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ゲームで罪悪感に飲まれた話

どうも、深井業です。

突然だが、皆さんはゲーム内でNPCを傷つけた、あるいは殺害したことに対して罪悪感を持ったことはあるだろうか?
本来プレイヤーに対して友好的な存在であるNPCに対し肉体的、あるいは精神的ダメージを負わせ、それまでの友好的な関係性を破壊してしまったことに傷つき、後悔した経験はないだろうか?

「ゲームなんだからそこまでナイーブになるものじゃないでしょ」と言う方もいるかもしれない。所詮ゲームであり現実には何の影響も及ぼさないのだから、そこまで感傷的になる必要はない。もっともな意見である。
しかし、ゲームという自分自身の手で能動的に物語を展開させるメディアだからこそ、自分の経験として生まれる感情、感動があると信じている。だから、時に自分の選択に歓喜することもあれは後悔することもあるのだ。

今回はそんなゲーム体験の中で生まれた後悔の話である。

自由な選択が突きつける現実

これはSkyrimというゲームで起こったお話。

Skyrimは2011年発売のオープンワールドRPG。オープンワールドの金字塔とも呼ばれるSkyrimは圧倒的自由度の高さがウリで、10年以上経った今も多くのファンがおり、また、MOD(凄く大雑把にいうとユーザーが製作した拡張プログラムのこと)の開発、頒布が今もなお行われている。

特別な力を持つ伝説的な存在として世界を救うメインストーリーのほか、ゲーム内には様々な組織や派閥があり、それらに所属して独自のストーリークエストを受けることもできる。自分の思想や信条、プレイスタイルによって様々なゲーム体験が生まれるのである。

様々存在する組織のひとつとして、闇の一党という組織がある。
所謂暗殺者ギルドであり、依頼を受けて指定の人間を殺害する、というのが組織の仕事である。

プレイヤーの組織に加入してからの最初の任務として、ムイリという女性からアライン・デュフォンという男性を暗殺する依頼を受ける。
このムイリという女性、シャッター・シールド一家と非常に仲が良かったのだが、アラインのせいで関係にヒビが入ってしまい、一家を追われる羽目になったという。その復讐として、彼女はアラインの死を望んだ、というかたちだ。

そしてアラインとは別に、死んでほしい人間がもう1人いるという。それがニルシン・シャッター・シールド。姉妹同然に仲が良かったのだが、アラインの策略によりムイリを憎むようになったそうだ。
ただ、ニルシンに関しては絶対に暗殺しなければならないと言うわけではない。暗殺してくれれば報酬を上乗せするが、無理にやる必要はないという。追加の報酬はより効果の高い薬品を作れるようになるユニークアイテムの指輪である。

ここでプレイヤーは判断を迫られるわけだが、報酬が増えるのであればやらないという選択肢はないわけで、大抵のプレイヤーであればアラインとニルシンをさっさと始末し、ムイリからセプティム金貨と指輪と感謝の言葉を受け取り、この件は終了するのである。

終了するはずなのである…。

遺された者の選択

ムイリの依頼を終えてしばらくしたある日、私は盗賊ギルド(その名の通り盗賊達のギルド。金品金目のものをスリとったり押し入り強盗したりするのが仕事)の依頼でシャッター・シールド邸を訪れた。ピッキングで鍵をこじ開け、あたりを物色していたその時、私はをそれ」を見つけてしまった。

ニルシンの母、トヴァの遺体である。
母は娘の死に耐えきれず、自殺したのである。

傍らにあった遺書。2人の娘(フリガはニルシンの姉妹。ムイリの件より前に亡くなっている。)を失い生きる意味を無くしたトヴァ。唯一の救いはソブンガルデ(所謂あの世。Skyrimの世界観における黄泉の国のようなもの)で娘たちと再会することだ、といって彼女は自ら命を絶ったのだ。

これを見た私は、罪悪感と後悔で胸が潰れてしまい、苦しくなってしまった。取り返しのつかないことをしてしまった。そう思った。指輪なんかのために尊い命を奪い、そして結果的に2人も殺してしまった。ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。自分の行為が他人の人生に与えうる影響がどれほどのものなのかを見せつけられ、なにも考えられなくなった。
こうして、欲にまみれた卑しい人間は自分の行いを顧みて、後悔し、そして涙を流した。


ゲームのキャラクターが自殺するなんて経験ありますか?

ノベルゲーであればないことはないかもしれないが、そういったジャンルのゲームをプレイしたことがない私にとって、この体験は衝撃的だった。

ゲームにおける印象的な死というものは非常に多い。ゲームをプレイする人それぞれに、心に残った作品はあるだろう。
だが、ゲームをプレイして体験することになる誰かの最期というものは、大抵の場合、命尽きるその瞬間まで生きたいと願い足掻くものではないだろうか?決して、今の生に絶望し、生きる意味を見出せない者の最後の選択としての死ではないはずである。ほんの僅かでも残った勇気を振り絞り、自分のため、自分以外の誰かのために生きようとするその姿勢に、我々プレイヤーは心を動かされるものだと私は考えてきた。ソウルシリーズの青ニート(拠点で座り込んでいる心折れた戦士。プレイヤーに対して皮肉を言いながらも助言してくれる存在)だってそうだ。

だから、ゲームの中で、まさかそんな消極的な選択による死を突きつけられるとは思ってもみなかった。

それは知るべきだったのか?

このトヴァの死、ものすごく意地悪なところがある。シャッター・シールド邸に不法侵入しなければこの真実を知ることはできない、というところだ。
夫のトールビョルンから「娘も妻も失った」という話を聞くこともできるが、その話を聞いた上で見に行こうというプレイヤーは少ないはずだ(夫のトールビョルンはちょっとしたミニクエストで話すことになるが、それ以外のシャッター・シールドの人間は会話の種類が乏しいため、わざわざ話す価値はない)。ゆえに多くのプレイヤーは、この真実を対し心の準備ができていない状態で知ることになる。最高ランクの難易度の鍵をこじ開けてシャッター・シールド邸で得たもの、それはとある石と秘匿された真実なのだ。

トヴァの死は、厳重なセキュリティーを抜けてまで知るべきことなのだろうか?
きっと厳重すぎる玄関の鍵は、真実に直面する覚悟がある人間のみが挑戦することを許されるのだと言っているのかもしれない。

おわりに

Twitterで時々話題になるハッシュタグ「#お前らのゲームのトラウマ挙げてけ」には、色々な人が様々な経験とその過程で感じた恐怖や心傷を綴っている。今回の記事の話も、そんな内容のツイートをより詳細に、その時の自分の感情を思い出しながら書いたものである。かなり主観的で感情的、そしてとても拙い言葉であるが、全て私が感じたものを出来るだけそのまま言葉にした。

ゲームはプレイヤーが能動的に物語を動かすエンターテイメントである。そこで得た体験、感じたものは人生をより豊かにする。プレイヤーに、私の中に残ったものは、この先ずっと私と共にあり続けるのだ。たとえそれが、どんなに辛く重く苦しいものであったとしても。

ムアイクの話はおしまい。