉢って、あんがい売ってへんのね」
仕事帰りに新京極の雑貨屋を三軒のぞいたが、金魚鉢といえば誰もが思い浮かべる球形のガラス鉢は売ってなかった。
簡単に見つかると思ってたのになあ。
自転車を玄関すぐの土間に片付ける。
土間は細長く、台所の前を通って勝手口まで続いている。おくどさんと呼ばれる釜や流しが路地のような通り抜けの土間に並ぶ。ここを「走り庭」と呼ぶらしい。家のうちなのに庭という。下足履きの土間だから半分外のようで、不思議な空間だと燈子はいつも思う。見上げる天井は二階の屋根まで吹き抜けで、きつい日差しも力を削がれやわらかな光となって落ちてくる。
自転車を立て掛けると、流しでざっと手を洗い、冷蔵庫からよく冷えた京番茶を取り出しあおる。体内に籠っていた熱が汗となって、ぶわっと迸り出る。風が走り庭を通って勝手口へと吹き抜ける。まだ靴は脱いでいない。
京の夏は、朝も夕も蒸されて暑い。
京町家はよくできた造りだと思う。「家のつくりやうは夏を旨とすべし」と兼好法師もいってたらしい。だからなのか、外気温が四十度近い日でも、格子戸を引いて一歩家のうちに入ると、心なしか冷んやりする。土間の天井は高く、風がさあっと裏庭まで走り抜けるようにできている。
グラスにもう一杯冷茶を注いで、八畳の座敷に寝転がる。一階は六畳と八畳の二間きりだ。畳の上に敷いた網代がさらりと肌をなでる。
「おかえり」顔の上に影がさした。
白地に青の朝顔もようの浴衣が目に入った。黒髪の少女が涼しげな顔で、汗の引ききらない燈子の傍らに行儀よく座り団扇であおいでくれる。燈子は起き上がって、少女のために冷茶をもう一つグラスに注いで卓袱台に置く。
「弘法市やったら、あるんとちゃうか」
少女が唐突にいう。妾は行ったことあらへんから、わからんけど。その手のもんは、なぁんでもそろってるいうで。
ガラスの金魚鉢のことを思案してくれたのか。
「ワラシ様も、弘法市は知ってるんやね」
見た目は十歳にも満たぬ少女は、この家の守り神の座敷童で、家の築年数からすると八十歳はとうに超えている。けれど、精神年齢(神様に精神年齢があるんかどうか、わからんけど)は、見た目とかわらず、いたずら好きで、子どもが喜ぶようなことを好む。
「おしゃべり好きな烏がぎょうさんおるからな」
情報は烏ネットワークで仕入れてるのか。
ワラシ様は家の気から生まれた守り神様ゆえに、この家から出ることができない。家が建って八十年。一歩も外に出ずに、家のうちで他愛ないいたずらだけをして過ごしてきたのかと思うと、胸がほろりとする。まあ、そのいたずらのせいで借り手が居つかず、おかげで燈子は破格の安値で借りているのだけど。
はきと口に出さないが、ワラシ様は燈子が帰ってくるのを今か今かと待っている。それがわかっているから、燈子も鴨川のぬるい夕風を受けながら川端通りを汗だくで自転車を漕ぐ。
七月十六日の晩のことだ。
「祇園さんの宵山に、燈子は行かへんのか」
でも、とためらっていると「蘇民将来の粽をもろうてこな、あかんえ」と帰宅するなり追いたてられた。島ちゃんに誘われていたこと、ワラシ様にはお見通しやったんやろか。
金魚すくいの屋台が出ていた。
白地に青い朝顔柄の浴衣が、金魚すくいのプールの前にかがんでいる。
え、ワラシ様?
燈子は手にもっていたかき氷を落としそうになる。よく見ると、脇には両親がいて髪型もツインテールでワラシ様ではない。
でも、と燈子は思った。
浴衣の袖を親にまくってもらいながら金魚を追う少女のうれしそうな横顔を見ていると、ワラシ様の笑顔が重なった。
燈子もかがんで、十数年ぶりに金魚すくいに挑んだ。掬えたのはたった三匹。もう五百円を差し出す。
「姉ちゃん、も一回やるんか」金魚すくい屋のおやじが問う。
「うううん。ポイだけ欲しいの。家で待ってる子にも金魚すくいをさしてやりたくて」
「なんや、そんなら、ちぃと待ち」
おやじが網で金魚をぽいぽいすくいはじめる。
「それ、貸し」と燈子がすくった金魚の器を指さす。
「こっちと交換や。生きのええのんを入れたったから。これで楽しませたり。日向水にしてちゃんとカルキ抜きせんとあかんで」
元気そうな金魚五匹に、新しいポイも五枚つけてくれた。
翌日、一瞬ためらったけど、洗面器では雰囲気がだいなしなので、寿司桶に水を張って、ワラシ様に金魚すくいをさせた。
派手にポイを破っては「ぬぬぬ。こやつら、すばしっこいのぅ」と浴衣の袖を帯にはさんで真剣なまなざしでポイを水面に差し入れる。あはは、あはははと笑い声が日の陰った家のうちにこだました。
六月に入ってすぐだった。
「そろそろ夏のしつらえに替えんとあかんなあ」とワラシ様が言い出した。「夏のしつらえって?」と、できたての梅シロップを水で割ってグラスに注いでいた燈子が振り返る。
「襖を外して、すだれ架けて、畳によしずを敷くんや。暑っつい京の夏を過ごすための準備やな」
へええ。カランと氷が溶ける音がする。
「風鈴も吊るさんとなあ」と梅ジュースに目を細めながらいう。
「目でも、音でも、涼しせんとあかんのや」
そういう本人は神様だから、暑さ寒さは感じないらしい。
目と音で涼しさか。家のうちに四六時中いてるワラシ様にとって、季節を楽しむいうことやな、と燈子は納得した。
金魚すくいに目をきらきらさせていたワラシ様に、金魚の泳ぐ姿をもっと楽しんでほしかった。ふつうの水槽でも良かったけれど、あの家に似合うんはガラスの丸い金魚鉢や、と燈子は思った。
弘法市はあさってか。ちょうど日曜やん。
十時ごろから混むから、九時前に行ったほうがええよ。島ちゃんが教えてくれた。
東寺の広い境内は、早朝からざわついていた。
どこの店も準備に余念がない。どっから探したらええかときょろきょろしてたら、「ああ、ガラスの金魚鉢か。ほんなら……」と教えてくれた。
緑のテントの下の机に縁がブルーの金魚鉢が無造作に置かれていた。店先には風鈴も吊られ、チリンチリンと風のけはいを知らせてくれる。金魚柄のガラスの風鈴を選んだ。
大宮通りを北にあがって七条の笹屋伊織で「どら焼き」も買った。
島ちゃんから「弘法市の三日間しか売ってへんの。ふつうのどら焼きとはぜんぜん違って、羊羹みたいな棹ものよ。いっぺん食べてみて」と薦められていた。竹の皮に包まれた深紅の包み紙のどら焼は、「え、これが?」と声に出すと店員さんが笑いながら包んでくれた。
ワラシ様は烏から聞いて知ってるやろか。
でも、ぜったい食べたことはないよね。
うちに帰ったら、金魚を鉢に移して、軒に風鈴吊って、ほんで冷たい京番茶でどら焼きをふたりでいただこう。
ふふ。ワラシ様、気に入ってくれるやろか。
<了>
笹屋伊織の銘菓「どら焼」は、東寺の弘法市の前後三日間しか販売されません。味も見た目も、いわゆる「どら焼」とはまったく異なります。好みはわかれますが、機会があれば味わってみてください。
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今週は、なんとかまにあいそうです。
小牧部長、よろしくお願いします。
サポートをいただけたら、勇気と元気がわいて、 これほどウレシイことはありません♡