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右利き、左利き、両手利き。

わたしは、だいたいにおいては右利きだ。
だが、たぶん本質的には左利きなのではないかと思う。そもそも箸が左利きだった。「だった」と過去形なのは、右に矯正されたからだ。

4歳かそこらのごく幼いころのことなのだが、なぜかはっきりと記憶に残っているシーンがある。台所のテーブルで、母と向かい合わせに座って夕飯を食べていた。箸の持ち方の練習をしていたころだ。母は右で持つように、私に教えた。それは確かだ。けれども、その日、右手に箸を持った私は、目の前の母をみて「あれ?」と思ったのだ。

――お母さんは、こっちの手でもっている
――おはしは、こっちの手でもつのかな

母をじっと観察して、かえって混乱してしまった私は、箸を左手に持ち替えた。向かい合わせになれば、左右が逆になるなど、幼い頭ではわかるはずもなかった。きっかけは、ささいなことだったけれど。でも、それが体になじんでしまった。母は3つ下の弟に離乳食を食べさすのに忙しく、私の小さな変化に気づくのが遅れた。母や周りが気づいたころには、もう、すっかり「左手でお箸」が私のなかで定着してしまっていた。

でも、たぶん。それだけが原因だったのではないと思う。
そもそも左利きの素質があったのだ。

私は意識をしていないと、針に糸を通したり、雑巾をしぼったりするのが、人とは逆になる。「意識をしていないと」というところがミソで、要はどちらでもできるのだ。米を研ぐのも然り。側転も、左右どちらでもできた。

そんなだったから、小学校の高学年になっても、右と左をよく混同した。いちばん困ったのは視力検査だ。正式名称はランドルト環というそうだが、あの「C」マークのどちらが開いているかを、高学年にもなると口で伝えなければならない。右とか、上とか。左右の別がイマイチはっきりしていなかった私は、いつもとまどった。

そんな私が頼ったのは、ホクロだった。
左手の親指の爪の下にホクロがあった。今はもう消えてしまったのだが、子どものころは「ホクロのある方が左」と覚えていた。「お箸を持つ方が右」と考え方は同じ。でも、私はお箸が左だから、これは役に立たない。視力検査や左右の区別が必要なときは、こっそり親指を見る癖がついた。

小学4年生のときだ。
母方の祖父が、「女の子が箸を左で持っているのは、みっともないから直さないといけない」と言いだした。祖父は行儀に厳しい人だった。私は孫だったから、それほどきつく注意された記憶はなかったが、母は子どものころ「ひじをついて食べるな」とか「姿勢よく座れ」と注意され、時には平手打ちも飛んできたらしい。大工だった祖父には、何もかもきちんと整っていることが当たり前で、寸分の狂いが許せなかったのだと思う。
孫にはさすがに平手打ちはなかったけれど、「左手で箸」はまずいと思ったようだ。そこで、祖父は私に「右手で箸を使えるようになったら、おじいちゃんは煙草をやめる」という約束をした。

祖父がヘビースモーカーであることは、母を心配させていたし、何より私は煙草の匂いがきらいだった。それまでは幾度お願いしても、いっこうに止めてくれる気配がなかったから、すごいミッションが私に課せられたと、子ども心に意気込んだ。
だが、長年体にしみついた癖を直すのは、相当むずかしかった。とくにお弁当のごはんが難関だった。たいていの小学校では給食が導入されていたのだが、私の通っていた小学校は一部の保護者が給食に反対していて昼食はお弁当だった。

食べ始めはいいのだ。ぎゅっとごはんが詰められているから、下手な箸さばきでもすくいやすい。だが、残り3分の1くらいになると、冷めたごはんはパラパラになる。ごはん粒をひと粒ずつ箸でつかむという高度なテクニックができるわけもなかった。玉子焼きのように箸で突き刺すこともできない。お弁当は早く食べて、昼休みはたっぷり遊びたい。そこで小学生の私は、ごはんとおかずの間の仕切りをスプーン代わりにして、それで残りのごはんをすくって食べた。今から思えば、左手で箸よりも、そちらの方がよほど恥ずかしい行いだった。
それでも、まあ、数か月もすると、完璧とはほど遠いとはいえ、ぎこちなくとも右手で箸を扱えるようになった。人間、鍛錬すれば、なんとかなるものである。

私は意気揚々として、祖父に「おはしを右手で持てるようになった」と報告した。祖父は、「おお、よくがんばったな」といって頭をなでてくれたが、煙草をふかしていた。
「おじいちゃん、私がお箸を右にかえたら、煙草を止めるって約束したよね」となじると、「おお、そうだったな」といって、灰皿で煙草をもみ消す。だが、目を離すと、また、煙草をくわえていた。そうした応酬が何度も続いたが、いっこうに祖父の喫煙が改まる気配はなかった。そのうちに私のほうが、いちいち注意するのが面倒になって、根負けしてしまった。
祖父にしたら、してやったりだったと思う。

結局、祖父は亡くなるまでヘビースモーカーのままで、私はその後ずっと「おじいちゃんにだまされた」と言い続けた。

でも、おかげで箸を右で持てるようになったことに、今では感謝している。
両手利きのいいところは、右手をケガしても、左でなんとかなることぐらいだけど。





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