世界の話
(このエントリは 2019 アドカレ のために書いた文書を Google ドキュメントから移設したものです)
定期ゲーのアドベントカレンダーなんだから、前置きは要らないよな?
定期ゲーって何って奴は他の参加者のエントリを読んでくれ。
うん? 自己紹介?
俺が誰で何してる奴かなんて、興味ねぇだろ。だから正直、話を聞く奴がいるのかも信じられねーわな。
あー、ええと前の奴はここ。
くらぷきさんの『イベントを始めるときのアレソレ』
https://note.com/kurapuki/n/n93649e963e14
次の奴はここ。
天城ヶ原さんの『人工知能/AIキャラって定期ゲに向いてるの?という話』
https://note.com/10c_f/n/neac7e5959a5c
あと他の奴のはここな。
https://adventar.org/calendars/4842
で、ここは鶏アドベントカレンダーの二十日目ってわけだ。
そう、二十日。
茨街とぽれんの締め切りは大丈夫か?
は? 終わってない?!
てめぇ……
こんなとこ来てる場合じゃねぇだろが。
茨街は 20:00、ぽれんは 23:59 までだ。
今すぐ宣言しに行け!
本当にな……
これからグダグダ話すようなことより、それが大事なことだからさ。
頼むよ。
ふう。
鶏。鶏ね。チキンレースとクリスマスの七面鳥の代わりに食われるチキンをかけたのか。めちゃくちゃ混むんだよねぇ、ケンタッキー。
んー。
殆どゲームのシステムの話しかしないんじゃないかな……
世界が愛おしいって話じゃなかったのかって?
いや、最初からそのつもりだし、俺にとってこれは確かにそういう話なんだ。
別に、無理にわかってもらおうとは思わない。
世界の見え方なんて人の数だけあって。
まぁ、だからこそ言わなければ互いに知ることもなかったりする。
これは一つのそういう話に過ぎない。
俺は君に何も強制しないし、万一これが何かの刺激となって君に変化が訪れるなら、それは君の意思が選んだことなんだ。
いや、確かに結果だけを見れば、何も傷つけない表現はない。加えて、あらゆる変化は同時に破壊的だ。
その意味を危険性を、俺は十分に知っているつもりだ。
それでも、人間は退屈が苦手だったりするから。どこからともなく現れて、切り刻んでくれる表現という刃を。俺は求めているし、ここから去らないのなら君に振りかざすこともあるだろう。
勿論、手加減はするが。
♦︎
ん?
まだ帰ってなかったのか。
なら少し、話をしよう。
ああ、前置きをしないと言いながら前置きが長いって?
もう、がっかりさせてしまったのかな。
ああでも言っておかないと怖くてね。
正直クールじゃないと俺も思ってる。
あー……
生憎、洒落た趣味もない男の一人暮らし、気の利いたものなんてない。まぁ、烏龍茶くらいなら。
風情もクソもないタンブラーだが、半日は氷が溶けないんじゃないかな。
何か、軽いものでも作ろう。
♦︎
まずシステムという言葉の意味だが。
ゲームには様々なパラメータやデータ構造、その振る舞いを定める計算式やルール、ユーザーとの接点となるインターフェイスなどがある。
そういうのをまとめて大体雑にシステムと言ってる感じだな。とりあえずここではそういうことにしといて。
じゃあ本題。
様々なパラメータやその振る舞いは何を表しているのだろうか。
いい感じで設計されたシステムってのは、作り手が表現したいものをモデル化し実装し我々の前に世界の一端を再現している。俺はそう考えている。
作り手が考える世界
↓
作り手が表現したい世界の構成要素(物理法則や殴ったら死ぬという因果関係など)
↓
モデル化(表現したいものを表す要素を抜き出して、パラメータやデータ構造や振る舞いを定義する)
↓
実装
↓
システムによる世界の現れの集合体、それによる世界の再現(更新結果の生成、ウェブサービスの運用など)
↓
俺らが世界の現れを見て作り手の表現したいモノや世界がなんだったのかをそれとなく感じたりする
全てがこうだとは言わない。
それでも、世界を知りたいという探究心があれば、より多くの要素について意味を見出すことが出来るし、俺らにはそうする自由があると思っている。
馴染み深いパラメータから考えてみようか。
例えば HP はダメージを食らい尽くしたら死ぬという法則、言い換えるとガタイの丈夫さや体力みたいなものと捉えられがちだが、興味深くまた有名な例として D&D における『HP の高さは致命傷の喰らいにくさを表している』のような解釈もある。
様々な解釈の一例:
http://sandmann.hatenadiary.jp/entry/2016/08/03/000000
解釈のやり方をうまく選べば、俺の大好きなかわいいネコチャンに大きな HP をネコチャンらしい形で持たせられるわけだ。
ああ、そうそう。
勘違いするなよ? キャラクターにはそれに合ったスキルやステータスを必ず設定しなければならないってことじゃねぇからな? 俺が伝えたいのは、ただ単に世界の現れから世界を想像できるっつー話だ。
勿論、キャラクター設定とストレートにマッチした選択には、明快さという強さがある。じゃあ、キャラクターにそぐわない選択をした奴はステータスやスキルやらを見て見ぬふりするしかないのか?
俺はそうは思わない。むしろそのような時こそこれは役に立つ。広く世界を想像することによって、より柔軟な解釈が可能になるからだ。
いい感じに “クールなこじつけ” を生み出せたなら、それはキャラクターを表現し理解する新たな手札となる。
神を信じてない神術使いとかさ、俺は好きだし。
神術といえば信仰心というパラメータもある。これは、その世界に信仰の度合いによって変化する何かがあることを示唆している。こういうの結構好きなんだよな。恩寵か、神など居ない世界で自分を信じることで得られる力か。
もし、信仰心の低いキャラクターへの回復魔法の効果が少なければどうだろう。回復魔法は神の力によるものなのか。信者には恩恵があると。はーん。確かにわかりやすい。けど、そもそも神ってなんだよ。ここはディストピアで信仰心とは洗脳具合で、従順でない市民を間引くために十分な回復が与えられず……
話を戻そう。
DEX を上げて、EVA の低い相手を攻撃するとクリティカルが出やすいということからは、正確な攻撃をできる技量があれば、動きの鈍い相手には小さな弱点をも突いて有効なダメージを与えられるという、その世界での戦闘技術の発展の一つの傾向が見てとれる。
それは、戦闘の様子をより豊かに再現するエッセンスに、可憐な少女が大男を一撃で倒すことに説得力を持たせる手段にもなる。
インターフェイスや戦闘設定といったものも同じだ。
メッセージ機能は探索者に渡されたデバイスかもしれないし、ギルドが提供している魔法的なネットワークかもしれない。はたまた、スマホが普及した世界かもしれない。
色覚的な特性も身体の大きさもピンキリな多様なユーザーに対応しているのだ。そんなの、なんかいい感じで全部解決している…… そう考えるのは妥当で賢い選択だが。まぁたまには、スマホを操作するドラゴンを想像したり、異世界でのユニバーサルデザインの苦労に思いを馳せるのもなかなか楽しいものだ。
インベントリのアイテムの乱れから想像できるのは、その持ち主の片付けできない様子だろうか。逆に、整頓されたアイテムの並びから感じられるのは。その中で、ずっと捨てられずに残された折れたロッド。あなたが彼女のパートナーなら、いつかその理由を、まつわる思い出を聞きたいと思うかもしれない。
それまでの拘りを捨てて、勝つために手段を選ばなくなったキャラクターからわかることは? ロールプレイを捨てたということ? システムを切り分けずに表現手段と考えれば、そこで終わらないこともできる。そうせざるを得ないほどの目的と強い決意が、彼にその選択をさせたのかもしれない。何かに取り憑かれて操られている可能性もあるし、大きすぎる喪失が彼を変貌させたのだとしたら。
同じ座標を残し続けた二人は、どんな言葉で示すよりも共に歩んだことを力強く思い出に刻んだかもしれない。
逆に俺らは、物言わぬキャラクターの残したデータからその旅路を辿ることもできる。
戦闘システムへの深い理解は、ログの数行から刹那の攻防を、命運を分けた一瞬の駆け引きを想像することさえ可能にしてくれる。
——あなたが探究心を持って、この世界の現れから、より世界を知りたいと願う限りは。
♦︎
何か不満そうだな?
ん?
軽いものというから、パスタでも出てくると思ったって?
キャベツ炒めの何が悪いんだ。
めんつゆは人類の叡智だ。
いりこに詫びろ。
乾燥おからを出さなかっただけ俺には人の心がある。
♦︎
うーん……
これなぁ。人によって信条が違うところだから表明するのも正直、めんどくせぇ。
俺が俺のための俺ルール守ってれば俺は満足出来て何の問題もねぇし。他人のそれは大した気にならねぇし。
まぁ、いい機会なので敢えて話すか。
夜はまだ長い。
あくまで個人の一つの解釈だからな?
違うやり方を否定するものじゃない。
じゃあ、めんどくせー話をしようか。
戦闘関係のメタについてだ。
よほど端的で特殊なキャラクター設定でない限り、戦闘関係のメタというのは実際には殆どないというのが俺のスタンスだ。あー、うん。これはちょっと乱暴な言い方だ。ああ、大丈夫だ。
俺が気を使うのは戦闘そのものよりも、ユーザーと直接触れるインターフェイス部分の言い換えだ。
例えばログのことを録画と言い換えたり、宣言の事を作戦会議や計画と言ったりみたいなね。あとはステータス用語の言い換えとかかな。
そういう表面的な翻訳は別として、パラメータやスキルが表しているそのものをキャラクターから遠ざける必要を俺は感じていない。
そう、ここまでの話で俺の言いたいことに気がついているかもしれない。それらも、システムとキャラクターの生き様が作る世界の現れなんだ。少なくとも俺にとっては。
『正史では一度も戦闘なんてしていません』『念じるだけで敵が死んでいきます』『私はウイルスです』みたいな端的なケースを除いて、あなたのキャラクターは戦いのために何か準備して、生活の中で周囲の情報に触れている可能性がある。
先駆者達から情報をもらったり、高名な探索者や流行の戦術の噂を聞いたり、はたまた講習を受けたり。念入りに装備を確認したり。景気付けに豪華な飯を食ったり。
戦闘が不得意なら尚のこと。生き延びることに必死であればあるほど、情報収集は生存率に激しく関わるだろう。
身の危険のある世界においては、できるだけ戦闘を避けて生き延びようとする場合にも情報は必要だからだ。戦闘を避けることと、戦闘に関係する情報をシャットアウトすることは世界の状況によっては必ずしもイコールではない。
わかるか?
俺らは津波を直接どうこうはできねぇから、緊急地震速報をガチで受け止める。
もちろん人がゲームに注ぎ込めるリソースは無限ではないから、これを無視して戦闘関係の情報から完全に距離を置く自由もあるし、ゲームによってはそのようなプレイヤーを手助けする手段を用意している。
まぁ、少しリソースに余裕があるなら避けたい事について知っておくのは、よりリアリティのある行動をキャラクターに取らせる一助になるだろう。
んん…
あー、で、だな
これじゃいつまでたっても、戦闘に赴く者たちの様子がわからないから、開拓者が好んで集まってる肉の旨い店でも覗いてみよっか。
おー、いるいる。
パーティを組む者達だろうか。五人の男女……と見たこともない生きものが集まり、テーブルの上にマップを広げて明日のルートの確認をしている。戦闘での役割分担を決め、集めた情報と照らし合わせ、誰がどう動き何のスキルを何時使うかを真剣に話しているようだ。時々、罵倒とも冗談ともつかない言い合いが飛び出し、豪快な笑い声が聞こえる。どんな状況でも私にはベストの仕事ができる、とばかりに一匹狼を決め込んでいる嬢ちゃんもいるようだが。
普通に考えて、彼らには生活や生死がかかっているのだから努力を惜しまないのは全く不思議ではない。
それに、これはメタだと切り捨てるにはあまりにも魅力的な生活感だ。
そうは思わない?
まぁ、それは人それぞれだから。
文章一つ一つに ”少なくとも俺にとっては” とつけるのダルすぎるし話が先に進まないから、断定して見えるところあったらその辺の都合をわかってくれ。
武器やスキルの強さ等も、言葉の翻訳が必要になるケースがあるだけで、それが表している物事自体はキャラクターにも認識できていると考えることが可能だ。
勿論、世界に隠された秘密や時間のループ、記憶そのものを操作されてるみたいな、キャラクターが知らないことを大前提とした要素は別としてだが。
例えば、ハイドラライダーが自分の命を預けるハイドラの諸元を知らないのは不自然だろう。平和な現代社会に生きる俺らでさえ、少し車に興味があれば自分の車のスペックくらいは確認している。
剣士は自分の剣で切れるものが何か大体わかってないと苦労しそうだし、買い換えた剣が前のより良いかは分かりそうなものだ。本人に知識がなくとも、誰か指摘するかもしれない。「そんな装備で大丈夫か?」
MP なんかも同じだ。直接に数字で見ていないとしても、全く把握できてないのは戦場では不利だろう。仮に把握できないとしても、今日は一発多く撃てた!というように成長を感じることはできる。
現実においてもフィジカルの成長は露骨に数字にでるものだ。何々を何セットできるようになったとか、記録が伸びたとか。
キャラクターが彼らの成長や衰えを、如実に自覚できていると考えるのは何もおかしくはない。
隣のテーブルでは……
おや?
どうやら連携技の命名で揉めているらしい。いるよなぁ、壊滅的なネーミングセンスの奴。嫌いじゃないよ。
モンスターやスキルに名前があるのはシステムの都合だから、キャラには使わせないというスタイルも見たことがあるな。
俺はそこも普通にありかなと思っている。名前があるのも世界の現れだから。
まず、定期ゲーでキャラクター全員が意志伝達手段を持たず社会性もなく、情報の共有も技術の継承も行われていないと考えるのはかなり無理がある。そういうゴリラ未満世界もちょっと興味がなくはねぇが……
脅威をもたらす何かが現れた時、それに名前を付けるのは、言語を持つ集団においてとてもプリミティブな行いに思える。科学によって今ほどには世界が詳らかにされていない時代、ありもしないものにまで人々が名前をつけて恐れたことは皆も知るところだろう。
好奇心を持て余す人はいるもので、全く目立たないものにまで名前というのはつけられる。名前があることで人はそれを一つのカテゴリとして認識し、共有し、効率的に扱うこともできる。ちょっと悪い使い方もあるくらいだ。似非科学商法とかね。
未知の脅威には名前を。森の主にも名前を。伝えたい技があるならそれにも名前をつけるだろう。
利便性から考えても異能やスキルの名前は有用だ。
咄嗟の時に「あんたのあれ!あの、炎で剣を包んで切るやつ!頼む!」とかいうより「火炎斬を頼む!」って言った方が楽でしょ。
あー、いや。これはさ、まだそのまま説明しやすい技能だからマシだけど、かなりふわふわした概念で特殊な異能となると尚のことコミュニケーションの為に名前は欲しい。俺がそいつと組むなら。
魔法や異能に名前をつけることで、使い手がそれをイメージしやすくなり、安定した発動に繋がる。そういう解釈もあるだろう。
皆が共通して同じスキル名を使っている場合はどうだろうか。これはメタとされて避けられやすいケースの一つだ。
俺はこれも不自然ではない範囲で解釈できると思っている。俺の思う彼らの生きる世界では…… キャラクターやモブ達は生きるための情報のやり取りを、俺らが限られた窓から覗いて見ている以上に行っているし、知的生物の作る社会において情報の伝達は想像以上に早いからだ。
現実でのわかりやすい例は格闘技やプロレス技の名前だろう。由来は様々だが、いずれの場合もどれかの名前が自然に定着して、ある技がそう呼ばれることになる。ほぼ同じ技でも使い手で異なる名前を付けていることもあれば、定番化して広く使われている技名もある。
技名があれば、実際に映像や写真で見なくても情報を圧縮して伝え合うことができるし、選手のウリにもできる。
将棋の戦法の名前なんかにも言えることだ。
スポーツやゲームでさえそうなのだから、戦うことが生きることに密接に関係あるキャラクター達ならどうだろうか。
新しい魔法や強力な連携には発案者がすぐに名前をつけて、その有用性とともにものすごいスピードで広まるかもしれない。
求人先で「今話題のほにゃららって使えます?」なんて聞かれたり。
名前が使われる理由を、システム側から提供するゲームもあり得るかもしれない。「新しい技が考案されると、冒険者ギルドによって命名されます。これらの技はギルドで講習を受けて身につけることができます」みたいな。
それでも、システムで提供される名前をキャラクターが使ってるのは解釈違いなんだ。あんたの言ってることは全く論点を外していて解決にならない!ってなる人がいるのも、まぁ予想はつく。うん。少し待ってくれ。俺は別に、全てを解決しようとか、そもそも誰かの悩みを解決するために話をしてるわけじゃない。
そうだな。
勿論、スキルに好きな名前をつけられるというのも根本的でシンプルな回答だ。
どうしても自分の流派の技名しか使えない、自らによる命名そのものが発現トリガーとなる、といったケースもあるだろうしね。
…… どうやら、連携の名前は決まったようだけど。
戦闘中に技の名前を叫ぶのはかっこ悪いかどうかで言い合ってるみたいだね。
どうなんだろうね、アレ。
魔法だと発動に必要とか、色々あるよな。
集団戦ならフレンドリーファイアしてしまわない為に、範囲攻撃を宣言するのは有用だ。逆に、バフや回復を使う時は集まってもらう為に宣言する意味がある。困ったことに、ヒーラーの射程外にいくアタッカーみたいなお茶目な生き物は、恐らくどこの世界にもいるものだ。
定期ゲーのシステムがそのようなインタラクティブな戦闘アクションを持っているかに関係なく。想像を働かせれば、キャラクターにリアリティのある振る舞いの動機を与えられる。「みんな、集まって! いくよ、セイクリッドサラス!」
敵にその叫びが聞こえるかどうか、言葉を理解できるか、声を聞き分けて行動選択を変えられる視野の広さと反応速度と判断力に推察力、意思決定の迅速さがあるか、そもそも処理能力を超えた混戦かどうか。所謂 OODA ループってやつだな。様々な要因があるから声を出すというのは一概に馬鹿にしたもんじゃねぇんだ。
俺の好みでいえば、特に理由がないなら技の名前は言わない方が好きかな。
どっちにしろ、隣で叫ぶのを別に止めはしねぇし。
やるならとことんやってくれ。
どうせ、殺られる前に殺るつもりなんだろ?
あんたが声をあげようとあげまいと、俺はターゲットを合わせてみせる。
♦︎
こんな時間か。
この季節は暗くて嫌になる。
初夏ならもう昼だろ。
だー、開けるな開けるな。寒い。
見ても何も見えねーよ。
大したものもねぇ…… ?
!!
おー、よく分かったな。
確かにあそこにはローズマリーが植えてある。
一度雪に埋もれたけど、ここ数日の陽気で出てきたんだ。まだ枯れてねーみたいだから、なんとかしてぇな。
え?
いや、そんな洒落たことはしてねーかな。
芋にかけたりとか、芋にかけたりとか……
うっせぇ。
芋の何が悪い。
あー……
どうせ雪で枯らすなら、採ってくるか。芋もあるし。
♦︎
俺の忘れられない思い出の一つに、霧戦争四期の再起動祭がある。
最初にエドゾーさんに謝っておく。結果がどうであれ俺はこの話をするのをやめないよ。
36回更新のためにギルデンロウが呼びかけて人を集めたあれだ。
参加してない人の為に簡単に説明すると、禁忌と呼ばれるものが関わる戦場では再起動という現象が起きる。
この再起動とは、撃墜された者が六人になるまで、戦場を巻き戻して敵を強化しながら戦闘をやり直すシステムだ。プレイヤーから見えるのは、最後に行われた最低でも六人が撃墜されている結果となる。
多分、大体あってるはず。
一見乱暴に見えるが、肉入りのユーザーが撃墜されないように工夫できる仕掛けなどがあり、決して雑なシステムでないことは前置きしておきたい。
さて、もしあなたが霧戦争を知らないとして、再起動システムの第一印象はどんなだったろうか?
「バランス調整のためのご都合かな?」
そう思っても仕方がない面がある。霧戦争の世界設定を知らないなら無理もないし、当時はプレイヤーの中でさえそういう声が聞かれたのだ。
そんな雰囲気の中放たれた甲殻類さんのツイートは印象的だった。
こう、、なんというか、、一気に自分の中で残像領域が神秘性を、神話性を帯びたんですよ
ここはヴァルハラかなにかで、我々は戦い続ける運命にあるのかもしれない
https://twitter.com/synctrunk/status/906580856336138240
このツイートが呼び水の一つとなったのもあり、再起動システムへの考察が交わされ始める。
ギルデンロウの呼びかけによる作戦のため作られたディスコードのサーバーには多くの人々が集まり、ロールプレイチャンネルではさらに考察が進められた。
そもそも再起動が行われていることには気づけるのか? ループものの主人公のように特殊な能力がなければわからないのでは? では何から違和感を感じるのだろうか。必ず六機撃墜されるという統計が示すものは。敵機の強化が示すものは。そもそも禁忌補正とは。何かががあることがわかっているのでは? 大体あれはループなのか?
わからない。
ただ同じ戦い方ではまた脱落が出るだろう。なら、この檻の中で戦い続ける俺たちができることは。
あたかも再起動から逃れられないハイドラライダーそのもののように。
考え続ける俺達にギルデンロウとリー・インの示した目標はシンプルだ。人を集め禁忌に抗う。できる限りの戦力をもって。それはプレイヤーにとっては、できる限りの再起動を発生させるということだ。
ハイドラライダーの戦う理由が様々だったように、プレイヤーも様々な理由で集った。なんか面白そうだから、再起動の先をみたい、記録を出したい、GM という神に真っ向から対抗したい、何かできるならそれに挑戦したい……
繰り返される戦術への考察。
あの祭りの中で感じられた、この時間と体験を共有しているという一体感。
俺たちは変容する瞬間と瞬間の中で状況を把握し、そして変容させていく。勝利に近づくように。そしてそれぞれのプレイヤーが持つ“意思”それこそが、状況に影響する最も大きな要因だった。
俺はその場所において、主体的な意志と“影響力”を持つ一人のプレイヤーとして確かに存在していた。それぞれが意思を持つ個が集う集団の中でだけ、俺は俺の意志を行使できた。
ゲームがしたい。
それは俺が残像ではない事を示す証明になるだろう。
http://mistofwar.kitunebi.com/M_o_W_4/034/RESULT/c0134.html
いいゲームだった、とは…… ギルデンロウ、君はとても言いそうにはないけれど。集った連中、それぞれの意思で紡がれた世界、そこに俺は確かに居た。君の言うそれとは違うかもしれないけれど…… 俺はゲームをして、自分の意思で一つ一つを選択し、だからこそ存在できたんだ。俺も、君の知る無名も。
——もちろん、君自身もだ。
あの二週間を俺は忘れない。
霧戦争四期を俺は忘れない。
ありがとう、ギルデンロウ。
……ってなんの話してたんだっけ。
まぁいいか。
♦︎
芋うめぇ。
?
ああ、うん。
ギルデンロウのファンだからね、俺は。
そうそう。
そんなのもあった、あった。
アレのせいで未だに小説とかで「今だ!」てセリフ見るたび思い出すし。
酷い汚染だよ。
ほんと。
♦︎
定期ゲーでキャラクターの生きる世界、めんどくせーからもうここから先、世界って呼ぶけど。
この世界を作ってるのはさ、システムと、初めからあるデータと、ユーザーが生み出したデータと、無数の行動選択、その他なんか色々、そういうのの集合体なんだよな。
キャラクターの発言も、戦闘結果も、アイコンとか絵も全部そこに含まれてる。
卵が先か鶏が先かみたいな話になるが…… まず世界があって俺らは限られた情報を窓から見てより世界を知りたいと請い願っているとも取れるし、俺らはキャラクターにとって完全なメタ存在であり、采配一つで世界に情報を増やせるとも取れる。
この二つは相反しているようで、定期ゲーにはどちらの体験もあると思える。双方向に同時に起こり得る、というか。
これもちょっとめんどくせー話になるんだが、キャラクターとプレイヤーの体験は厳密に切り離さなくても良いし、切り離すのが難しいことも関係してる。
この双方向性や没入感は定期ゲーの種類や自分との相性によって変わるから、例をあげて説明するのも少し慎重になりたい。
それでも敢えて説明するなら。
例えば、霧でハイドラのアセンに悩んでいるとする。俺の場合、それはキャラクターにとっても同じ悩みだ。
俺は機体のセッティングという世界の現れに触れて、それを世界を覗く窓として、キャラクターがこの機体にかける想いを知ることができる。どのように戦い、何をしたいのか。そのためにはどのようなアセンを求めているのか。
実際にアセンを決めているのはプレイヤーであり、都合の良い妄想と言われればそれまでだ。
けれど、その限られた窓からシステムを通してキャラクターと対話することで、俺の選択の一つ一つはキャラクターの選択となり、それがキャラクターを存在させている。そんな気がしてならない。
♦︎
これはさ、ほんと、うまく言える気がしねーよ。
それに、どこかで俺は別に伝えなくて良いと思ってしまってる。
だってこれはなんていうか、当たり前つーか、言うまでもねぇっつーか……
俺が好きと思う世界が存在してる時点で、こんなんいちいち説明しなくてもさ、って思っちまう。
どうしろってんだ。
こんなこと言ってる時点でめちゃくちゃ穴にはいりてぇ……
ああ、もう。
あー
吹雪いてるじゃねーか。クソ。
どんより暗くて嫌になるな。
んんー……
そんなもんかねぇ。
だとしても、俺にはどうもな。
この長い冬ってやつがそんなに好きになれねー。
なんでこんなところ住んでるんだろ。
いや、ここはそんな嫌いじゃねぇんだが……
ああ、
そうか、そうだな。
まぁ、それはあるかもしれない。
それなら……
♦︎
プレイヤーが定期ゲーにかけられるリソースは有限だ。
よほど小規模でない限り、世界を構成し世界を表しているものを一人のプレイヤーが掌握しきってコントロールするのは無理じゃねぇかな。
言い換えれば、世界には未踏の部分があるってことだ。
知らないキャラクターの経歴は知らねぇし、覗いても噂にも聞いてねぇプレイスで起きていることは知りようねーだろ?
仮に全ての文章やログを読んだとしても全プレイヤーの心の内と GM の次の一手までを尋ねるわけにはいかないから、これから起きることにはまだ未知が含まれているはすだ。
全能であるなら全てを掌握できるのだから選択する必要はねぇけど、俺らはそうではないから何かを選んで何かを選ばないことができる。
そう、できるんだ。それは特別を作るとか、知らないことがまだあるってことで、キャラクター同士の関係性が均一ではないということで、この疎密さを含む構造は、俺らが知覚できるスケールの範囲では偶然さえ生み出してくれる。
これが、世界を双方向でよりリアルなものにしてる理由の一つだと思ってる。
俺は全能ではないから、俺の手を離れたところで世界は勝手に広がっている。
そこには俺が興味を抱くものも、全く興味がないものも、趣味の合うものも合わないものもある。ままならないこともあるだろう。
けど、世界が一つの思想で統一され平定され安定した完成体で、そこで起きる何もかも掌握しきることができるなら、俺はきっとこれほどこの世界ってやつに焦がれてはいない。
だから、掌握させないでくれ。
それはあなたがごく普通に、定期ゲーに参加していればできることだ。
あらゆる一つ一つの選択が、世界の情報を増やし、ひいてはキャラクターを世界に存在させる。
俺も、そんな世界を作るひとさじになれたらと願って止まない。
♦︎
結局、単に定期ゲーやってればいいってことじゃねーかって?
そうだよ。
正直、俺は他のプレイヤーにそれ以上を望んでねーよ。何かを期待もしてねぇ。
皆が皆の思うそれぞれの定期ゲーを、やっててくれればそれでいいんだ。強いて言えば、それを期待してんだ。
♦︎
ここまで読んでくれてありがと。
おまけ。
茨街 990 です。
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