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新聞より~人生〇〇年

同じく1月6日 朝日新聞より
《言葉季評》穂村 弘
人生〇〇年に思う「命の時間 錯覚と凝視」

まだまだ行きまっせ。では例によって要約から。

テレビ画面でみた広告動画
「〇〇を選んだ理由は120歳まで生きたいから」
ミネラルウォーターの広告である。

おっと、そこまで行ったか。人間の寿命についての意識である。

アニメ「巨人の星」では「人生60年」
同じくアニメの「男どアホウ!甲子園」の主題歌には「どうせ人生70年だ」
平成初めのきんさんぎんさん、きんさんは107歳、ぎんさんは18歳まで生きた。当時は100歳まで生きるのは稀だったので、あやかりたいという気持ちが強かった。

そこからさらに時は流れて「人生100年時代」という言葉が普通に使われる。

そして120年である。決して夢物語ではなく、それなりにリアルな願望としての120歳なのだ。

穂村氏は60歳。60歳時代ではそろそろ寿命が尽きるはずなのに、120歳時代では60年がそっくり残っている。
もちろん、実際の平均寿命がそこまで伸びているわけではないが、イメージとしては一種の錯覚として成立可能である。

その一方、現実世界におけるリアルな命の実感は、ある年齢を超えた人間の意識の中で、刻一刻と強まっていくらしい。短歌の投稿に、年齢記載の規則はないのに、高齢者は年齢を書いてくる。それも「91歳2か月」と月齢まで。自分の年齢だけでなく、月齢まで意識して生きている。

赤ちゃん時代は「1歳2か月」というように親や周囲から月単位の命を見守られてきた。そして、人生の終盤に再び、自らの月ごとの命を凝視する心の働きを教えられた。
【要約終わり】

人の平均寿命は伸びていると思う。仕事でお会いする高齢者で、90歳以上の方がたくさんおられる。90歳代でもしっかりと自立されている。〔身の回りの事を行なうしトイレも行ける〕。70歳80歳はまだ若くて、冗談のように「90歳になったら一人前のお年寄りと認めてあげます」なんて言っていた。

 では長生きしたいと思っているだろうか。「もう少し生きたい」という方もおれば、「長生きなんかしたくない」という方もおられる。家族や周りの人の面倒にだけはなりたくないという人も多い。以前よく言われた「ぴんぴんころり」が理想と言う。

 高齢になると持病があったり、身体のどこかに痛みを抱えている。身内や友達を亡くし、喪失感にさいなまれる。「長生きするのも大変」とよく聞く。自分もその仲間(入口に立っている?)になったのでよく分かる。 

 でも、「寿命なので好きにできない」「その日まで何とか生きていくしかない」と多くの高齢者が思っている。自分の寿命について、「いつどうなったも受け入れる」と達観している方も少なからずいる。少しでも自分らしく生きたいように生きることのお手伝いをするのが私たちの仕事である。

 高齢者の月齢だが、そこまで意識している人にはあまり会わない。でも「自分の人生が残り少ない」という感覚は持っているのではないかと思う。それは意識しない焦りとなって体調に現れるようにも思う。

見出し画像は、「行きたい、第2の故郷北海道」
道庁です。生きているうちにあと何回行けるかな。

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