2020/09/17

起きた。今朝はキーマカレーに、なんとケンタッキーフライドチキンが1ピース加わった豪華な何か! になった。これは先日、ケンタッキーフライドチキンをオヤジがバレル(樽)で買ってきた名残である。このようなものは、確実においしい。

オヤジと2人で住んでいたときは、月に1回ほどの割合で、夕食がケンタッキーになることがあった。信じがたい話ではあるのだが、僕はオヤジがケンタッキーを買ってくる直感でタイミングが分かる。

僕は「オヤジがケンタッキーを買ってくるかどうかに関することに特化した」ニュータイプを自称している。的中率は7,8割である。恐ろしくないか?

起きてから、実際にフグハウスに帰還するまで、大変長らく、実家の自室で引きこもってあれこれと考えていた。最近気に入っているノック式の万年筆で、白紙にザーッと懸念事項を全て書き出すのは気に入っている方法の1つなのだけど、実家に万年筆のインクのノリがいいメモパッドを切らしており、しかたないから暗算でやっていた。

仕事に伴う質感が鋭敏となるにつれて、道具へのこだわりが増していくと、いざそれが使えない環境となったときに、その場にあるものを手に取れないことがある。先鋭さと引き換えに柔軟性が失われている。望む環境でなくても進むことを完全に放棄しないことは大切だ。

僕は暗算を試すことにしている。問題設定を暗記できてしまうような数学の問題は、寝て解くことも多い。昔はこの方法が最も効率がいいとさえ思っていた。今は違う。だが「第2の利き手」くらいには思っている。

10日かそこらほど前に、デフノートで何を話せばよいかわからない、とっていた気がする。今は、理由はわからないが解消して、頭から文字列がでてくることに支障がなくなった。自分が悩みふさぎ込んでしまうような類の、手心はいらない。それは余裕がある人間が見せ与えるべき側面と考えるようになった。

これも、重要なテーマなので、あえて今日これについて書かなければ不誠実に思う。不誠実の対象は自他を区別しない。これを書いたのはフグハウスに向かう電車の中だった。それを降りて、駅ビルの本屋・電気屋などを巡っていた。(昨日申し上げたとおり、本来は町中の大型書店に行く予定だったのだが、出発が遅れたので駅ビル周遊ルートに切り替えた)

まず考えたのは、いっそのこと、この混線を解かずに大きな「大綱」のように思って腕力や協力によって、それを動かしたらどうか、というアイデアだ。物量に頼ったこれまでの方法が効くかもしれないと思いつつも、身が持つか、協賛が得られるか、など課題も多い。

次に考えたのは、比喩的に糸を編むようにして、課題の再編集を行うのはいかがか、という方針だ。本当に複数の線は、互いに反駁しあっており、リソースを奪い合う排他的な活動なのだろうか。実は同じものの別の側面を見ていたのではないか。などである。「織物」のメタファだ。

あるいはあらゆる線の存否を価値観ベースで再考して、輝ける数本にまで絞り込み、ある程度、孤独と断絶を覚悟しながら、それを極めていくような、むかし夢見た「撚紐」のような人生を歩んでもいいかもしれない。

このテーマについては、様々に考えてみたい。
問題は、まだ開けている。

睡眠時間 5-8, 11-16 (8h)
筋トレ:上半身コース(プッシュアップ用の器具を購入した)

明日も、本を読んで過ごす。

(2020/09/18 へ続く)

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