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さくらももこの心の奥『おんぶにだっこ』~読書日記

 今朝、ラジオを聞いていたら、パーソナリティーがこんな話をしていました。

「子どもの頃、自分ちに友達が遊びに来た。帰った後に、自分が集めていたメタルのフィギュアがない。後日その友達の家に行ったら、似たようなのがあった。自分のじゃないかなと思ったけど、聞けなかった」という話。

それで思い出しました。さくらももこ著『おんぶにだっこ』
幼い頃を描いた自伝エッセイです。
このなかに、同じようなのが載っていたのです。反対に、持っていった話。「盗んだビーズ」という話です。

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ある日、ももこは京ちゃんの家に遊びに行きます。でもいなかったので、「また来るね」と帰ろうとして、京ちゃんの部屋にさしかかった。机の上にはオモチャといっしょに、ビーズがたくさん入った箱もあった。ももこはずっと前からそれが欲しかった。

そして、手に取って、「きれいだな」「いいな」と思いながら、「1個くらいもらっても、大丈夫な気がした」そしてポケットに入れてしまうのです。

でも、外に出たとたん、とんでもないことをしたという思いでいっぱいになります。「ドロボーの一員になってしまった」「どうしよう」

ドロボーしたなんて、誰にも知られたくない。「もう人間として失格だ」「地獄に落ちて血の池、釜ゆでだ」

お母さんに、ポケットの中のビーズが見つかってしまいます。「どうしたの?」と聞かれて、「トモちゃんにもらった」と嘘をつきます。

ああ、嘘までついておしまいだ。

後日、京ちゃんの家にまた遊びに行きます。京ちゃんはビーズを出してきて、「ももちゃんにも少しあげようか」と言ってくれるのです。ももこは一瞬黙ったあと、「・・・いらない」と答え、泣き出します。何もかもが悲しくなって。

誰かにいいよと言ってもらえれば済む事ではないんだという深い傷に気づき、私はひたすら泣いた。泣いても泣いても事実は何も変わらないと感じながらも泣くしかなかった。

P102より引用


これを読んだ時、私は、さくらももこってすごいなと思いました。
子どもの頃の、心の奥深いところ、心のひだにある切なさ、悲しさ、罪深さ。


ちびまるこちゃんの人気も、あの明るさや楽しさだけではないんだと思いました。こんなふうに、子どもの頃に持っていた、楽しいような悲しいような、両方持ち合わせた子どもの心があるからなのだ。

昔を思い出して、胸がキュンとなるような懐かしさとともに。

結局、話はこの後どうなったかは書いていないですが、ももこは、この心の傷をいつまで持っていたのでしょうね。

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2年くらい前に、「さくらももこ展」に行きました。 

「さくらももこのすべて」があって、「さくらももこの世界は広い、深い、おもしろい」と思いました。
この本は、その時に買ったのです。本当に、子どもの頃のことをよく覚えているなあと感心しました。


さくらももこさんは漫画だけでなく、文章が素晴らしいです。
いや、両輪だな。そしてつながっている。

頭と心にあることの表現方法が、漫画と文章なのだ。益田ミリのように。
昔、「ちびまるこちゃん」も子どもと見たし、「もものかんづめ」とかの本もよく読みました。


「読書日記」まだ書いていないのがありますね。忘れてしまいそうです。(積ん読もたくさん)

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