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レールガンとSAOアニメのエンタメとしての成長

NETFLIXに登録してから、学生の頃以来久しぶりにアニメを観るようになった。

そして、今放送されている

・とある科学の超電磁砲T (以下、シリーズ通して「超電磁砲」)

・ソードアートオンライン アリシゼーション編 (以下、シリーズ通して「SAO」)

を観ていて、成長というか、見せ方が変わったなあと感じたので記事にしてみる。

ちなみに1期の放送時期は

・レールガン 2009年 (当時の私は中学生)

・SAO 2012年 (当時の私は高校生)

です。

レールガンは変わらない

レールガンを観ていて思うのは、良い意味で変わらないなということ。

もちろん作画などの技術レベルは上がっているだろう。

でも、演出というか、コンセプトは変わっていないように感じられる。

私が感じる「レールガン」のコンセプトは

■思い出

■懐かしい過去

です。

それはEDに露骨にでていて、レールガンの歴代EDは一貫して登場人物たちの思い出のワンシーンを盛り込んでいます。

ED映像の美琴たちが頑なに学生服なのもそのコンセプトを意識させます。

普段が学生服だからって意見もあるかと思いますが、それならEDくらい他の服着せそうな感じしませんか?

それでも頑なに学生服なんですよ。

随所に見られる淡い色使いもそうですね。

これらの一貫性によって、「レールガンが始まった」と感じるわけです。

SAOはより高級になった

高級という表現が正しいかどうかは分かりません。

ただ、現在放送中の「アリシゼーション編」になってから「OP」「内容」「ED」すべてにおいて高級感というか、重厚感を感じる演出が多くなっています。

私が感じる「SAO」のコンセプトは

1期、2期

■爽快感

■ポップさ

3期

■高級感

■悲壮感

です。

SAOは”満を持して”という雰囲気でTVアニメ化が発表されましたし、より多くの人に刺さるようにという意図もあってポップさがあったのでしょう。

そしてそのポップさと内容が相まって、当時は批判的な声も大きかった。

ですが狙い通り(私の想像)多くのファンを獲得しました。

特に、学生ファンが多かった印象です。

SAO1期放送時期あたりから世の中でオタクを公言する風潮も広がっていたのもこの流れを助けたのかもしれません。

そして3期。

分かりやすく違うのは作画ですね。

「OP」から「ED」まで、全体的に明暗のギャップが大きいです。

暗い場所やシーンでは思いっきり暗く、明るい場所や明るいシーンでは思いっきり明るく。

そして基本的には暗いですよね。

色使いも重いです。

そして私の中で印象深かったのが、”音”です。

3期での剣を扱うときの金属音、銃を撃つときの爆発音や薬莢の音。

本物を聞いたことがあるわけではないのですが、まるでアニメの中のそれが本物だと思ってしまうほどに強調されていました。

リアルだったとは言いません。強調されていたのです。

これがまた高級感の演出に一役買っています。

お互いに違ったアプローチをしている

「レールガン」と「SAO」は上記のような変遷をたどっていると私には感じられました。

では、それがなにを意味するのか。

■視聴者の年齢変化

当時1期を観ていた視聴者は3期を観ている今、歳を重ねています。

感じ方も変わるでしょう。

続編というものは得てして、新規ファンを獲得しづらいため、既存ファンにどれだけ満足してもらえるかを重視する傾向があります。

3期も続くとなると視聴者の年齢もだいぶ変わってきます。

そんな視聴者にどう満足してもらうか?

「レールガン」と「SAO」ではその手法が正反対だなと思ったわけです。

・レールガン:変わらない演出に懐かしさを感じる(当時を思い出す)

・SAO:高級感のある演出に自分の成長を重ねる

レールガン3期は、観ていると「レールガンが帰ってきた」という安心感があります。

”変わらないもの”を”学生”、”思い出”で丁寧に演出しているからこそ成り立つ手法でしょう。

ただ変わらないだけなのは基本的にマンネリを誘います。

しかし、”学生”という”思い出”は多数の人にとってマンネリしない永遠のエンタメなのです。

そこと結びつけることによって”変わらない”ことを強みにしている。


打って変わってSAO3期は、どうしても「変わった」という印象を受けます。

1期、2期と比べるとその演出はポップさを失い、美麗なアクションシーンも重厚感はあっても爽快感はありません。

しかし、当時1期2期を観ていた視聴者は3期を観て変化には気が付いても、それを違和感として感じることはないでしょう。

なぜなら、自身の年齢変化に合わせてSAO3期の演出がしっくりくるから。

SAOは私たち視聴者とともに成長しているのです。

当時爽快さやポップさにワクワクしていた私たちは今、重厚感があり考えさせられるストーリーに引き込まれるのです。


というわけで、同じ電撃文庫の作品で同じように時を重ねた(アニメに関して)作品の演出の違いに感動したので思わず記事にしてしましました。

シンプルにまとめると当たり前の事を言っていると思います。

でもこの感動を一人でも多くの人と分かち合いたいなーと思い書かずにはいられなかった。


あと、めちゃくちゃ身もふたもないことを言ってしまうと

多分演出の違いは原作に基づいたものでしょう。

SAOに関して、アリシゼーション編に入ってから明らかにストーリーが重くなっています。

ここを忠実に再現した結果が今の演出なんでしょう。

特に今なんて主人公のキリトが失われた絶望感を描いてるところですから、全体的に暗く重い演出なのは当然ですね。

それにしても、少なからず視聴者の年齢変化に合わせたところはあるでしょうから感慨深いですね。

時間があるときに両作品、1期から観なおしてみようかなと思いました。


それでは、こんな怪文書を最後まで見てくださったあなたに最大の感謝を込めて。

ありがとうございました!

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