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大人の「現代文」29……『舞姫』ジャーナリスト豊太郞


 ジャーナリズムに目覚める


 豊太郞よかったですねえ。読者としてもホッとするところです。なんとかさらに生活を安定させてほしいですよね。豊太郞も、当面の「憂きが中にも楽しき月日」の生活をこんなふうに語っています。

 我々の生活はこんな風だった。朝食後は、エリスはレッスンのある日は出かけ、そうでない日は家にいる。しかし、私は、カフェに行くのが日課だった。別にお茶を飲むためではない。カフェには、あらゆる種類の新聞が置いてあるのだ(そうらしいです)。私にとっては願ってもない、情報収集の場であったからだ。私は片っ端からとっかえひっかえ新聞に目を通し、記事になりそうな材料集めをし、次から次へと記事を書きまくった。その場所には、無職の若者や、金貸しのじいさんや、疲れた体を休める商人など、雑多な人々がたむろしていたが、ひたすら新聞に読みふけり何やら夢中で書き物をする東洋人の私を、さぞかし「何じゃこいつは?」と思ったことだろう。ましてやお昼時レッスン帰りの美少女エリスが来て、二人仲良く連れだってカフェを出て行く姿などを見ようものなら……さぞたまげたことだろう。

 これが二人の日常でした。そして豊太郞は、そこで確かに「新たな自己」を作り始めるのです。それはなんでしょうか?面白いことが書いてありますよ。

 彼はいわゆる「ジャーナリスム」に目覚めるのです。

 「およそ民間学(ジャーナリズム)の流布したることは、欧州諸国の間にては独逸(ドイツ)に若くはなからん(及ぶ国はない)。幾百種の新聞、雑誌に散見する議論にはすこぶる高尚なるも多きを、余は通信員となりし日より、(ムチャクチャ読みまくったので)私の知識は、おのづから総括的になり、同郷の留学生などには、夢にも知らぬ境地に至りぬ」

 さすが豊太郞ですね。いち早く、ジャーナリズム、ま、現代で言うならメディアの重要性を見抜き、ジャーナリストとしての見識を持って、腕(いや筆?)を振るったのです。

 うーん、ますます先行き明るいじゃないですか。

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