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帰りの風景

おやじが施設に入った。
すこしづつすこしづつ悪くなっていって、だんだん母親では介護が大変になったからだ。
パーキンソン病という病気と脳梗塞からくる左半身の麻痺がある。
くすりをたくさん飲むことによって少し動いたり立ったりできるのだが、副作用によって幻覚が見えたり暴力的になったりする。
また眠くなったりもする。
母親は元気にふるまってはいるがずっと介護をしていて疲れていると思うしなにしろ自分の時間がほとんどなくなる。それは彼女にとってあまり良い事ではないと思った。
施設に入れようかどうしようか迷っていると聞いたときにはすぐに入れたほうが良いと伝えた。
私とおやじはそんなに仲良くはなかった。まあおやじなんてそんなものだ。
大人になってからは二つ大きな出来事があった。
一つは私が会社員だったころ二人で北京と西安に旅行に行ったことだ。
おやじから行こうと誘われて3泊4日の旅行に行った。
どうしてだろう?何を思って誘ったのだろう?
ふたりの思い出が作りたかったのだろうか?
その時の私はそんなことは特に考えず、とても楽しい思い出として残っている。おやじがどんな顔でどんなことに興味を持ちどんな発言をしたかはほぼ覚えていない。夜のみやに出かけようと言ったら一人で行って来いよ。と言われたこと。ぐらい。
二つ目は私がお店をオープンして二店舗目を出したいといったとき。
おやじに少しお金を貸してほしいと頼んだ。
おやじはだめだと言った。
今考えれば私もそれはだめだと思う。時期が早すぎた。
しかしおやじはだめだといったその日、酒を飲みながら泣いていたと後から聞いた。
そんなおやじの施設のお祭りがあり、好きだった歌謡大会があっておやじも歌うとのことだったのでちょっとだけ顔をだした。
車いすに座る高齢の方たちに交じっておやじも自分の番を待っていた。
目をつむったり、体がぐらぐらしていたりして大丈夫かな。と思っていたが自分の番が始まると車いすの上ではあるがシャキッとしようとし、ぐらぐらする手を頑張ってマイクを持ち「宗右衛門町ブルース」を歌った。
とても上手かった。
沢山拍手をした。
帰りの車でおやじの好きだった歌を聞いた。

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