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第1章 V 身体軸の回旋と体幹と四肢の連携-西野流呼吸法「華輪」5)一元充足-「丹田に気を送る」一体何の意味? 医の原点「手当て」の祖型

華輪の回旋が止まって、両手と丹田が充実する「三元充足」状態になる。
その両手の掌を丹田につけて、ゆっくりと「丹田に気を送る」。「一元充足」である。
華輪がゆっくり止まると、身体軸が現れる。その身体で味わう「一元充足」。
 
「気」って?「送る」って?
おそらく50年以上昔の日本では、こうしたことも身体的な常識で自然に理解できたのだろう。
しかし21世紀の現代、こうした言葉は死語で、意味は分かってもらえない。
ただ「唖然」とされるだけである。
 
「唖然」でいいから、手の掌からの何かが丹田に送られると感じるところから始めよう。
ここではイメージとして「丹田を温める」と思ってもいい。
そうすると、まだ子供の頃に手で体を暖めた事を思い出す。
 
 
これは実は医学で言う「手当て」の元々の祖型と想像される。
東洋、西洋に関係なく、痛むところにまず手を当てる。
そうすると不思議な暖かいものが伝わる。実際に膝に手掌を当てて感じてみるといい。
 
さらにいえば、現在の我々も日常的にやっていることがある。
孫が走り回っていて、机の角に頭をぶつけて泣き出す。
我々は極々自然にそのぶつけた孫の額に手の平をつけて、「痛くない痛くない。大丈夫、大丈夫。」といってやる。皆さんは思い出したでしょうか?
 
妙な理屈をつけようとするから違和感を持つ。
もっと初元的なゆったりとした気持ちで稽古した方がいいようである。
上級になれば、丹田につけたら手の平からのエネルギーが身体の中を登ってまた肩から両腕別れ手の平まで降りて、再度丹田にエネルギーを送る。
この様にイメージは身体の中をぐるぐる巡回する。
これもBody awarenessのひとつの工夫である。
 
Body awarenessが現代医学生理で説明できない。しかし実感はできる。
西野流呼吸法は身体を再学習する場(Bodywork)である。
Chat GPTが言葉を紡ぐよりは、よほどしっかりした身体感覚であるのだが....。


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