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人に惑わせられず、私らしく生きる道。

お正月も過ぎてくると、やってくるのは誕生日という名の一歳年を取るという恒例の行事が誰でもやってきます。
かういう私も、とうとう56歳になるという全然嬉しくない日を過ごすわけですが、私は今まで親という何とも表現出来ない錆びた鎖に繋がれていました。何度も鎖を切っても「一人娘だから」「親だから」
いけてない、宗教団体のように体裁だけで出来ている「家族ごっこ」に付き合っていました。
ところが、私は大きな病気をしてしまい親どころではなくなってしまって無視をしていました。会えばいいことを言わないし私も、嫌な人間だなと思うほどの悪態をつくようになったのです。

はっきり言いまして、身体障害者になってしまい自分自身どうしてよいか分からないままリハビリを重ね歩いている訳ですが
「私はどうするの?」
「家はいらないの?」
「息子が可愛くないの?」

意味不明な事ばかり言い出すので、一種のノイローゼなのかしら?と距離を開ける以外に、接点を切ることにしました。
母には、息子が居ますしお嫁さんもいずれ来るわけで私としてもお邪魔する子は到底ありません。
お婆2人も居たら迷惑なわけです、当たり前です。

私が、誰かに介助してもらう事が面白くないようで自分も気にかけてほしいという、理不尽な事を要求されてもお地蔵さんでも動かないのです
私が、路頭にまよった方が満足のようでやはりノイローゼだと思うのです。

世の中には理解できない人がたくさん居ますが、私の場合子供の頃から母に不信感を持っていたので溝は大きくなるばかり・・・・
前の主人も相当嫌われて、お金を払わされて苦労したのに母は覚えていないそうです。恐ろしい・・・・
なのに、私が大金を隠していると思い込んでいてやたらとお金の援助をパトロンにするみたいに要求してきました。

「貴方が去年、家に居た時に電気代が十万かかったので払ってほしい」

私が実家に居たのは、2か月程・・・十万円の概算が分かりませんし、私から食費と言ってはお金を要求するので、細々払いましたが他人より酷く携帯を見ると怒り出し、夜中中私の部屋に来て話し込み寝かさないというやはりちょっとした洗脳を与えていたと思います。私が外に出ることを嫌がり、家から出さないのです。

「みっともないから、外歩かないでね」と言われたのを覚えています
あのままでは、リハビリも出来なかったでしょう。
母の嫌いな人を庇う話し方をすると烈火のごとく怒りだし恐ろしい形相になる程なので、うかうか話も出来やしないという状況でした。

私は、そんな生活に嫌気も差し病院もあるので東京に在住することを続けています。それこそ、一人で生活も大変ですが同じ大変なら一人で大変な方が納得いくわけです。
何度、携帯で居留守を使ってもアタックしてくる人間性に浅ましさすら感じます。残念ですが、親だからという時代は終わりました・・・・
親なら、子供に好かれようという努力も必要ではないか?と思いますので、私は息子に嫌われないように、自力で生きていくつもりですが。

叔母が病気で亡くなりそうなので、葬式など同行するようにと思っているようですが私は同行しません。車も運転できますが、運転手ではありませんし自分の生活の為の移動手段が車なので、タクシー代わりに使われたらたまったもんじゃないのです。連れて行けばやれお寿司食べたいだのケーキ食べたいだのやはり、パトロンの役目をしなければなりません。

近くに居ないのが一番
便りのないのは元気な証拠という事です
56歳になる前に、はっきり伝えて良かったと思います
私が、幸せになる事を望まない人ははっきり言いまして会いたくありません。
やはり、若い頃にお母様ともち上げて暮らしてきたのは大失敗だったと今さらながらに身に染みているのでした。
何故、年老いても一人ぼっちで暮らしているのか?よく考えてみれば分かる事なのに分かろうとしないので、私も考え方を固めた次第となったのです。

人に惑わされず、私らしく生きる道とは自分で歩くという事で選んだ道で転んでもまた、起き上がり歩き続けるという事だと言えるのです。








私の望む世界を自分なりに表現したいと思います。大体実話でございますのでよろしければ、読んでいただけましたら小躍りしたいと思います。足が不自由になってからより書きたいと思う事が増えてまいりました。私には背中に翼があることを隠せない性分なのです☆