見出し画像

皆さん、初めまして

今までの私を全て否定されたような気がした。

改めて、ここはみんな自分の意見がハッキリあるように思えた。これこそ私が憧れていたものだった。日常生活のあらゆる場面で「あなたはどう思う?」と話を振ってくれるのだけれど、いざ、自分自身がどう思ってるか言おうとすると、何だか何も思いつかないのだ。

自分では、自分には意思があってちゃんと他人にそれを伝えられる人間だと思っていたから少しガッカリした。実際は空っぽで上辺だけの意思や気持ちだったのかもしれない。全部がそうとは思わないけれど、少なくとも多くはそうだったのだ。

最近はスマホの中で生きている人が多い気がする。インスタにあげるために美術館へ行ったり、カフェへ行ったり。相対評価の塊だ。結局それについて当の本人がどう思って何を考えたのかも分からないし、知る機会すらない。何となくみんながやっているからやるのだろうか?みんなが行くから行くのだろうか?エモいという言葉があるが、あれは何を指し示した言葉なのかよく分からない。適当に意味をひっくるめて使うから楽ではあるが、結局なんなのかよく分からないというのが正直なところだ。

今日、映画を観てきた。空間にゆとりがあって、なんとも居心地のいい映画館で、少し退屈な映画を眺めていた。映画が終わるとやっぱり、どうだった?と聞かれたので素直に、退屈だったけど映像は綺麗だったと思うよと答えた。そのとき、初めて息ができた気がした。

人と比べられるおかげで、自分の素直な気持ちを心の中に閉じ込めなくてはならないのはとても窮屈だ。心がだんだん苦しくなっていくに違いない。当たり前だ。人と違うからこれは言わない方がいい、とか、人と違うから辞めておこう、というのはやっぱり違う気がする。あなたに聞いた人は、あなたの素直な気持ちが知りたいのだ。あなたがどう思ってあなたがどう感じたのか、取り繕わずに素直にあなたの言葉であなたの心が聞きたいのだと思う。

幸せとは、他者評価の相対であるとおもう。つまり絶対的な自己評価で無くてはならない。あなたがどう感じたのかが重要なのだ。他人につまんなそうだの不幸そうだのなんだの言われたところで、あなたの素直な気持ちが幸せだと感じていればなんの問題もないし、それは幸せなのだ。だから、安心して幸せを探していきたい。

とにかく、自分の意見や感想を正直に言えるようになるには、まず、自分の事をたくさん知る必要があると思う。意識的に自分はどう思っているのかを考えながら生活していくと次に進める良い兆しが見えてくるのでは無いかと思っている。


自分に正直に!素直に!
それじゃあ、おやすみ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?