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壊れたら、壊す、壊されたとき・・・リベンジは倍速!倍返しだ!

何かの不具合で、書いていた記事が消えてしまった~とか、作っていたものを誰かが間違ってひっくり返して壊してしまったとか、仕事の関係の資料だとか、都合が変わって作り直し~もしくは、要らなくなった・・・なんてことは多々あると思う。

悲しいけれど、もう使えない。

頑張ったのに、大変だったのに、時間かかったのに・・・。

特に、仕事でも趣味でも、いろいろ「作る」という作業が好きな人だったら、ここはもぅ、ひとしきり名残惜しんだり(時には発狂しそぅになりながら)、やはり、また作り始める。

物事に偶然はないのだ・・・、とも言う。

他人が壊したり、自然による不可抗力だったとしても、個人の深層心理や集合意識でものごとは起こる・・・らしぃ。

それは壊れた時には全く気付かないこともあるし、やっぱりねって時もある。

壊れてよかった、作り直せる。
次はもっとうまくやれる。

止めに入ってくれなかったら、この程度で終わらせるところだった。

もっとやれたし。

ぐったりしながらも、作り始めると、散らばっていたアイデアが上手いこと再構築されて、しかも倍速であまり悩まずに、前より数倍ヨイ出来で完成させることができたりする。

たまに、ホントに、自分じゃないみたいな、誰かがやってくれたみたいに仕事が片付くことがある。
普通の「考え」とか「迷い」っていうのが全くなくて、完成度が高い。

自分じゃない~ってコトは色々思うとろこで、ヨイ意味でも悪い意味でも、・・・ここについてはまた別に書こぅ。

眠っている時に夢を見るのは脳が情報を整理している~とか言うけれど、寝なくても、壊れたものを見て頭が真っ白になって呆然としばらくフリーズするとか、逆に何処かに猛ダッシュで走り去りたいとか、頭を掻きむしって、とにかく叫びたいとか、何もなかったように現実逃避で、とりあえずゲームなどに没頭してみるとか・・・これが結構イイ。

悔しがって、ちゃんと認めて、一回忘れる・・・。
焦って再生を試みるよりも、ゆっくりコーヒーでも入れて、脳みそをかき回すフリージャズでも聴いて、ぼーっとするとか、ふて寝するとか・・・。

元の記憶はいったん脇に置く。
元の思考回路は放棄する。

真っ白な状態だとか、とにかく走ったり、ゲームに没頭する~なんて、「無」というか、普段慣れ親しんだ自分の脳みそで考える~っていうのを離れてみる。

浮かんだけれど使えなかったアイデアや、やろうと思ったけれど入りきらなかった思いとか、いろんなピースが上手いこと、収まる場所に収まる感覚。

てきちゃったモノを壊す勇気・・・

それとか、何か、かなりの完成度で出来上がってしまったものって、ちょっとだけ直すのって大変。
何か部分的にでも利用できないか?という浅ましさというか、もったなさや、これまでの思い入れ、費やした時間と労力・・・。

ピアノの調律だって、全体のバランスなので、1音だけ変!ってなっても、全体を調整せざるを得ない。1音だけ触ってごまかそうなんてことにはならない。

多分、顔を整形をしまくる人もきっと、目だけパッチリさせても、鼻も高くしないとシックリこない~とか、そぅいうことでハマるのかな?
・・・全体のバランスって、やっぱり大事ですもんね。

ちょっと逸れましたが、

ここが変だから直したい、ここだけで済まない、全部を壊す勇気はない、これまでの苦労、これからの膨大な時間と労力・・・、とにかく凄い大変!

素人が、下書きのデッサンは上手くいってるけれど、塗ると失敗とか、さらに直そうと上塗りして、・・・なんとか取り繕うその行為が野暮で蛇足で悲惨な結果を招く。
勿論、どんどんドツボにはまっていることには気づいてる。
けれど、完璧に失敗と自覚するための時間なのか?
触れば触るほど、心が痛い。

よく作家が原稿をポイするとか、陶芸作家が作品を床に叩きつけるとか、そんなシーンがあるけれど、偶然の事故ならともかく、自分で壊すって、それしかないとはいえ、脱力だし思いを再燃させる勇気がいる・・・。

普段の社会生活では、そぅやって自分で壊せる人は意外に少ない
特に日本人は、もったいながりだし、過程も大事にするのでね。

私は小さい頃から編み物など、完成間際でも違ってきたら思い切りほどく~という勇気と根気のある子だった。
私の両親は職人だったので、子供とはいえ、許せない誤差というのがある。

編み物も、大きすぎてもハサミで切れないし、ゲージがちょっと違ってると、ゼロまでほどかないといけない。ほどくにも結構時間がかかるし、その何倍もの時間を費やしたこもを回想する。
これは再生の儀式のようなもので、次は必ずもっと上手くいく。

壊れること、壊されることも、自分の中の再生システム?
自己評価が一定の基準以下の場合に発動する、他者や周りからの介入も承認済みの自動崩壊・再構築システムかな?

これが加速すると、作り始めた段階で既にもうダメな気がしてくることがある。これは違うんだけど、いっかいシミュレーションするしかない、・・・
予感は多分、正しい。

最近、ここの note のシリーズ宣言やら、Twitterでの霊現象の記事予告、結局何も上げてないが、どっちもこれ、私の中では既に何度も完成されている。少しの下書きと頭の中だけで・・・。

作っては壊し~の段階で既にヘトヘト。
ヘトヘトの試行錯誤でイイ時もあるし、ヘトヘトな段階でもう既にダメという場合もある。

人生全体も、夢の中でも何度も色々試していたり、より心地よい平行次元を目指して再構築しまくっている気もする。
なんかコレ、いっかい演っている気がする・・・とか、何回もやってるんだけど夢だったのか何なのか?と思うことが多々ある。

いつか続きを書きますが、創造・再生のこの普通の次元の話しとは少し違って、通常の自分の能力を超えてしまう・・・、上出来すぎる・・・って時。

これを書いている私は通常の気が散漫モードですけれど、ひどく完成度の高い仕事をすることがあって、物理的に手を動かしたのは自分なので、自分の仕業、自分の手柄なんだけど・・・。

イイ筆だから今日は書道が上手すぎる~とか、単なる悪戯描きだけれど、お絵かきソフトが良すぎてなぜか上手くできちゃった~とか、そぅいう物理的な道具の問題だけだったら、まだ自分の能力の延長線上ってことにできる気もするけれど、ここで言うのは。それとは別次元。

ともかく、放置しても、やるべきことは再度機会が巡ってくるし、間違ったり失敗したら最初からやり直し・・・、むしろ放置が再構築を倍速・倍返しで取り返すコツではないかな?

受け入れて、手放して、また始める・・・。

人生はこの繰り返しかな。

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