破滅願望を吐き出すだけのnote

希死念慮について吐き出したが似たようなベクトルで破滅願望を持っている。

ネガティブなタイトル…少なくともポジティブではない、そこはかと無く不穏なタイトルではあるが、これについても吐き出さなければ心のバランスが崩れてしまう可能性があるので、この機会に撒き散らしておく。

基本的に厭世家である自分の性格、性分からして、この願望はやはり当たり前であると言えるだろう。

と、言ってもそこまで悪い願望ではなく何なら自分にとってはむしろ良い?ポジティブ側の側面も持ってるような気がする。

ざっくりとした願望で、破滅にも色んな形が有るだろうが、ここでは肉体的、精神的、金銭的の三種あたりがパッと浮かぶ。

例えば繁華街で事件に巻き込まれる。転じて傷害事件や金銭トラブル等になり大きなものを喪失することになったり、社会で村八分的扱いを受け精神を病んでしまい、自傷行為やODを行うようになったりとかが挙げられるだろう。

ここまで挙げると実例何かが出てくるだろうが、ここでは自分の願望であり、特定個人を非難・称賛するような話で無いことを先に釈明しておく。


さて、なぜ破滅願望があるかというと、まず第一に刺激を求めている。
希死念慮について吐き出した際にも、一時のカタルシスをどこか求めている節が自身に感じられた。

あちらではあくまでスパイスのようなエッセンスでしか無いが、こちらでは一つの重要なファクターとなる。

この世に生を受けて二十数年と経つが、既に人生においてのマンネリに気が滅入ることがある。
実際に事件や事故に巻き込まれた時や、進行形で当事者となっている方にとっては平穏無事こそが全てだと考えるだろうし、心の安寧が人生を豊かにする要素だというのも理解している。

が、思うより軽い気持ちで踏み入れた物が全く別世界に行ってしまうような体験、フィクションの世界に憧れているのだ。その先が破滅だとしても。


もう一つは人生観を変えるような事が欲しいと言ったものだ。

刺激が欲しいと似ているかもしれないが、あちらはフィクションの世界に憧れてると言えるのに対して、こちらは現実の価値観を変えて欲しいといったものだ。

人は簡単に変われないを持論として持っているが、本質を変えるような出来事に遭遇したい願望がある。

勿論、人は変われると思っている。しかし、簡単には変われないと考えているのだ。

忘れもしない。学生の頃、進路指導の教員に「君は空っぽなんだよ」と言われたことが事あるごとに反復する。

あれから年月が経ち、様々な事を経験し、多少なりとも成長はしていると思うが、やはり肉付けされただけのハリボテだろうなと思う。

そんなこともあり、価値観をひっくり返すような事象に向き合いたいと思うのだ。この事さえも下らないと吐き捨てられるような自分になりたいと。


最後の一つは、人生において再起したいということだ。

これも勝手な想像でしかないが、大きな挫折も再起も経験していない人間はそれを経験した人間より脆いと考えている。

不可逆的な破滅であれば再起などというものは存在しないが(むしろ破滅の本質はそっちだろうが)、あまりに自分の人間強度が低いことにうんざりしている。

精神的に幼く、揺れ動き易いことについて、全てが悪い方に作用しているわけではないのだが、辟易しているのだ。


この三点が破滅願望として顕在するあたり、現実で実現するならネガティブな事象だろうなと考えるリアリストの側面もあるな。
と、自己分析したり、成功体験としての実現を望んでいないことも、自分のつまらなさに拍車をかけているんだろうな。
と、自己否定をして一人でバッドに入ったりしている。そして希死念慮へ。


ここまで好きなように吐き出した…もとい語ったが、破滅願望しかり、与えられるものだけで自分を変えようなどと温い考えはさっさと棄てたほうがいいのだろう。

と、思いながら今日もまた、破滅を求めて人の波に消えていく。


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