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子どもはミライだ!

自分が田舎育ちのせいだろうか、最近は子どもたちの”外あそび”の場が少なくてかわいそうだなと思ってしまいます。

昔にくらべればきれいに整備されたも公園も増えて街全体はきれいになったけれど、子どもたちが大声をだして走りまわってる風景をあまりみることができなくなってしまいました。いったい子どもたちはそのあふれんばかりの熱量をどこで発散しているのでしょうか。

子どもにとって”あそび”は”まなび”

5~12歳の時期は、ゴールデンエイジとよばれる身体能力、運動能力が著しく発達する時期を過ごしています。この時期にさまざまな動作を経験することで、脳が刺激され、神経系が急速に発達するため、体の動かし方や動作、技術を短時間で覚えることができる貴重な時間と言われています。
また、いろんな友達と一緒に遊ぶことで社会性やコミュニケーションを覚える、そんな大事な意味が“外あそび”にはあります。
また、”まなぶ”の語源は”まねぶ”つまり、マネをすることです。この時期の子どもたちはお父さんやお母さんをはじめとしていろいろな人のマネをしながらいろいろなことを学んでいきます。たくさんの人と接し、様々な動作や行動、発言をマネすることは子どもたちの”まなび”に非常に大切です。あそびという強制ではなく自主的に行う行動の中で積極的に新しいことを学んでいくのです。
だらだらと過ごすことは”あそび”ではなく”なまけ”です。積極的にカラダをうごかし、熱中してエネルギーを爆発させる。そんな中で自分の中にある才能や興味があるものを見つけていく。友だちやオトナたちとコミュニケーションをとりながら社会性を身につけていく。”外あそび”には子どもたちの成長に不可欠なものと考えます。

子どもたちには”あそび場”が必要だ。

オトナたちの都合で、そんな子どもたちの”あそび場”を奪っていないでしょうか?
開発によって場所そのものがなくなっていく。安全を理由に子どもの遊びをどんどん制限していく。子どもの声がうるさいなどの苦情をだして、子どもたちを追い払う。

子どもたちは”ミライ”そのものです。ミライに投資できない社会に将来はありません。

では、どうやって”あそび場”を作っていくか、どこに投資していくかについてです。新しく公園を作るや児童館を作るというのはコストや場所を考えても現実的ではありませんし、仮に作ったとしても恩恵を受けるのはその公園や児童館の周りの方に限られてしまいます。

今あるものを最大限に利用する。

今あるもの、そして子どもたちみんなが使いやすい場所にあるもの、それは学校です。公立小学校の放課後の校庭と体育館を子どもたちのあそび場として利用できないでしょうか?
今も一部ではプレディなど学校を利用した預かりサービスが始まっています。ただ、それはどうしても学童に入れなかった子どもたちを預かるという発想であり、子どもたちの成長のための「あそび場」を作るという発想ではありません。
学区内の子どもであれば(校庭のキャパシティがあるので、学年は制限が必要かもしれません。)誰でもきちんとしたルールのもと、思う存分カラダを使って遊ぶことができる、そんなことが学校を利用すれば実現できるのではないかと思っています。

”あそびの学校”という構想。

放課後の時間を子どもたちに完全に開放して、”あそびの学校”というべきもう一つの学校を作れないだろうかと構想についてです。”預かる”から”育てる”発想のアフタースクールを作る、それは参加も自由だし、学年もない、教科書もない、でも守らなければいけないルールはある学校。”あそびの学校”とでもいうべきカラダを動かしたり、様々なことを体験したり、いろいろなオトナの人から話をきいたりする普段の学校では習わないことを学ぶ学校。そんなものができたらいかがでしょうか?

画一的な勉強から離れ、例えば地域のお祭りに参加するためにみんなでお神輿を作る、踊りを練習する。おじいちゃんやおばあちゃんから昔の遊びを教わる。餅つきをしたり、みんなで凧揚げをしたりと日本の伝統や季節を感じることも学びです。体育の時間ではできないようなタグラグビーやヨガなどを体験してもいいでしょうし、なかなか学校ではできないプールにみんなでいってもいいかもしれません。授業ではないのですから、好きなだけプールで遊ぶのもいいでしょう。自然に触れる機会も少なくなっています。山や川へでかける環境があればこの”あそびの学校”の中でそのような機会を増やせればいいと思います。
このようにして、”あそび”を通じて様々なことに触れることで、感性の幅を広げ、自分の中に隠れている才能や興味を引き出していく。そして、文化や伝統に触れることで国や地域との結びつきを理解していく。子どもたちの学びはどんどん広がっていくでしょう。

いくつかの課題。

もちろん、学校を利用するということに対していくつかの課題があります。まず、学校側へ責任や負担を押し付けない方法を考えなければいけないということです。
本来の目的である学校教育に支障があるやり方は当然ながらできません。また、教職員の方々にこれ以上の負担や責任を負わせるやり方もできないと思っています。
そのため、この”あそびの学校”は完全に学校とは運営を切り離すべきだと考えます。別組織を作って市区町村と地域住民が一緒になって運営していく。そのためにはきちんとした予算化が必要で、これがミライへの投資の一つになります。
責任という部分もきちんと考えておかなければなりません。どうしても事故は起こりえるでしょうし、子ども同士のトラブルも発生するものと考えておいたほうがいいでしょう。こうした時、これらの責任を運営側に押し付けてしまっては、組織は萎縮しやれることもどんどん制限されていき、結果この”あそびの学校”が持つ意義が失われていくと思います。これは義務教育ではなく、自由参加です。運営側は当然に安全管理を徹底しますが、その責任範囲はある程度限定されるべきだろうと思います。これは子どもたちが自由に楽しむためが大きな理由です。

もう一つは子どもたちの安全に対する問題です。小さなお子さんを持つ方にとっては、安全は最も大事なことだと思います。
例えばですが、高齢者の方々に区や市から少しばかりの日当をお渡しして「見守り隊」になってもらい子どもたちの通学路を見回ってもらえないでしょうか?「見守り隊」は子どもたちがすぐにわかるユニホームを着ていて、いつでも子どもたちが助けを求めることもできるし、逆に子どもたちが、危ないことをしていたら注意することもできる存在です。最近ではなかなか知らないオトナから子どもが注意されることがなくなりましたが、親や先生以外から叱られたり、注意されることも一つの経験ですし高齢者の方々と子どもたちがもっと触れ合えることで、お互いに知らない世界を知ることもできます。そうやって街全体が子どもたちとつながっていくことで、この街を知り愛せるようになっていく。そんな子どもたちが成長したとき、今度は彼らがこの街や次の世代を護っていく流れができれば、街は成長し、伝統は受け継がれていくのではないでしょうか。

そのような場や環境を作っていことこそがミライへの投資であり、大事な政治の役割だと考えます。




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