2021/04/29

久しぶりのフグ(29)の日にデフノートを書いている。直前のnoteがたった数ヶ月前だというのに、当時どのように書いていたか分からない。別人が書いたかのようにすら感じられる。空白の100余日ほどの間に色々あった。ときに僕は自分を劇的に変えてしまうことがあるらしい。それは以前から指摘されてきたことだが、ようやく自覚に達した。そういう指摘ができる精度で丁寧に僕を観察してくれる人間の存在をありがたく思う。それはデフノートの読者であるあなたのことも含んでいる。ここにはデフのことしか書いていないのにもかかわらず、だ。あなたは正気なのか?

まず、この数ヶ月に僕の周りで起こった劇的なことの一つとして、僕が人間と婚約した。未だに信じられないのだが、この人間が毎日そこにいる。この人間は笑いのツボが僕であり、僕の一挙手一投足で笑い転げてくれる。人と人の間に生じるものの原則が交換だとするならば、僕から差し出しているもののは、僕にとってあまりにも容易すぎる。存在していれば相手を喜ばせられる。それだけでこの人間は僕に手の込んだご飯を作ってくれたり、一緒にタヌキ探しにドライブに連れていってくれたりする。話がうますぎないだろうか? だけれども、このあまりにも僕に有利すぎる不平等貿易が、何十日にも渡って続いているところをみると、どうも彼女にとっての僕の価値は「ホンモノ」らしい。だから、一つ目安として一年の期間、この関係が続けられるようなら、その後に起こる様々なことも含めて一生のこととして引き受けてもいいのではと思った。それで、僕が母の形見の指輪を彼女に預けることにし、彼女がそれを受け取ることによって、婚約が成立した。

それからも様々なことがあった。僕は彼女の旧職場であり、僕の職場でもある、父の経営する町工場の、経理補佐から経理主任へと昇格した。この人事は、ややアクシデンタルに執り行われたため、僕は、ろくすっぽ心の準備期間も与えられない(というかゼロデイ)まま、実戦投入されることになった。有って無いような引き継ぎ書の行間を埋めて、事務所中からノウハウをかき集めて仕事を軌道に乗せるまで、休日出勤して何とか各種の締め切り日に間に合わせるような日々だった。それにも増して、そもそもこの人事が僕の想定外であったので、事前に別件で引き受けてしまったプログラミングの仕事と、数学の非常勤講師の仕事と、合わせて3つの仕事を掛け持ちでやることになってしまい、僕の身体はほとんど限界を迎えていた。

迎えていたのだが、なぜか耐えた。ついに耐えたと分かったのが今日2021/04/29だった。年度末決算用の書類を1ヶ月遅れながらもついに完成にまで漕ぎ着けた。

そして、それを終えた後にも、僕は健康だった。

僕は毎日、疲れてはいたけれど、夜しっかり寝れば翌朝は快調だった。それは僕との交換で、彼女が差し出してくれたものの故に思う。僕を立たせていたのは、例えば日々Twitterに掲示している栄養価の高い手作り料理だったり、あるいは『内助の功』と称して、毎晩、僕の指をマッサージしてくれることであったりする。だが、最も僕の根幹を慈しんでくれていたのは、彼女からばしばしと僕に発せられる「あなたは存在しているだけで、もう、すでに、よい」という無数かつ無言のメッセージだった。

様々な苦さを味わいながらも、持続可能なものとして自分が立ち上がり続けることを、これからも期待している。

長く、この先も、手をとりあい。

(続く)

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