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【連載小説】「北風のリュート」第6話

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第6話:奏でるもの(2)

「珍しいね。それ、リュート?」
 レイは竜野川の堤に腰かけ、家から持ち出した楽器を奏でていた。
 顔をあげると、眼鏡をかけキャップを目深にかぶった若い男が立っていた。ジーンズにモスグリーンのウインドブレーカーをはおり、荷物でふくらんだリュックを背負っている。フル装備のカメラでも入っているのだろう。航空祭にやって来る典型的なスタイルだ。
「そこの階段を降りてまっすぐ行くと県道に出ます。左に折れると基地の正門が見えます」
 レイは視線も向けずに道案内を済ませる。
 見知らぬ人と関わりをもたないは、身を護る基本。なるべく人と関わらないは、レイの生きる知恵。楽器をケースにしまい、敷いていたレジャーシートを畳む。
 ぷはっつ。
 変な破裂音がして顔を向けると、男が口もとをウインドブレーカーの腕で押さえ、笑いをこらえている。レイは下から睨みあげる。
「いやあ、みごとな撤退の手際だ。そんなに警戒しないで」
 ウインドブレーカーの胸ポケットから名刺を取り出す。
「ぼくは、こういうものです」
<気象庁気象研究所 気候・環境研究部第六研究室 研究官 天馬流斗>
「気象研究所? 気象予報士さん?」
 レイはケースを肩にかけて立ち上がり、視線を落としたまま訊く。
「うーん、ちょっと違うかな。ざっくりいうと異常気象の研究をしてる」
 それはどうでもいい、それよりさ、とレイが手にしている名刺を指さす。
「ほらここ、名前に注目」
「てんま……りゅうと?」
「そう、りゅうと、リュートだよ」
 上半身を傾けてレイの背にある楽器ケースをのぞきこむ。
「それ、リュートでしょ? 続きを聴かせてくれないかな。そんな名刺一枚で不審がとけたかどうかわかんないけど、ナンパじゃないから安心して」
 レイは背中のケースを前に回し、胸前でぎゅっと抱えなおす。
「リュートかどうか……わかりません」
「どういうこと?」
 音楽の先生に尋ねたら、一般的なものよりずいぶん小さいと言われたこと、まだ曲が弾ける腕前でもないと話した。
「ふうん。良かったら見せてくんない? リュートについては、名前つながりで調べたことがあるんだよ」
 ま、とにかく座って、とレイが畳んだレジャーシートを勝手に敷きなおし、自分は草の上にあぐらをかく。ほら早く、とうながされ、レイはしかたなくリュートを膝に置いて座る。
「さっきは遠目だったからわからなかったけど。銀のリュートか」
「ボディの材質も違うといわれました」
 木の実を半分に割った形のボディは銀に輝いている。
「材質は何だろう。ふつうは木だけど。これは銀でもチタンでも錫でもなさそうだ。ぱっと見は金属っぽいけど、なんか、もっと生っぽいというか」
「生っぽい?」
「ああ、ごめん。語彙力がなくって。硬質で人工的な金属じゃなくて、自然由来で体温がありそうな。うまく表現できないけど」
 腕を組みながらレイの膝の上のリュートをじっと観察している。手は触れない。むやみに触らないのをレイは好ましく思った。
「5コース10弦か。複弦なのは一般的なリュートと同じだ」
「複弦?」
「弦が二本束になってるだろ。音が複層的になる」
 それで風のような音色になるのか。
「5コースか。古い時代のものかな。リュートはね、時代が下るほどコースが増えて複雑巨大化するんだ。今はちょうどいいくらいの大きさに逆戻りしてるけど」
「コース?」
「コースは音の高さ。ギターは単弦だからコースといわないけど、ギターの6弦に対応すると考えればいい。ガット弦に似てるけど、なんか違うなあ。ナイロンやスチールでもなさそうだし。弦の材質もなんだろ」
「あの……よかったら」
 レイが銀のリュートを持ち上げる。
「さわってもいいの?」
 流斗の目が輝く。ハンカチを取り出し念入りに手を拭いて受けとる。
「ボディの透かし彫り、龍かな、美しいねえ。ちょっと鳴らしてもいい?」
 レイがうなずく。
「ピックは?」
「ピックを使うんですか?」
「古いタイプはね」
 箱の中にあったかなあ、とレイが考え込む。
「現代のリュートはピックを使わないから、いいよ」と言いながら、流斗が1弦をはじく。 
「あれ? 鳴らない」
 あれこれはじいたり、指の腹でなぞったりしてみるが鳴らない。
「あの……母も鳴りませんでした。やっぱりピックが要るんでしょうか」
「でも君はピック無しで弾いてたよね」
 流斗は銀の楽器をレイに返す。
「もう一回、弾いて」
 レイが1弦を親指ではじく。ポロンとギターよりも少し高めの低音が簡単に鳴った。すぐ下の段を親指でなぞると、1弦よりもやわらかな音が響く。ところが、真ん中のコースは音がしない。残りの2段は爽やかな高音を震わせた。
「真ん中だけどうしても鳴らないんです」レイが口もとをゆがませる。
「ちょっと貸して」
 流斗はできるだけレイの指使いを模倣してみたが、擦過音すらしない。
「君しか鳴らせないのかな」
 えっ、とレイが顔をあげる。


7話へ続く→


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