「人生は生きるに値しない」と思っている人と付き合うのは難しい

人生に何も期待していない人の隣にいるのはすごく苦しくて悲しい。

彼らは急に何かを始めたりやめたりする。たいていうまくいかない。「やめちゃったの?」と聞いても「他にやりたいこともないからやってみた。けど違った」を繰り返す。やりたいからやりたいのではなく、やりたくないことしかないからやってみるのだ。

自分や周囲が傷つくことを平気でやってみる。性的な遊びや賭け事や危ないくすり。人によって違う。けれど動機はぞっとするほど同じである。

「飽き飽きしてたから」。自分と、世界に。

何よりも「自分に退屈している」人たち。生に何も期待していないから、何も愛していない。こういう人の「お気に入り」になることはできる。あるいは「お世話係」になることもできる。だが、別に彼らは誰も愛していないのだ。だって自分を何よりも愛していないのだから。そして世界をゴミを見るように眺めているのだから。

昔はこういう人たちに世界をいっしょに愛そうと誘いかけたこともあった。意味がない。周りの人は彼らの倦怠を引き潰すための道具にされる。私の価値も引き潰されて倦怠とマリアージュされる。それは退屈な死刑である。「人生は生きるに値しない」という世界観の焼き印を押しつけられるような拷問であり、人間には耐えられない。

だって、人生は生きるに値するのだから。世界を愛せない人と一緒にいたって仕方ないのだ。

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