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【連載小説】「北風のリュート」第4話

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第4話:見えないもの
【3月25日、航空自衛隊鏡原基地上空】 
 今日も曇ってるなあ、と立原じんはF15Jイーグルのコクピットに尻を滑り込ませる。
 3月から4月にかけて天候は周期的に変化することが多く、空が不安定になりがちだ。それにしても今年は快晴の日が少ないように思うのは気のせいか。曇ってはいるが、雨は降らない。半端な天気。三日前に桜の開花宣言があったが、すっきりと晴れあがった日はまだない。竜野川の堤の桜は五分咲きくらいだろうか。花見デートに誘う相手もいないし、ま、関係ないか。俺の日常は空の上にある。イーグルドライバーに憧れ、高校卒業後航空学生として入隊、去年三尉に昇進し晴れてイーグルドライバーになったばかりの25歳。パイロットとしては駆け出しだ。
 キャノピーを閉め、エンジンをふかす。しだいに機体がめざめるこの瞬間が好きだ。
 タキシングの準備完了を僚機が順に告げる。2番機の迅は長機に続いて滑走路に向かう。本日は4機編隊での隊形演習だ。位置取りをまちがわないようにしないと。3番機の海野一尉にしょっちゅう「離れろ、距離をとれ」と怒鳴られる。操縦桿を引く。フルスロットでテイクオフだ。脳内でアドレナリンが沸騰する。向かい風の揚力で機体が持ち上がる。直線での上昇に強烈なGがかかり座席に押し付けられる。
 基本のフィンガーチップからY字のワイングラス、逆さY字のアローヘッドで最後はダイヤモンド隊形だったな。ブリーフィングの内容を頭で復唱し水平飛行に移った。地上とは異なり、雲の上は澄んで大気は安定していた。視界は良好だ。気流まで見える。迅は目がいい。いわゆる動体視力が優れている。操縦はまだまだだが、目は評価されている。
 予定通りメニューをこなしダイヤモンド編隊のまま演習空域から基地に戻っていたときだ。10時の方向の雲にかすかな違和感を覚えた。
「誤認かもしれませんが」
 迅が入電する。
「前置きはいい、どうした」
 長機の音無三佐さんさがうながす。
「10時の方向、雲の中に赤い何かが」
「レーダーに反応は?」
「ありません」
「他に見たやつはいるか」
 ノーの返事が僚機から次々に入る。
「ドローンか?」
「可能性は否定できません」
 偵察用ステルスドローンの性能は驚くほどの速さで進化している。
「確かめるか。立原、ポイントは把握してるか」
「はい」
「ポイントについたら、隊形を横一列のアブレストに展開。全機できるだけ間隔をとれ」
 4機はいっせいに背面飛行から方向転換した。
 横一列のアブレスト編隊を、間隔を広くとるスプレッドに開く。曇り空特有の層雲が眼下に広く厚く波打っていた。それを凝視しながら低速で航行する。レーダーにはなんの反応もない。夕焼けの雲が朱色に見えるのは、太陽の光が大気層を通過する距離が長くなるからであって、雲の上から夕焼けが見えるはずもない。雲は水蒸気の粒にすぎず、それ自体に色がついているのではない。時刻も正午前だ。雲中に赤を視認したとしたら、それは赤色の物体が雲にまぎれていることになる。
 迅が指摘したポイントの空域を往復飛行したが、レーダーに反応もなく何も発見できなかった。
「異常を視認できませんでした。誤視と思われます」
「おまえの目は確かだ。異常がないに越したことはない。基地に戻るぞ」
 演習後のデブリーフィングで報告記載はしたが、違和感の破片が残った。
 念のため報告はあげとく、と音無は告げ、散会を命じた。
「ま、気にすんな。だれでも見まちがいはある」と肩をたたかれた。
 
 その三日後だ。
 海野一尉との2機編隊での飛行訓練中だった。訓練を終え鏡原上空にさしかかった。右目の端で朱色が光ってすぐに消えた。レーダーに反応はない。言うべきか。一瞬、逡巡したが、わずかな異変も見逃さないことが防衛の基本だ。
「2時の方向に、また、赤い何かが」
「こないだと同じか」
 海野が問い質す。
「はい。また見まちがい……かもしれませんが」
「よし、懸念は徹底的に潰すぞ」
 言うなりすぐに、海野は機体を旋回させた。
 だが、光ったポイントには痕跡もなく、あたりの空域をくまなく探索したが何も見つけられなかった。
 目は脳にだまされると聞いたことがある。思い込みが見せた幻だったのか。これは、いよいよ自分の唯一の長所の目がおかしくなったのかと落ち込んだ。
 
 春で目も頭もいかれてんのかな。
《雲の中に赤いもの?》「#雲が変? 俺の目が変?」のハッシュタグをつけてつぶやいたことも忘れたころに、気象研究官を名乗る男からコンタクトがあった。

5話に続く


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