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新聞より 「惜別」

このご時世で、不要不急は避けようと、この土日決まった予定はありません。
あ、自宅でやらなければいけないことはたくさんあるのですけどね。  
 例えば手紙を書いて出す、片付け、在宅ワークなどです。

ま、良いことにして、今日は新聞よりを書きます。
だいぶたまっています。 

 朝日新聞 1月15日 夕刊。惜別のコーナー

淀川工科高校の吹奏楽部 丸谷 明夫先生


今日はまずは、あの丸谷明夫先生です。
ご本人からこの原稿を頼まれていた、という編集委員 吉田純子さんが書いています。
  
  この中では、最初の文章「ええなと心が動いたら、相手に伝えずにいられない人だった」
とありました。記事の感想を伝える早朝の電話やメールでたびたび起こされたそうです。

  これ、私にもあります。
こうやって新聞記事や日頃の出来事でも、
「いいな」と思ったら伝えたくなります。  
 精神科医樺沢紫苑のカバちゃんが言うところの「アウトプット」人間です。


 先生の「ええな」は
思いがけず誰かを力づけ、
新たな幸福の連鎖を生むこともある、と書いています。
    
 私は独りよがりの自己満足ですが、
誰かの心に届いたらいいなと思って書いています。

  話が最初から外れています。すみません。
淀工吹奏楽部キャプテンの言葉がすごい。
「僕という人間がちゃんとしていないと、いい音楽は生まれてこない」
「吹奏楽に出会えて、生きることそのものを楽しめるようになりました」

 「先生との時間が音楽以外のところにもつながっている確信がある」
3年生にとって最後の演奏会の話題が、他の日に記事になっていました。

  先生と生徒のつながりの強さ。
先生の思いはきっとこれからも受け継がれていくのでしょうね。

  2番目は精神科医、長谷川 和夫さん


認知症診療の第一人者で、自ら認知症になったことを公表されていました。
認知症になってから、テレビの取材も受けておられました。

 専門医でも認知症になる。決して特別な病気ではない。
そう伝えたい強い気持ちがあったそうです。

  生前、先生にインタビューした時の言葉として、
「認知症というのは決して固定した状態ではなく、
認知症とそうでない状態は連続している」
と書いてありました。

  実はここは私は違うように聞いていました。
「認知症になる前と、なった後で違う人間になるのではない」
「それは連続している」
というように捉えていました。

 いずれにせよ、認知症だろうがそうでなかろうが、
「その人」であることには変わりはない、という考えは大事だと思います。

「惜別」の三人目は、落語家 川柳川柳さん

かわやなぎせんりゅうさん。
90歳で亡くなりました。
すみません、私、存じ上げませんでした。
 
 記事より:
酔っぱらっては大きな声で歌い、ひんしゅくを買うが、本人はお構いなし。
唯一の弟子までが言う「酒乱で守銭奴」

酒癖が悪く、かつて親戚や近所にもいた、迷惑なおじさんそのもの。
でも、不思議と仲間からは好かれていたようだ。

 師匠は「古典的落語至上主義」の三遊亭円生。
自分は古典をやらず、
「落語界のアイ・ジョージ」と呼ばれてソンブレロをかぶってギターを弾いたりして
売れっ子だったが、師匠には認められず、
その後その元を離れて今の芸名に。


  こうやってみると、記事にあるように
「破滅型芸人」というのが分かる。

  昔の芸人さんの中には、こんなふうに破天荒で型破りの人もいたのでしょうね。
なんせ「芸人」ですから。
許されていた部分もあったのでしょうか。
今は、いないのでしょうかね。

  酔うと師匠について語ったそうです。
芸に惚れた師匠に疎まれても、弟子は慕い続ける。

  なんだかせつない話じゃあ、ありませんか。

お後がよろしいようで・・・。

見出し画像は、伊勢神宮おかげ横丁にて。良いことありますように。


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