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【連載小説】「北風のリュート」第49話

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第49話:赤い瘡蓋かさぶた掃討作戦(3)
【6月30日 決戦】
 午前八時。鏡原基地正門から深緑の巨大なトレーラーが十台、重低音を轟かせて姿を現した。住民のいない薄暗い町を粛々と進む。二日前までの住民避難の混乱と喧噪が嘘のように、町は無音の寂寥に覆われていた。赤信号で待つ必要もない。機能を停止している町。トレーラーの列は基地の南端角を左折し、鏡の森緑地公園の北端に添って東へとまわる。鏡池から東へ三百メートルの地点に到着すると高射隊員が続々と降り、ペトリオットシステムを百メートルの間隔をあけて南北に配備する。設置場所に芝生広場を選定したが、邪魔になる樹木は陸自の手で伐採してあった。
 池に向かって発射機とフェーズド・アレイ・レーザーを横一列に配備。その背後に電源車と射撃管制装置、最後方にアンテナ・マスト・グループが控える。ペトリオットではミサイル本体は露出せず、細長い箱型キャニスター一個に四発のミサイルを格納できる。それを二列二段に発射台に積み上げるので最大十六発のミサイル発射が可能だ。
 発射機のアウトリガーが両サイドから降ろされ地面を掴む。電源車のケーブルをほどき各車輛に電気を供給する。アンテナが天を衝くように伸ばされる。このアンテナで基地の管制塔とも交信する。発射台がプログラミングした方向を向き、キャニスターが低い仰角で持ちあがる。レーザーも鏡池上空に向けられる。射撃管制装置は、唯一の有人車輛でいわばペトリオットの頭脳だ。南ユニットには高射指令官の菊池二曹、操作員、電子整備員の三名が乗り込んでいる。
 ペトリオットの配備完了の報せが、菊池から基地の管制塔に入った。
 基地エプロンには、すでにF15イーグルが十二機、整然と翼を並べ静かにフライトを待っている。迅もすでにコクピットに座っている。
 全方位ガラス張りの管制塔から流斗はエプロンと赤黒い空を眺めていた。
 管制塔には、流斗の他に池上副司令、榊原官房副長官、鷺池陸将、庭本市長らが詰め、高射隊長の梨木三佐と飛行隊の音無三佐も控えている。
 事前に気象ドローンを飛ばし、上空の気象状況も確認済みだ。
「天馬、瘡蓋上空の気象状況は」
「安定しています。狭い一点に急激な気圧変化が起これば、そこに向かって一気に空気が流れ込み、ダウンバーストが起こるでしょう」
「よし、作戦決行だ」池上がマイクを握る。「総員配置につけ」
「一番隊、準備完了」
「二番隊、準備完了」
「三番隊、準備完了」
 池上はエプロンを凝視する。
「総員一丸となり、鏡原の空を救うぞ。ただし全員無事帰還は最低条件だ。気流という未知の敵を相手にする。自然の力を侮るな。イーグルドライバー諸君、危険を察知したら、迷うことなく退避せよ。いいな。幸運を祈る」
 池上が作戦開始の火蓋を切った。
 管制官が一番隊の滑走路進入を許可する。
 一番隊イーグル四機がタキシングを始めた。次々に白いジェットを引いて、轟音と共に赤黒い空を突き刺して消える。
 流斗は奥歯を噛み締めて空を見上げる。
 ここまで突っ走ってきた。鏡原の空を救いたい一心で。だが、自分の立てた作戦はうまくいくのか。強力なダウンバーストは生じるのか。池の内側をなぞって赤い瘡蓋を吹き飛ばすことができるのか。思わぬ方向に災害級の気流が流れたらどうする。下降気流がイーグルを巻き込んだらどうする。
 流斗は体の芯が震えるのを抑えることができなかった。
 
 
 二番隊が滑走路に入る。迅は長機の佐藤二尉に続き、赤い瘡蓋を高速で突っ切る。海野が四番機の位置につけると、二番隊はフィンガーチップ隊形をとる。左に大きく旋回し赤い瘡蓋を眼下にとらえながら、瘡蓋南端で機首を北に向けスタンバイを完了した。
 三番隊が予定位置についたことを告げると、カウントダウンが始まった。
「スリー、ツー、ワン、ゴー」池上のダミ声が時を数える。
「発射」高射指令官の菊池が鋭く告げる。
 地上ではペトリオットの発射ボタンが押された。操縦桿を握る迅の手が熱くなる。赤い瘡蓋の中心を睨んだ。
 突如、瘡蓋の中心が閃光を発し、爆音が空気を震撼させた。一発目の弾が命中したのだ。無数の赤い破片が花火か間欠泉のように高く飛び散り、吹きあがる。
「行くぞ」海野のコマンドが号砲をあげる。
 迅は操縦桿を引き、フルスロットルで弾丸となって前方に飛んだ。
 目標点ではペトリオットミサイル弾が秒を刻む勢いで炸裂していた。閃光がまたたき、赤い花火を撒き散らし、白煙が濛々と幕をなす。空の一点が、轟音と閃光と赤色の渦を爆裂させる。
 迅はトップスピードを保ったまま、赤い破片を火の粉のように舞い上げる白煙の縁に向かって、次々にミサイルを発射した。一発、二発……六弾まで発射したとき、「総員退避」を告げる池上のダミ声が耳をつんざいた。
 下降気流が上昇に転じると、どれくらい広範囲に影響が及ぶかがわからない。ペトリオットが三十二発すべて撃ち終えると即時に「総員退避」の号令に従い、イーグルは全機すみやかに鏡原空域からの退避が厳命されていた。
 斜め右前方にいた佐藤機が機首を上げて、右後方に上昇旋回するのが迅の目に入った。
 まだ二発残っていたが、操縦桿を左に倒すと同時に手前に引き、退避体勢に入る。フットペダルを左に踏み込んで七時の方向に旋回させた瞬間だ。目の際で、赤い球体がペトリオットの開けた穴に引き寄せられていくのを捕らえた。集まろうとしているのか? 穴がまばらに閉じていく。
 爆撃で蹴散らされ、鎖がほどけた赤毒風蟲せきどくワームたちがまた、磁石に引き付けられる砂鉄のようにくっつきはじめている。それを迅の優れた動体視力はスローモーションで捕らえた。
 迷いはなかった。いや、体が反応した。理性とか、そんなものは吹き飛んでいた。
 反射的に機体を反時計回りに急旋回させ、閉じていく穴に向かって残りのミサイル二弾を撃ち、回転式機関砲のバルカンを連射した。だが、慌てていたため目測を誤り穴に近づきすぎていた。
「立原、何をしている、退避だ」
 右後方上空に向けて旋回中の海野が、穴に戻る迅の機体に気づき叫ぶ。
 その怒声がスピーカーから轟いたのと同時だった。
 突然、右前方から突き上げられる衝撃を受け機首が垂直に上がり、機体が縦に反転した。体が前のめりになり、計器に激突する――。迅は一瞬目をつぶった。ベルトでがっしりとホールドされ、強いGでシートに圧しつけられているため、体はシートからずれてはいない。衝撃で頭が下がっただけだ。計器類が次々に赤く点灯する。アラート音が狭いコクピットに反響する。高度計がみるみる数字を下げていく。もはや機体がどちらを向いているかがわからない。キャノピーから右ボディに目をやる。右翼がもげていた。気流に吹き飛ばされたのか。真下からの上昇気流ではなかった。正面からの瞬間的な突風だった。メインエンジンもやられたか。ハザードが赤くしつこく点滅している。必死で姿勢を立て直そうと試みるが、迅の技量では片翼での飛行は無理だ。
 ――ベイルアウト、するしかないか。
 激しく揺れる機体を宥めるようにコントロールしながら、鏡池の真上、ミサイル目標点に機首を向ける。片翼だけになった機体は、気を抜くとローリングする。ベイルアウトする座席は後方へ飛ぶ。方向をまちがえれば、気流の真ん中にシートごと突っ込むことになり、下降気流によって地面に叩きつけられる。機首をなんとか攻撃点の方向に向け、シート右横にある射出レバーに手をかけ、一瞬、ためらう。パイロットを失えばイーグルは、墜落炎上するだけだ。
 愛機に「ごめん」と謝って、迅は右サイドにある射出用レバーをぐいっと引いた。
 と同時に、キャノピーが秒で粉砕されて吹き飛ぶ。砕け散るガラスが光を反射してきらめくのを、迅はスローモーションで見つめた。涙がにじむ。ジェット噴射し、座席がイーグルから引き離されて後方に一瞬で飛び出した。イーグルがローリングしながら落ちていく。やがて機体は爆発炎上した。

 
 ペトリオットがPAC3全弾を撃ち終えると、管制塔はしんと静まった。
 ダウンバーストが鏡池の底を直撃する爆音が轟くのを待つ。
 一分、二分……五分。流斗は腕時計を睨む。池上が、榊原が、鷺池が憤怒の相で東の空を睨みあげていた。十分経過。何も起こらない。どころか爆撃の白煙が晴れると、赤毒風蟲が群れをなし空に蓋をしているままだった。
 『赤い瘡蓋掃討作戦』は失敗に終わった――。

続く


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