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第18回 中国内モンゴルで食べた羊料理~「ガチ中華」の地方料理⑨

第15回新疆、第16回山西、第17回河南と中国北方の地方料理を紹介してきたので、次は中国の内モンゴル料理にしようと思ったのですが、ぼくは2016年7月に内モンゴル自治区のフルンボイル平原を旅したことがありました。

そこで、東京で食べられる内モンゴル料理の話をする前に、ちょっと気分転換。旅先で食べたモンゴルの料理の話をしようと思います。(撮影/佐藤憲一)

内モンゴル自治区の東北部に位置するフルンボイル平原には、なだらかな丘陵と草原がどこまでも広がり、馬や羊が群れなしています。ただし、この絶景が見られるのも、1年のうちわずか3ヵ月間ほど。この時期、中露国境に近い草原とその起点になる町は多くの観光客でにぎわっています。

フルンボイル平原の中にオアシス、キプチャクハン草原


内モンゴルの草原を訪ねることが決まったときから、ぼくはある計画を胸に秘めていました。モンゴル人の暮らすパオ(中国語。モンゴル語はゲル)を訪ねてみたいということでした。
 
中露国境の町、満洲里から北に向かって草原の一本道を走っていたときのことでした。道路からはるかに離れた地平線沿いにいくつものパオが点在していましたが、路端から数百メートルほどのそれほど遠くない場所にひとつのパオを見つけました。
 
「よし、あのパオを訪ねてみよう」。
 
車を停め、同行してくれたフルンボイル市ハイラル区に住むモンゴル人ガイドの海鴎さんと一緒にパオのある場所まで歩いていくことにしました。

このとき、ぼくは車を1週間チャーターしてフルンボイル平原とその周辺を訪ね歩きました


いわゆるアポなし訪問でしたが、そんな大胆なことができたのも旅空の下にいたからだと思います。近くで見るパオは意外に小さく、少し離れた場所に何百頭という羊の群れがいました。

羊の放牧は、空が朝焼けに染まる早朝4時半から日が昇るまでの3時間ほど。子供も父親の仕事を手伝い、羊を追うのが日課だそう


最初はためらいを見せていたパオの住人も「わざわざ日本から来たのだから」と温かく迎え入れてくれたんです。その日の気温は40度近かったのですが、パオの中がこんなに涼しくて過ごしやすいとは知りませんでした。
 
草原を渡る風が突き抜けるとき、熱を遮断する構造のようです。お邪魔してわかったのは、彼らの住まいは限りなくシンプルで快適ということでした。

手扒肉はモンゴル人の日常食で、太い骨付き羊肉を塩で茹でた料理。レストランではタレを付けて食べる 

パオの主人はスー・チンさんという女性で、親戚の親子と一緒に過ごしていました。ちょうど彼らは食事の最中で、羊肉の塩茹での手扒肉(ショウバーロウ)の骨肉を口に運んでいたところでした。 

パオの中の調理用具はコンパクトで、まるでキャンピングカーのような暮らしがうかがえる


スー・チンさんはモンゴルのミルク茶「ツァイ」をぼくらにふるまってくれました。ちょっとぬるくてしょっぱかったです。
 
パオの中で草原の暮らしについて話を聞きました。この時期、灼熱の日差しにさらされるフルンボイル平原ですが、9月になると早くも雪が降り始めるそうです。1年の大半は雪に覆われ、厳冬期にはマイナス40度以下になるそう。ちょっと信じられない話でした。

3ヵ月間とはいえ、草原の暮らしには水が欠かせない。お隣のパオははるかかなただ。手前にあるのはゆで肉などを調理する鍋

モンゴル人の多くはずいぶん前から都市で定住生活を送るようになっているようです。それでも、1年のうち、雪が溶け、草原が狐色に染まる5月末から8月中旬までの間、スー・チンさんのようにパオ暮らしをする人たちがいます。 

パオは彼らにとって夏を心地よく過ごすための居場所なのです。「町で暮らすよりパオのほうがずっといい。自由だから」と彼女は話してくれました。\

現代の遊牧民は自家製ソーラー発電機も使っている

実を言えば、内モンゴルの草原を訪れ、意外に思ったことが他にもいくつかありました。近代的な工場があちこちに建てられていたし、丘陵の尾根には風力発電の巨大プロペラが延々と並んでいたことです。 かつて遊牧民だった彼らの暮らしが大きく変わってしまったのも当然なのでしょう。

スー・チンさんは「日本人も私たちと同じ顔をしているのね」と笑ったのが、とても印象的でした。というのも、この草原に暮らす人にとってお隣の最も身近な外国人はロシア人です。彼らに比べればずっと自分たちに近いと感じた」のでしょう。

サムネールの写真はスー・チンさん一家をパオの前で記念撮影したもの。11歳になる男の子は、わざわざ民族服に着替えてくれた。パオの中は思ったより広い。5歳になる末娘はひとみしりで、突然の訪問客に身をガチガチに固め、うつむいてばかり。最後には泣き出してしまった。ごめんね

では、この草原で食べた料理の話をしましょう。

フルンボイル草原の朝ごはんは、たいていこのような肉まん(饅頭)やお粥、ミルク茶の「ツァイ」などでした。

内モンゴルの素朴な朝ごはん

朝食はホテルのそばの食堂で地元の人たちと一緒にいただきました。

壁に炒め麺や肉餅、餃子、包子、スープ麺などのメニューが記されている

夕食はレストランでいただきました。
 
最初に行ったのは、フルンボイル平原の中心都市、ハイラルの「牧馬人蒙古餐庁」というモンゴル料理専門店でした。

牧馬人蒙古餐庁 内モンゴル自治区フルンボイル市ハイラル区河東新民路西路口


そこで食べたのは、モンゴル人の日常食でもあり、スー・チンさん一家がパオの中で食べていた手扒肉です。骨付き肉は大きいので、ナイフで切って食べます。

3種類のタレをつけて食べます。羊の丸焼きで有名な秋葉原の「香福味坊」でも、同じようなタレを使っていますね。実は味坊オーナーの梁宝璋さんの出身地は黒龍江省チチハルで、フルンボイル平原の東隣にあります

もともとモンゴルの人たちは、羊肉を一口サイズに小さく切り刻み、串にさして焼くようなちまちました食べ方はお好みではないのです。豪快に羊の骨付き太ももを塩味だけで焼いたり、茹でたりして食べています。味つけも華人とは違います。

モンゴルのミルク茶にはいろんな素材が入っているのですね


この店では、食事の前にテーブルでツァイ(ミルク茶)をつくってくれます。バターや黄米などを先に鍋で炒め、香りづけしてから最後にミルクを注ぎます。

ミルクを注いで出来上がり
牧馬人蒙古餐庁のスタッフのみなさん


もう一軒は、モンゴル式火鍋の店「清源炭火銅鍋坊」です。

清源炭火銅鍋坊 内モンゴル自治区フルンボイル市ハイラル区光明街海晨嘉園北門


炭火を使った煙突付きの銅鍋による本格的なモンゴル式火鍋です。いま中国中どこにでもあり、都内でも火鍋といえば激辛の麻辣火鍋ですが、それとはまったくの別物です。

これがモンゴル式羊鍋。羊のしゃぶしゃぶ(涮羊肉)でも麻辣火鍋でもない。ここまで本格的な羊鍋は日本ではまだないようです


新鮮な羊肉からしみ出たエキスが溶け出したコクのある味わいは、むしろ日本人の口に合うと思います。新鮮な骨付き羊肉の臭みはなく、いくらでも食べられそうになります。地元ハイラルビールも合いますが、白酒に挑戦するのも悪くなかったです。
 
鍋はもちろん、中に石炭を入れ、真ん中に煙突のあるタイプで情緒満点。でも、ちょっと驚いたのは、具材として最初から骨付き羊肉の塊が隙間もないほどぎっしりと周辺の鍋部分に埋め込まれていたことです。
 
食べ方は、特に作法もなにもないようで、肉の塊を鍋から取り出し、そのまま食べるだけ。最近は南方から多くの華人がフルンボイルの地に来るので、ゴマやニンニクなどの各種中華風タレ(中国では「調料」といいいます)が用意されていますが、基本モンゴルの人たちはスープのダシだけで満足のようです。
 
でも、それは日本人も同じだと思いました。なぜなら、そのダシは肉臭いどころか芳醇で、独特の風味をもつモンゴル岩塩が溶け込んでいて、味も深いから。調味料のような野暮なものは不要だと思いました。
 
最後にハイラルの市場の様子を紹介しましょう。

こんな感じで羊が丸ごと吊り下げられています。

頭と手足は切り取られています。羊の丸焼きはこの状態から焼きます
羊肉を売る市場の女性
骨付き羊のモモ肉の丸焼き(烤羊腿)

内モンゴルにはミルク酒(牛奶酒)もあります。甘い香りですが、度数はけっこう高いです。 

草原の酒、ミルク酒(牛奶酒)

数はそれほど多くはありませんが、日本には内モンゴル出身の人たちがいて、飲食店を経営している人もいます。日本では羊は99%オーストラリアやニュージーランドなどからの輸入だそうですから、フルンボイル平原のような新鮮なものはないかもしれませんが、ぜひ内モンゴル料理を試していただければと思います。

フルンボイル平原には各地にチベット寺院があります

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