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初めて染めて、初めて織った日

ほぼ毎日着物を着る生活を始めて、気がつけば2年が経っていた。古着で買い集めたり、友人や親戚から譲っていただいたり、えいやと勇気を出して初めて仕立ててみたり。バリエーションも増えてきたし、着付けはもう10分ほどあればだいたい終わる。着ていった先で(特に出張先などで)驚かれることはあれど、自分にとっては完全に日常の一部になった。

ありがたいことの着物に関する取材をさせていただく機会も、1シーズンに1〜2回ほどいただいている。ネットや雑誌、本で調べて得る情報とは違った、もっと身体的で、もっと深い情報に触れられるのが毎回楽しい。

「着付け」というのはだいたい体に馴染んできたけれど、次に興味が湧いてきたのは着物の素材。絹の軽さや麻の涼しさなどはわかるけれど、このきめ細かな布ができる過程が気になる。

以前、友人が機織りの教室に通っていたと聞いて、いつかは私も織るという体験をしてみたいと思っていた。一度だけ、ひとりで久米島へ行った際に久米島紬のコースターを織る体験をしたけれど、当時は着物のことなんてほとんど何も知らなかったし、コースターの面積は思ったより小さく、あっという間に完成してしまった。私がやってみたいのは、もっと広い面積なのだ。

7年前、久米島で体験した機織り


そんな思いを見透かしたように、インスタ広告で染め織り体験が目に入った。それも、志村ふくみさんのもとで学んだ方々に教えていただけるアトリエシムラという場所が東京にあるというのだから、近いしすぐに行ける。すぐに申し込んだ。

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5月のはじめ、成城学園前駅から住宅街を歩いてすぐのアトリエに着くと、素敵な一軒家だった。2階に通されてドアを開けると、そこにはもう4台の織り機が設置されている。それを見た瞬間に、久米島でプロの方々が織る作業が奏でる軽やかで心地よい音の連なりを思い出した。



まずは草木染めを体験することになった。草木染めというのはなんとなく、本当になんとなく興味は持っていたものの、踏み込めないでいた。勝手な偏見なのだけれど、草木染めはオーガニックな体にも健康にも良いことを生活で実践している人たちの延長線上にあるような気がしていたから。私はファーストフードのフライドポテトも大好きだし、仕事が立て込んできた時に栄養ドリンクを飲んで一踏ん張りするのも嫌いじゃない。部屋の片付けも苦手。そんなジャンクを捨てきれない自分が草木染めに手を出すのはおこがましいのでは、という妙な引け目をずっと抱いていた。

でも、志村ふくみさんの本を読んだり、アトリエでスタッフさんたちのお話を聞いていると、「これをしちゃだめ」というような制限と感じるようなことはほとんどなく、純粋に自然のいろんな素材から「色をいただく」ことを楽しんでいるように感じられた。色を楽しむ、ということなら、私も足を踏み入れていい気がした。

この日に染めたのは豆桜。そんな桜があるのかと初めて知ったのは、私がまだまだ自然素材に詳しくないからだろうかとちょっとした恥ずかしさを感じたのも束の間、スタッフさんも「豆桜というのがあると初めて知って、お近くの植木屋さんが譲ってくれたんです」と話してくれた。知らないことは恥ずかしいことじゃない、と思えた。知らないことは好奇心に変えて、面白がりながら教えてもらえれば良いのだと、何かのスイッチが切り替わった気がした。

今回使うのは豆桜の枝。それも、桜の花が咲く手前の蕾の状態のギリギリで枝を切ったものが一番鮮やかに色が出るそうだ。花が咲く機会を失ってしまった木が少しかわいそう、と思ったのだけれど、木を病気から守るための剪定をするときに一番木にとって良いタイミングがそういうときなのだそうだ。木にとってもよく、人間が色を楽しむのにも一番いい時期。それを聞いて小さな罪悪感もすっと消えた。

前日に枝をたっぷりの水に沈めて、4時間煮込んでくださった染料が大きな大きな鍋にある。それを少し温めて、ちょっと熱めのお風呂くらいの温度にして、参加者の人数分ボールに分けていただき、紬糸を浸してさっと潜らせ、全体に行き渡るように赤く澄んだ液体の中を泳がせる。さくらんぼとも、桜餅とも違う、でもすごく甘くていい香りが部屋に充満する。

色が糸に染み込んできたら、ぎゅっぎゅっと絞って外のテラスへ。糸の輪を大きく両手で開いて、パンパンと両側に伸ばしながら水気を飛ばす。それだけで一本一本の糸がばらけて、きれいに整う。これだけ力を入れても大丈夫なのだから、絹糸というのは本当に強いのだなと初めて実感する。着物の状態になったら、ついつい丁寧にばかり扱ってしまうから、こんなに力強く絹糸に力を入れて向き合ったのは初めてだった。

こんなに力強く固く絞ってしまって良いのかと驚いた


もう一度染液に糸をつけて、泳がせるように赤い液体の中を潜らせ続けて、ぎゅっと絞ってぱんぱんと広げる。さらにもう一度、と繰り返すうちにだんだんと淡いピンク色が濃くなってきた。しかし、今、目の前できれいに染まったように見えるこの色は、時間が経つと色褪せていってしまうらしい。色を定着させるために、今度は媒染液というものを使う。今回は灰汁を薄めたものと、木酢を薄めたものの2種類の媒染液を使った。灰汁を使うと、さっきまで淡い色だった赤色があっという間に鮮やかなピンク色になった。木酢は渋いピンクグレーのような色に。なんだか理科の実験のよう。双子のように同じ色だった二つの枷が、あっという間に別々の、でもどこか同じ共通項を持ったような色に変身した。

この2色はどちらも「豆桜」の色


ギリギリ晴れている間に、テラスに干して糸を乾かす。糸が乾くのを待つ間、今度は機織りの方法を教えていただく。以前に経験した久米島紬は、緻密な計算のもと、順々に織っていくことで狙い通りの模様を出すため、なるべくずれないように糸の染まった部分と白い部分を重ねていった。今回もきっとそのような緊張感を伴う作業なのかと思っていたら「思うままに好きな色を選んで織っていってください」とのこと。

糸巻きも、もちろん自分で。
糸口を一度見失うと、探すのはとても難しい。

とはいえ、糸の端の処理とか、糸の色を変えるときの複雑な作業などがあるのでは?だって、編み物で模様編みをするときだってなかなか複雑になるし。そんな疑問が口をついて出てしまった。そうしたら、縦糸が800本もあること、それを交互に400本ずつ上下に分けながら織り上げていくこと、機の上下を入れ替えてトントンと詰めたら、もう放っておいても解けてこないのだと教えていただいた。これならズボラな私でも長く続けられそうだ。

アトリエにある好きな色を選んでよいとのことで、なんとなく気になった色を思うままに手に取ってみた。

シュンと横に滑らせる道具に糸を設置して走らせてみる。なんだかとてもとても小さなスケボーのような形で、裏側に車も付いている。一本の横糸というのがここまで存在感があるのかと驚きながら、次に、さらに次にと、なんとなく似た色を重ねていった。すると、思った以上にきれいにグラデーションが仕上がっていく。時折気分を変えて、違った色も差し込んでみる。

私はどんな色を描きたいんだろう?と思ったけれど、絵心にコンプレックスがあるので具体を想像すると手が止まってしまう。心地よい景色だけ頭の中で思い出すことにする。すると、出張がとてもとても多かった3月〜5月前半の日本各地の春の景色を思い出した。

大分の国東半島で見た一面の菜の花畑。金沢で見た夕暮れ。雪の残っていた長野。北海道の露天風呂で見た桜吹雪。それぞれの合間で見た新緑。


気がつけば、それらの色を目の前に落とし込んだような布が出来上がっていた。何か正しい正解を作るために織るのではなく、気持ち良いようにただ色を重ねていくことが、こんなにリラックスできることだったとは。出来上がった布は、ノートの表紙に仕立ててもらうことにした。

織り上がった生地
ノートの完成品


あまりの心地よさに感動してしまい、1日では物足りない気分になり、帰りの小田急線に乗る頃にはさらに大作となるであろう「帯」を織るコースを申し込んでいた。

着物の初心者のつもりで2年と少し生活していたら、今度は草木染めと機織りというふたつの世界に初心者として飛び込む、想像以上の楽しさが待っていた。

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