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ハワイ初の日本人王者 池田金城(錦城)

突然ですが、皆さんは池田金城(錦城)というレスラーを知っておられるでしょうか?
かく言う私も、最近になって知りました💦
このレスラーも戦前レスラーですが、これまで紹介した戦前レスラーたちと比にならないぐらい有名ではないです…😅
そこで、せっかく発見したので、この池田金城(錦城)というレスラーについてご紹介致します。
私的には、このレスラーについて紹介した、プロレス関係の書籍は存在しないと考えているのですが、もしこのレスラーについて紹介していた書籍があるのでしたら、教えて下さると嬉しいです!

1.知った経緯

前述した通り、このレスラーについての記述があるプロレス関係の書籍は無いと思われます。
なら、何故このレスラーを私が知ったのか疑問に思われるかと思います。
それは、たまたま高橋精造四段(伊藤徳五郎のパートナーとして有名。プロレスラーとしても活躍)を国会図書館で調べている過程で、下の書籍が見つけたからです!

この大日本海外移住民史 第1編の頁177に、高橋精造四段と今回の記事の主人公である、池田金城(錦城)の名前があります。

他にも、ラバーメン樋上(樋上蔦雄)、沖識名、キラー・シクマ(志熊俊一)の名前もあります。
キラー・シクマは、それまではプロレス史に埋もれていましたが、ミック博士氏がお孫さんの情報を元に見つけ出したことで有名ですが、この大日本海外移住民史 第1編のような、当時の書籍や、当時の新聞には普通に名前が出てきます。

何故、田鶴浜弘氏や、小島貞二氏が、自身の書籍にキラー・シクマについて記述しなかったのか気になります…💦
そう言えば、最近、蝶野正洋さんのYouTubeにキラー・シクマ(志熊俊一)のお孫さんが出演されていました。下の動画です。

私的には、キラー・シクマもいいですが、1936年にジャック・レイノルズを破り、世界ウェルター級王者(世界ジュニアミドル級王者とも)になったラバーメン樋上や、日本人初の世界ヘビー級王座挑戦を果たした沖識名(1936年12.31にデトロイトでエベレット・マーシャルの持つMWA認定世界ヘビー級王座に挑戦)も紹介して欲しいところです…😅

まぁ、一旦置いておきます。
前述した、大日本海外移住民史 第1編に名前が出てきて、調べても一切情報が無かったことから気になった私は、国会図書館やアメリカ版Googleで調べてみました。
すると、まぁまぁ情報がありました!
日本には一切情報が無かったんですがね…

で、ここからが本題です。
プロレス関係の書籍には一切記述が無いと思われる、この池田金城(錦城)というレスラーを少しでも皆さんに知ってもらうため、私が得た情報をご紹介していきます!

2.私の情報

今回調査する過程で得た情報を一つずつ紹介していきます。

①大日本海外移住民史 第1編

前述した書籍です。上にURLは載せているので、そこから見てみて下さい。

内容ですが…

レスリングは一時間に先んじて同胞間に發
建し、一九一六年頃柔道の三宅太郎が来て之を
見せ次いで一九二一年頃まで高橋精造、池田錦
城等が布哇のプロ・レスリング界を牛耳って後日系市民選手も多数輩出し、ファイヤマン山下等のスターも出した。昭和になってから樋上蔦雄が来て風靡し、日本人選手中からは識名や志熊君のスターを出した。

大日本海外移住民史 第1編 頁177より(一部字を改めています)

とのこと。
ファイヤマン(ファイヤーマン?)山下とは、誰ですかね?💦

まぁ、池田について見てみます。
1921年頃まで、布哇(ハワイ)のプロレス界を、池田や高橋精造たちが牛耳っていたようです。世代的には、樋上や沖、志熊たちよりは少し前ようです。
活躍した場所が違いますが、前紹介した手代木禎二(プロフェッサー・ヘリー)と活躍した世代は近いようです。一応、手代木についての記事を載せておきます。まだ、見ておられない方は是非ご覧になって下さい!

②米国野球遠征

野球の書籍にも一部ですが、池田の名前が出てきます。下がこの書籍です。

内容を見てみます。

此日ホノルル市在住の日本人チャンピオンが集って自動車を運転して現れた。池田金城君は舊東京カ士であった人。今は西洋角力で布哇随一と称され……(中略)。

米国野球遠征 頁32より(一部字を改めています)

古い書籍のため、見たことない漢字が結構ありますね💦
一応、難しい漢字を現代の漢字に書き改めてみました。この書籍を見ると、池田は、日本の相撲出身(東京?)とのことです。
ちなみに、邦字新聞にも池田が相撲出身という情報がありましたので、池田が相撲経験者なのは確定だと思われます。
また、西洋角力はいわゆるプロレスですので、布哇(ハワイ)のプロレスで活躍したのも確定のようです。

③生年・家族について

調べていると、生年や家族についての記載があるサイトが三つ見つかりました。
一つ目が下のサイトです。

記載されている内容について見てみます…

①生年 1896年(1940年時点で44歳)
②妻 Hisays Ikeda(池田久代?)
   1899年生まれ(1940年時点で41歳)
③娘 Sue S Ikeda
   1922年生まれ(1940年時点で18歳)
   Yoko Ikeda(池田洋子?)
   1923年生まれ(1940年時点で17歳)
   Kiyo K Ikeda
   1924年生まれ(1940年時点で16歳)
   Akiko Ikeda (池田明子?)
   1927年生まれ(1940年時点で13歳)
   Itsuko Ikeda(池田逸子?)
   1932年生まれ(1940年時点で8歳)
   Kuniko Ikeda(池田邦子?)
   1935年生まれ(1940年時点で5歳)

池田は、1896年生まれで、Hisays Ikeda(池田久代?、Hisayoのスペルミスだと思われる)という妻と、6人の娘がいたようです!
1896年といえば、ラバーメン樋上(樋上蔦雄)もこの年に生まれています。
プロレスのキャリアとしては、池田の方が早い気がします🤔

続いて、二つ目のサイトです。
下がそのサイトです。

こちらも内容を見てみます…

池田金城が力士と紹介され、1896年生まれなのは一つ目のサイトと同じです。
また、 Hanako Kaya(萱花子?、1903〜1960)という人物が、池田の妻である、Hisayo(久代?)の妹であるようです。スペルが少し違いますが、妻の名前と、1899年生まれという部分は二つのサイトとも一致しています。
ですが、娘の名前・生まれた年が一致していません。
このサイトでは、長女の名前がShizue(静江?)となっており、1921年生まれとされています。また、三女の名前が、一つ目のサイトではKiyo(喜代?)、このサイトではKiyaとなっています。Kiyaという名前は考えにくいので、Kiyoですかね😅

最後のサイトです。
下がそのサイトです。

このサイトでは、池田が1895年8月6日に生まれ、1966年12月死亡とされています。
1895年生まれは、困りましたね💦
まぁ、一つ目、二つ目のサイトとも1896年としていたので、1896年説が有力ですかね。

また、四国に生まれ、アメリカのカリフォルニア州に居住し、大統領令9066号に基づきコロラド川戦争移転計画に抑留されたとの記録もあるようです。


以上が池田金城(錦城)の生年・家族についての情報です。

④レスリングデータ

プロレスの試合まとめサイトである、レスリングデータ(wrestlingdata)に池田の試合が一つありました。下がレスリングデータに残る、池田の試合の情報です。

レスリングデータによると…

試合日は、1926年5月19日(水)で、会場は、カリフォルニア州ロサンゼルスのグランド・オリンピック・オーデ(ィ)トリアム。観客数は、3500人とのこと。
池田は、ロイ・アンダーソン(Roy Anderson)と戦ったようですが、勝敗が分かりません…💦
ですが、ロイ・アンダーソンの試合情報を見てみると、30分時間切れ引き分けだったようです。
レスリングデータには、これ以外の情報は私の見た感じ無かったです。
しかし、見落としている可能性もあるので、もし見つけた方は、教えて下さい!

⑤論文の情報

まずは、下の写真を見てみて下さい!

この論文は、檀山流柔術の創始者である、岡崎星史郎について述べられたものです。
檀山流柔術といえば、池田と同じく戦前レスラーで、日本プロレスのレフェリーを務めた沖識名がやっていた柔術で有名ですかね🤔
一応、Wikipediaがあったので載せておきます。


論文の内容を見てみると、1920年代の岡崎星史郎について記載されているようです。
この論文の中に、プロフェッサー高橋という人物が出てきますが、前述した、高橋精造だと考えられます。
なぜなのかというと、池田と同時期に活躍したのは勿論、プロフェッサー高橋と呼ばれていた証拠を私が見つけているからです。
それが下の新聞です。

この新聞によると…

邦人間にもその人ありと知られている柔道の高橋精造師範は「プロフェッサータカハシ」と
して氏は米人間に嘖々たる名声をもっている

コロラド・タイムス 1950年5月6日発行より(一部字を改めています)

とのこと。
まぁ、本題は池田なので、池田について見てみます。1枚目の写真の最後、2枚目の写真の最初の部分に、池田についての記載がありました。
それによると…

1922年3月にイギリス人レスラーである、ジョージ・クラパムは、すでにホノルルで地元のレスラーを倒すことに成功していた。 特に、彼は地元の日本人の人気者、池田金城を破っている。 池田が負傷したため再戦の予定が立たず、プロモーターは当時コロラド州デンバーに住んでいた高橋教授に連絡を取り、島に来てクラパムと対戦してもらうことにした。

とのこと。池田はジョージ・クラパムというイギリス人レスラーに負けていたんですね!
しかも、池田が負傷したため再戦は無く、プロモーターは、池田の代わりに当時コロラド州デンバーに住んでいた、高橋精造に島(ホノルル)で試合をしてもらうように依頼していたとは!

月刊ゴング 1972年4月号に、プロレス入門講座 日本のプロレス〈最終回〉という記事(執筆 原康史=櫻井康雄氏)があります。その記事に高橋精造は、中西部コロラド州デンバーを中心に暴れまくったとの記述がありましたが、実はコロラド州デンバーに住んでいたんですね!

月刊ゴング 1972年4月号

この論文を全部読んでみても、この他に池田について記述された部分はありませんでした。

あと、この論文と直接関係はありませんが、池田と沖識名に関係があったのではないかと、私は考えています。G SPIRITS vol.67に沖識名についての記事(執筆 小泉悦次氏)がありますが、この記事によると、沖と岡崎が出会ったのが、1915年とのことです。岡崎と池田が出会っていない可能性は低そうですし、1922年時点で、沖はハワイにいたようなので、少なからず池田と沖が出会っていた可能性はあると思います🤔

⑥新聞記事

ここまででかなり文章が長くなってしまいましたが、まだまだ情報はあります笑。
簡単に紹介していきます!

一つ目の新聞

この新聞記事によると…
1920年2月21日(土)時点で、池田が、ハワイ諸島のレスリング・ヘビー級チャンピオンだったようです。
池田が本当にヘビー級だったのかは真偽不明ですが…

二つ目の新聞

この新聞記事によると…

日本人キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・レスラーのチャンピオン、池田金城である。 カリフォルニア州ロサンゼルスのアスレチック・クラブで、太平洋岸ミドル級チャンピオンのウォルター・ミラーと対戦する。

マコム・デイリーバイスタンダー誌 1922年6月19日号より

とのこと。
ちなみに、この新聞は1922年6月19日のもので、記事の中には池田の写真がありました!
池田の力士時代の写真だと思われます。

内容を見てみると、やはり、池田はチャンピオンだったようです!
ですが、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン(CACC)のチャンピオンとされています…💦
まぁ、プロレスラーで、チャンピオンだったことには変わりありません笑。

三つ目の新聞

この新聞記事によると…

昨夜(1922年7月1日)、池田金城は高橋教授を、きれいに、そして手際よく倒した。
それはフィニッシュ・レスリングの試合だった。
3フォール中2フォールのフィニッシュ・レスリングマッチだった。金城がダブルアームロックとヘッドホールドで先制。高橋教授の体にはもう余裕がなく、金城はもう2、3回クランプをかけただろう。最初のフォールは23分2秒3/5。次の金城も1分16秒。その時、高橋は終了を宣言した。ファンもそう予想していた。試合後、高橋の腕の負傷で続行不可能となり、2度目のフォールを断念せざるを得なかったことが発表された。とにかく時間の問題だった。ピーター・バロンが見事なレフェリーをした。若きジミー・マトンが勝者に挑戦した。

ホノルル・アドバタイザー誌 1922年7月2日号より

とのこと。
池田と高橋精造が同時期活躍したことは前述しましたが、なんて戦っていたとは!
試合は池田が勝ったようです。

ちなみに、この新聞記事には他にも情報があり、
高橋が金城に 15ポンドから20ポンドを与えた(?)。一方は138ポンド、もう一方は 150ポンド以上。金城は海岸に出る前よりずっと気品が増した。
とのことです。
内容から見るに、138ポンドが高橋、150ポンド以上が池田ですかね🤔
こうなると、池田がヘビー級だったのかは怪しくなりますね💦

あと、この記事には、池田や高橋の他にも、日本人(日系人)らしき名前が出てきます。
Fujii(藤井?)、Murakami(村上?)、Matsunomoriなどです。
この人物たちが、日本人(日系人)レスラーなのかは不明です。もし、これらの人物についての情報をお持ちの方がいましたら、教えて頂きたいです!

⑦邦字新聞デジタルコレクション

邦字新聞デジタルコレクションには、池田の写真や池田に関する新聞記事、書類がありました。
写真と書類は紹介しますが、新聞記事は数が多く、和訳にかなりの時間を掛けてしまうため、紹介しません。ですが、気になる方は下から見れますので、是非見てみて下さい!

写真は下から見れます。(2枚あります)

書類は下から見れます。

この池田直筆の書類より、1937年時点でレスラーを引退していたようです!
池田は、1896年生まれ(前述通り1895年説もあり)なので、1937年だと41歳ですかね。
30代で引退した可能性も高そうです。


以上が私が調べて得た情報です!
他にも池田について情報をお持ちの方は、教えて下さると嬉しいです!

3.小泉悦次氏からの情報

私が前に、ドン菅井(マツダ・マツダ)と手代木禎二(プロフェッサー・ヘリー)について調べた時に、手代木についての情報をプロレス史研究家として知られており、私の尊敬する、小泉悦次さんにお聞きしてみました。

その菅井の記事はこちらです。まだご覧になられていない方は、是非ご覧になって下さい!

その流れで、池田についての情報もないかお聞きしてみると、池田を知っておられなかったようですが、とても優しい方で、調べて教えて下さいました。ありがとうございます!

小泉さんが知っておられないとなると、私以外で、池田を知っている方は、誰もいない気がします💦
この感じだと、菅井や手代木とは比にならないほど、知られていないと思われます…😅
まぁ、小泉さんが教えて下さった情報を見てみます!(いくつかあります)

①1922年1月18日 レスリング世界ライトヘビー級チャンピオンのアド・サンテルが、サム・クラパムとの対戦を求める挑戦状をホノルル・アドバタイザー紙に送った。
"英国のライオン "との王座決定戦に挑むというものだった。
クラパムはホノルルのピート・バロンのジムでレスリングと護身術を教えていた。彼は1921年3月にホノルルに到着し、池田金城やブル・モンタナとビッグマッチを行った。

②1922年6月29日 元ハワイアン・レスリング・チャンピオンの池田金城がホノルルに戻り、高橋教授に挑戦する。池田は本土でレスリングをしている。彼は高橋の「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルのレスリングでは世界一の日本人レスラー」という主張に異議を唱えている。
池田は日系ハワイアン。

③1922年7月1日 モイリリ・フィールド(ハワイ州ホノルル 池田金城が高橋教授を破る。
高橋2連続フォール。
アルフレッド・ナオレが須藤藤井と引き分け、ミックスド・コンテスト。
"チャップリン "Matsunomori。 メモ
池田は高橋を破り、"ハワイの中量級王者 "として再認識された。
"ハワイのミドル級レスリング・チャンピオン"。
「村上和雄は23:2 3/5ダブル・アームロックで高橋が続行不能となった2回目は1:16で勝利。教授は1回目のフォール中に腕を負傷したと語った。ナオレはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの代表、藤井は柔術戦術を駆使した混戦。ふたりともジャケット着用。ほとんどの時間は、おかしなパジャマ・コートの首根っこを引っ張り合うことに費やされた」(『ホノルル・アドバタイザー』7/2/22号)。
体重はこう発表された:
池田-150、高橋-138、ナオレ-220、藤井-165、パオハ-178、村上-125、Matsunomori-135。

④1922年7月24日 ジミー・フェルナンデスがジミー・マトソンに挑戦し、誰が最高の男かを決めるリターン・コンテストを行った。
池田金城と対戦する。

⑤1922年10月21日 モイリイリ・フィールド・ホノルル、池田金城はアーサーと引き分けた。
ギルマン-タイトル・コンテスト 細木はYanaと引き分け。松本ドロー。キャットハート、レオ・ポアハがSudo Fujiiを引き当てた。
注 池田の体重は155ポンドと発表された。154ポンドのギルマンは、次のように謳われていた。
「ジミー・マトソンが池田とギルマンに公開挑戦。

⑥1922年10月26日 アーサー・ギルマンが池田金城に再戦を挑む。

⑦1922/11/17 朝日劇場
池田金城はアーサー・ギルマンを2&3回フォールし、王座決定戦を行った。 注 ピート・バロンはジミー・マトソンに代わってギルマンに挑戦した。後にギルマンはこの試合のギャラ契約について異議を唱え、ゲートの30%を保証すると約束されていたのに150ドルしか受け取らなかったと主張。

⑧1926年5月19日 ロサンゼルス オリンピック・ホール・オーディトリアム(観客数:3,000人)
4)ロイ・アンダーソン ドロー 池田金城

2、3、8の情報は前述しましたが、それ以外は初めて知りました!
改めて、情報を教えて下さりありがとうございました🙇
すこし気になったのは、1の情報に出てくる、サム・クラパムは、前述したジョージ・クラパムと同一人物ですかね?
内容から見ると同じ人物にも感じます…
あと、何人か謎な日本人(日系人)らしき人物が出てきますね。気になるので、また調べてみます!

4.最後に

以上が私が持つ池田金城(錦城)についての情報です。
この池田は、前紹介したドン菅井(マツダ・マツラ)や手代木禎二(プロフェッサー・ヘリー)と比べ物にならないほど有名ではありません。
知っておられる方は多分いないと思っていますが、もし知っておられるという方がいましたら、この記事のコメント欄か、私のX(旧 Twitter)のDM・コメント欄にて情報を教えて下さると嬉しいです!

案の定、この記事の字数は8000字超えです💦
かなり長くなりましたが、一部または全部読んで下さりありがとうございました。
では、また次の記事で。

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