見出し画像

プライドという鎧を脱ぐ覚悟をした日。~でじでじと名乗る理由~

「俺、お前らとは違うんだよね。」

「それやって、俺に何か得がある?」

「『友達』なんて存在がなくても生きていけるでしょ。」

「一生懸命やってます!みたいな感じは出したくないんだよね。」

こんな言葉ばかりを常に心の中に持っていた4年前の自分。
だから、常に人を見下す顔をして、まともにコミュニケーションもとらない。
他の人から見たら、ホリエモンの嫌なイメージだけを切り取って集めたように見えたかもしれない。

では、そんな偉そうにするくらい成功していて、順風満帆だったのかと言うと、真逆でした。

昔できていたこともさえも上手くいかない。
状況はどんどん悪化していく。
もう、なにをやっていけばよいのかもわからない。
弱音を吐く場さえもない。
人とどうやってコミュニケーション取っていいかわからない。

自分でもわかっていました。

やることなすことダメな事ばかりで、自己肯定感が低くなっていく自分を必死に隠すために、『プライド』という鎧を身に着けて強気な自分を演出していたのです。

しかし、そんな鎧を脱ぐ時がある日、突然おとずれました。

今日は、下らないプライドを捨てて得た、自分にとって大切なことという話をしてみたいと思います。

グラフィックファシリテーターになる為に。

2017年の春にグラファシ講座で衝撃を受けて以来、私は「グラフィックファシリテーターになりたい」という気持ちが強くなっていきました。

当時の内容はこちら↓↓

しかし、冒頭でお話ししたように、私は常に人を見下すような態度をとり、人とのコミュニケーションを拒んでいるような状態でした。

こんな状態でファシリテーターになれるわけがない。
真摯にグラファシを学び続けることもできないだろう。

自分でもよくわかっていました。
こんな自分じゃダメだって。

でも、どうしたらいいのかわかりませんでした。
明日から気持ちを入れ替えて頑張ります……なんて、簡単に自分が変われるわけでもない。そんな簡単に人が変われるならすでに変わっているだろうから。

自分を変えるために何をしたら良いのだろう?

グラフィックファシリテーター予備群の0年生。
すべてゼロから始めると考えた時に邪魔だったのは「プライド」でした。

人に馬鹿にされたくない。
年下に負けたくない。
弱い奴だと思われたくない。

そんな、自分の弱さを隠すためのくだらないプライドなんて捨ててしまえば変われるんじゃないか?
真摯に学びに向き合えるのではないか?

そして、そのプライドを脱ぎ捨てるために考えついたのが「でじでじ」という呼び名に変えることでした。

「でじでじ」と呼ばれることが大嫌いだった。

画像1

なんで、『でじでじ』なの?とよく聞かれます。
普段は、「デジタル系が好きだから」と簡単に説明することが多い。

でも実は、サラリーマン時代に上司からつけられた最低最悪な呼び名でした。

28歳の時に営業として中途入社した会社。
特殊な業界だった事もあり、営業部は即戦力にならない中途採用者の自分を嫌がっていました。

上司は、業界誌を片手に30分程説明をして、営業先に一軒同行させたところで「後は頑張って自分でやってくれ」と放りだされました。

なんとかしなければと電話アポをひたすらとり続け、当時は珍しかった小さいノートパソコンとデータ通信用のPHSを持って終電近くまで営業していました。

しかし、2カ月半もの間、営業成績はゼロ。
周りの予想通り、営業部の厄介者になってしまいました。

会社では挨拶をしても誰も返事もしてくれない。
誰かが後ろを通るたびに椅子を蹴っていく。
上司に「いつまでただ働きするの?」となじられる。

そして、みんなの前で上司から言われた一言が、

「お前、営業先にパソコン持って行ったり、PHSで通信したりとかやっても何の結果も出てないじゃん、でじでじ君よ~。」

社内中が大爆笑となり、私は顔を真っ赤にして小さくなることしか出来ませんでした。
そして、これが「でじでじ」と呼ばれるキッカケとなってしまいました。

この後、何とか営業成績を上げる事が出来て、社内の嫌な雰囲気もなくなっていきましたが、失敗した時だけ「でじでじ」となじられました。

だから、私はこの「でじでじ」という言葉が大嫌いでした。
自分の無力さと、惨めさを思い出してしまうから。

だからこそ、今まで封印してきたこの『でじでじ』という呼び名を復活させて、あえて自分から名乗ることで、「プライドを捨てる」という強引な道を選ぶことにしました。

でじでじと呼ばれることで、自分のダメな部分、カッコ悪い部分も素直に認めて、全部さらけ出していく覚悟を決めたから。

ゼロベースの自分になって。

でじでじという言葉を聞くと、ドキッとします。
そのたびに、今の自分には何もない、ゼロから始めるんだ!という初心に戻れます。

この極端なやり方が一般的に良いか悪いかはわかりません。
人によっては自分を追い込んで傷ついてしまうかも知れません。
しかし、自分にはこれくらい追い込まないとどうにもならない程、ひねくれた人間になっていたのも事実なのです。

結果的には、とても良い決断をしたと思っています。
きっと、プライドを捨てられない昔の自分のままであったなら、途中でグラファシを学ぶことを諦め、放棄していたかもしれません。

また、自分がゼロベースでスタートすることで、人の意見や自分に対しての厳しい指摘に対しても素直に受け取ることが出来ました。
そして、相手を素直に受け取ることが、自分を受け取ってもらえることにも自然に繋がっていきました。

今まで、相手の言葉や気持ちを受け取ろうともせずに、「なんで俺のことをわかってくれないんだ!」と独りよがりになっていたことを恥ずかしく思います。
しかし、こんな50近くのおじさんになってからでも気づけたことは本当にラッキーなのかもしれません。

また、「でじでじ」というポップな響きにネガティブな印象がなく、周りが受け入れやすかったのも良かったと思っています。
もし、「うじうじ」なんて呼ばれていたら、さすがに周りも呼びづらかったでしょうから。

こんな風に考えると、でじでじと呼ばれたことはグラフィックファシリテーターという仕事に繋がる重要なプロセスだった気がします。

僕が得た大切なこと。

画像2

自分を変えるために過去の嫌な自分の呼び名をつけて奮起した自分はエライ!……と自画自賛したいところですが、現実はそんな簡単ではありません。
確かに変わる努力はしました。
でも、呼び名を変えるくらいでそんなに大きく人は変われない。

グラフィックファシリテーションを本格的に学ぶ中で、私自身、戸惑いもいっぱいありました。
そして、周りを困らせることも山ほどありました。

でじでじ、めんどくさい!
でじでじ、場を乱すな!
でじでじ、大げさにするな!
でじでじ、ウジウジするな!
でじでじ、もう勘弁してくれ!

こんな言葉と共に周りのみんなは、どれだけ「でじでじというおじさん」に手こずったことか。
しかし、誰も僕を見捨てはしなかった。
あきれたり、溜息をつきながらも、ずっと見守ってもらった。
そして、手を引っ張ってもらい、背中を押してもらった。

グラファシの学びが終わった後も、色々な人に助けてもらって今がある。

プライドという鎧を脱ぐ覚悟をした日、でじでじと名乗って僕が得た大切なことは……
出逢った人たちの優しさでした。


コネクトファシリテーター でじでじ でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?