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須賀敦子さんのアンソロジー

女流作家のアンソロジーシリーズ、『精選女性随筆集 第九巻 須賀敦子 - 川上 弘美』を図書館で借りてきた。
偵察目的だ。
お気に入りのラインアップなら購入しよう。
そう思いつつぺらぺらめくってタイトルを確認し、(主だった作品は全て読んでいるはずなのに)忘れていたストーリーは改めて読んでみる。
死んだ人の話がやや多いなぁ、という印象。
川上さんは須賀作品のあとがきも担っておられるので、目に狂いはないのだろうけれど、ただ“私のなかの須賀さん”とは若干異なっていたので購入は見送ることにした・・・

そんなことをブログに綴ったら、本アンソロジーで須賀作品を初めて読んだという人からコメントを受領した。

あまり面白くなくて途中で放置してしまったというその人は、そもそもかような個人情報を本に書いていいのだろうか、と疑問を持ったという。
巷のおばさま方の井戸端会議のように映り、須賀さんにゴシップ作家というレッテルを付与したようだった。

この指摘は盲点だった。
確かに、固有名詞付きの人物たちのステータスや振る舞いが事細かに描かれている作品が本書には多く選ばれている。

それでも個人情報保護、という現代的感覚を読書中、持ち出したことがなかった:
・昔読んだ時点ではまだ、そういうご時勢ではなかったせい?
・61歳で文壇に正式デビューする前の翻訳家としての側面やその知性、イタリア文化を探求してきた長い軌跡を知っているから、注目ポイントが異なっていた?
・裕福な家庭に育ち、イタリアで貴族社会に触れたりもするけど、その一方で貧しいイタリア人鉄道員の息子と結婚し、廃品回収仲間と一緒に汗を流すなど、社会の様々な階層と深く関わった須賀さんが紡ぐ世界の幅広さに心酔した編集者の意図を感じとっていたから?
・カトリック左派運動に没頭し、将来的に信仰の問題に切り込む全く違う作風を須賀さんが計画していた痕跡もあり、エッセイストという目で見ていなかったから?

奇しくも須賀敦子さん自身、『ナポリを見て死ね』のなかで「アンソロジーにはご用心」という言葉を使っている。
アントニオ・タブッキの『インド夜想曲』に出てくる書名「アンソロジーにはご用心」を参照しているわけだが、偏狭な思いでナポリと言う町を捉えてしまったことを須賀さん自身が反省するくだりだ。
“作品全体を把握せずに、部分で用を済ませるのは危険だ”、とタブッキの言葉を引用している。

アンソロジーはつくづく難しい。

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ここで、順番が前後したけれど、私自身の『精選女性随筆集 第九巻 須賀敦子 - 川上 弘美』の感想を少し。
装幀は、押さえた色合いの品のいい千代紙風。
手元に置いて、折々に眺める1冊としてはよさそう。
内容としては、『遠い霧の匂い』と『オリエント・エクスプレス』が入っていたのはとても嬉しい。
でも、やはり選者が川上弘美さんということで、ストーリーとしてきれいにまとまっているものが選ばれているような気がする。
一方私の興味の的は、どちらかというと素顔が濃く浮き上がっているかどうか。
イタリアに飛び込んだ熱血漢としての姿とか、ゲットーやコルティジャーネを極める探求心旺盛の姿に須賀さんらしさを感じる。
なにより冴えたイタリア文学者として、サーバやパスコリを語るときの鋭さは、唯一無二だと思う。
これらに焦点を当てた作品は、選ばれていない。

では、私ならアンソロジーに何を入れる?
デビュー作「ミラノ霧の風景」を改めて手に取って眺めてみる。
「遠い霧の匂い」のほかに「プロシュッティ先生のパスコリ」や「きらめく海のトリエステ」はぜひ選びたい。
「プロシュッティ先生のパスコリ」などはいわゆる作りこまれた作品ではない。
断片的な思い出のかけらがちりばめられているスタイルなので、選外やむなし、とは思う。
それでも私は、欧州の地を踏みまっさらなキャンバスを色とりどりに染め上げようとするその気概、純粋さにただただ打たれる。
「きらめく海のトリエステ」はウンベルト・サーバの詩の訳とともに、彼の様式を論じるときの須賀さんが熱い。
詩人の青い目も心に残った。

今後さらに作品を再読して、心の中で私版須賀敦子アンソロジーを作ってみようかな。

(写真は須賀敦子さんが新婚旅行で訪れたアクイレイアのバシリカ。少しだけ中もを見ることができた。)


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