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大人の「現代文」85……『こころ』道か恋かの二択の意味について

先生の二枚舌の中身


 「卑怯論」の前回の続きです。
 先生はKの状態を「自分の『理想』追求の道を貫くかそれとも、お嬢さんへの恋の道に進むか迷っている」と冷静に把握して、「精神的に向上心のない者はばかだ」と一撃を加えたのです。この先生の言葉の意味は「お嬢さんへの恋の道に進むのは向上心のないバカ者がすることで、お前はバカではないはずだから、恋の道など諦めろ」という意味です。

 この先生の発言の卑怯なところは、それが先生の、こころから親友を思った発言ではないということです。先生はKが求めたように、表向き「公平な批評」すなわち、相手にとって最善の批評をしているフリをしつつ、ホンネでは、自分にとって最善の批評をしているのです。

 もっとも、このKの二者択一は、現代の読者には理解しづらいものです。思想家として自分の理想に突き進むことと、恋の道に走ることは、現代の読者にとっては、どちらかを選択しなければならないような類いのものではありません。思想家になったら恋を断念せざるを得ないなどと聞いたら誰しも、???でしょう。このあたりは、先生自身が説明しているので、本文を引用しておきます。

    Kは昔から精進ということばが好きでした。私はその言葉の中に、
    禁欲という意味もこもっているのだろうと解釈していました。しか
    しあとで聞いてみると、それよりもまだ厳重な意味が含まれている
    ので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだ
    というのが彼の第一心情なのですから、摂欲や禁欲はむろん、たと
    い欲を離れた恋そのものでも道の妨げになるのです。……略……こう
    いう過去を通り抜けてきているのですから、精神的に向上心のない
    ものはばかだという言葉は、Kにとって痛いにちがいなかったので
    す。しかし前にも言ったとおり、私はこの一言で彼がせっかく積み
    上げた過去を蹴散らしたつもりではありません。かえってそれを今
    まで積み重ねてゆかせようとしたのです。それが道に達しようが、
    天に届こうが、私はかまいません。私はただKが急に生活の方向を
    転換して、私の利害と衝突することを恐れたのです。要するに私の
    言葉は単なる利己心の発現でした。(第一学習社 教科書)

 というわけで、Kにとって「道か恋か」は全く方向の異なる二つの道であって、どちらかを取ればもう一方は断念しなけらばならないのです。で、先生が言ったことは、「恋を諦めろ」という趣旨になるのです。そしてその言葉を先生は「利害を超えた親友として」ではなく「利害と衝突しない利己心」と意識して語っているのです。


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