2020/06/22

起きた。今朝は携帯固形食のレモンの皮の味がするやつ。それも14時半頃の移動中に食べており、実質朝食がゼロである。その後、18時頃に牛丼の特盛りを食べており、これが朝昼夜兼用の単体食と主張できなくもない。

ゼロといえば、昨日『天気の子』を視聴した際に、うっかり糖分がゼロのカラメル色のカフェイン飲料を1.5リットル飲んでしまい、朝の6時まで目が冴えていた。それをいいことに、夜中に、小説を書くことと失意についての長い話をTwitterでしていた。長い話である。

さきほどその長い話を読み返したところ、死ぬほど誤字脱字を発見したため、目が冴えているといえども、注意力が働いているわけではないことが分かった。前にもデフノートで話したのだが、自分は標準状態でも誤字脱字の多い方であり、デフノートの投稿直後など、読み返しては誤りを発見してあくせく訂正するなどしている。なぜか投稿前には発見できず、他人からの視線を感じることで、ようやく注意力が働くのではという機構の推測も行ったのだった。

この話をなぜ持ち出したかといえば、自分は長編小説を書くことに非常な困難を感じていて、そこに視線の問題があるのではと考えているからだ。一息で読むことはできないほど大量の文章に向けて、どのような視線が注がれているのかをシミュレートすることが難しい。どこかで人を置き去りにしているのではないかと疑義が生じ、10万字の壁を突破することができない。

10万字以上で書かれていることが、私の考える長編小説の定義である。(もちろん日本語の場合) これは、受け売りである。私の知る物書きの友人でよいものを書かれる方が、10万字を1つの目安だと語ってくれたことがあり、それを信じて心に刻んでいる。

10万字は1日だけでは到底書き抜くことが無理な量である。1週間でも怪しい。膨大な(massive)量と言ってよい。実際こうして60日間強、書き続けてきたデフノートの文字数を合算してようやく足るか足らないかという程の文章量である。

ただ、デフノートは1日完結方式であり、前後のつながりは全く意識していない。昨日の読者は今日の読者とは限らない。(それはそれとして毎日見てくださっている約5名の方、ありがとうございます) 持続する視線を意識する必要がなければ、その場限りのものを累積して10万字に達することが、自分にも可能であると、このデフノートがなんとか証明してくれた。

あとは、持続する視線の問題である。解決策は見つかっていない。誰も無理強いなどしていないのだから、あきらめるという方法もある。それでも自分の撒いた種が10万字まで育つ様を、一度は見てみたいと願うのも本当のことである。

ただ、昨夜から早朝にかけての長い話を受けてなんとなく感じていることがある。おそらく、この10万字の壁を越えることができたとしたら、それは直接それを越えよう意識していないときに、何かしらの要請に応じて自然と乗り越えさせられてしまうような形で実現するのではないだろうか。

- 英単語 500 words
- 数学の演習 (1/-/-/-)
- ヒザ曲げ立位体前屈 2min
- 睡眠 6-13.5 (7.5h)

そういえば、今日は晴れであった。降水確率90%の予報を覆しての晴れである。今日はどうしても大学に赴かねばならない事由があり、切に助かった。『天気の子』の存在を信じてもよいほどの、贈り物のような晴天であった。

(2020/06/23 へ続く)

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