双極性障害の妻との20年:出会いと兆候

 こんにちは。ここでは私の妻との20年間の生活についてお話ししたいと思います。
妻は双極性障害Ⅱ型を抱えており、その経験をシェアすることで、同じような境遇にいる方々の助けになればと思っています。
このシリーズでは、出会いから現在に至るまでのエピソードをお伝えしていきます。

最初の出会い

私たちの出会いは大学時代に遡ります。
大学に入学したばかりの私は、いくつかのサークルに勧誘され、そのうちの一つに参加することを決めました。
そこで出会ったのが、現在の妻です。
彼女は一つ上の先輩で、初めて会ったときから、ニコニコと明るい笑顔が印象的でした。
話すときには言葉を慎重に選ぶ姿勢が見受けられ、真面目で誠実な人という印象を受けました。
私たちが所属したサークルは、上下関係が厳しく、イベントの開催も頻繁でした。
特にイベント前の忙しい時期には、夜遅くまで準備や練習が続くことがありました。
しかし、彼女はそのような忙しい環境でも楽しそうに活動しており、周囲からも慕われる存在でした。

学生時代の妻

学生時代の妻は、周りから「天然キャラ」として知られていました。
彼女自身も、周囲の人と考え方や感じ方が少し違うと感じていたようです。
そのためか、彼女は発言する際、誤解を与えたり相手を傷つけないように言葉を慎重に選んでいました。
これは彼女の誠実さと優しさを表す一面であり、私はその姿勢に惹かれました。
彼女の過去のエピソードを聞いたとき、私は彼女にさらに興味を持ちました。
高校時代、彼女は数か月間授業を受けず、保健室登校をしていたことがあり、テストを白紙で提出したこともあったと聞きました。
このエピソードを聞いたとき、なぜか私は「面白い人だ」と感じ、彼女に対する関心が高まったのです。

結婚と病気の兆候

大学卒業後、私たちは徐々に距離を縮め、交際が始まりました。
共に過ごす時間が増えるにつれ、私は彼女の体力が他の人よりも少ないことに気づきました。
例えば、人込みは疲れるから好きではない、頻繁に休憩を取る、遊びでも疲れを防ぐためにセーブすることが多い、という具合です。
彼女は仕事をしていましたが、休日には家でゆっくり過ごすことを好んでいました。

彼女を私の両親に紹介する際、彼女が約束を当日キャンセルした出来事がありました。
理由を尋ねると、「行こうとしたけど、どうしても行けなかった」とのことでした。
はじめはその理由に納得できませんでしたが、嘘はなさそうでした。
その時は仕事や結婚へのプレッシャーが原因だと思いましたが、今思えば、これは双極性障害の初期症状だったのかもしれません。

出産と共に訪れた影

私たちは結婚し、すぐに第一子を授かりました。
出産前、妻は赤ちゃんを迎える準備に余念がなく、その顔には喜びが溢れていました。
彼女は赤ちゃんのための服やおもちゃを選び、部屋を整え、未来に対する希望に満ちた日々を過ごしていました。

しかし、出産後、彼女の様子は劇的に変わりました。
彼女はかつての活発な姿を失い、ほとんどの時間をベッドで過ごすようになったのです。
おむつ替えや授乳といった最低限の育児はなんとかこなしていましたが、それ以外の家事や生活のすべてが滞り始めました。
使い終わったおむつや哺乳瓶が片付けられず、部屋は徐々に散らかっていきました。

最初は、単なる出産の疲れが原因だと思っていました。しかし、何日休んでも改善は見られず、部屋は混乱の中にあり、彼女の心も体もどんどん沈んでいくように見えました。
何が起きているのか私には全くわかりませんでした。
妻に何が起こっているのか尋ねても、ただ「疲れた」「動けない」と言うばかりで、明確な理由がわからないまま、私はどうすれば良いのか悩む日々が続きました。
妻が赤ちゃんに対する愛情を見せようとする姿は見えましたが、表情は暗くつらそうでした。

産後うつの疑い

この状態が続くことに限界を感じ、私は妻や互いの両親と相談し、産婦人科を訪れました。
そこで「産後うつ」の可能性があると診断されたのです。
まずはゆっくり休むことが大切とのことでした。
それを受けて互いの両親も含めて家族全員で彼女をサポートしてくれるようになりました。

特に妻の母は遠方から何週間も泊まりがけで来てくれ、家のことや子供の世話を全面的に手伝ってくれました。
私の両親も妻の気持ちを優先しながら様々な面でサポートをしてくれました。
そのおかげで、徐々に妻の表情に明るさが戻り、子供との時間を楽しむ余裕も見えるようになりました。
その様子を見て私は安心を感じることができました。

繰り返される波

しかし、安堵も束の間、妻の状態は安定することがありませんでした。
1〜2ヶ月ほど寝込む期間が続いたかと思えば、その後は2週間から1ヶ月ほど普通に生活できるというサイクルが続いたのです。
最初のうちはまだ産後の影響やもともと疲れやすいからだろうと思っていましたが、次第に「どうも波があるな」と感じるようになりました。
それでも当時の私は、これが一時的なもので、やがて完全に回復するはずだと信じていたのです。

次の記事では

妻が双極性障害Ⅱ型と診断されるまでの道のりについて記事にしたいと思ってます。
妻の病気で思い描いていた未来が、少しずつ変わり始めていった過程をまとめたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この記事が少しでも皆様のお役に立てたら幸いです。

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