悲しい行事

 私は切腹をした。それは深く悲しい切腹であった。

 私の他に二人が一緒に切腹をした。ひとりは若く、サッカー選手のように精悍な顔立ちであり、もう一人は大柄で長髪の男だった。私たちは三人で切腹をしようというのだ。三人とも俯いて口数は少なかった。

 最初に大柄の男が意気地を見せた。洋服の前をはだけ、しろい肌が露わになった。我々の着ているものは、揃いもそろって白く薄手の麻みたいな生地で、どうやら死に装束であるらしかった。
 
 男は私が切腹と聞いて想像するよりかはずっと浅く、短刀の先を腹に突き立てた。私は切腹の作法について見当もつかなかったが、彼はどうやら良く知っているらしく(恐らく未経験だとは思うが)、まずへその十ミリほど下を、水平に掌ほどの長さにさばかなければいけないらしかった。彼は首尾よくそれをやってのけたが、額に浮かべた無数の脂汗が、パーマを効かせた長い前髪を伝って、幾つも滴り落ちた。滴った汗は、下腹部を覆った赤黒いカーテンの上に、汚い滲みを作った。

 彼の仕事はそれで終りではなく、今度は最初の切り口の中央、ちょうどへその真下辺りから刃を入れ、直上にみぞおち辺りまで切り開くという一大事業が残っているのだが、これはさっきとは比較にならない程痛そうに、時折恨めしそうに残りの二人の顔を見ながら唸るのだった。
 既に一刀目の切り口で腹の張りが失われているので、いくら力を込めても、皮膚はひしゃげるばかりで思う様に刃先が入らない。何度も刀を取り落としては、その度に柄が血に濡れ、滑って力が伝わらないので白装束の裾で拭わなければならない。何度目かの挑戦の挙句、どうやら正座が余計苦しくさせていると考えたらしく、彼は尻をつきM字開脚の形になった。するとどういうわけか彼の股間が露わになった。死に装束なので下着をつけていなかったらしい。彼の股間にはきれいな女性器が縦に走っていた。全くその目的で使われた様子のない感じが見て取れた。私は、どう見ても男である彼の性器が女物であったことよりも、むしろそれが全く使われた様子のないのによほど驚いた。彼の(彼女の)その艶やかな女性器は、少し上を走る、たった今刻まれたばかりの切り口と垂直なコントラストを形成していた。
 
 しかし彼の勇気をもってしても、みぞおちまで皮を百ミリほども切り上げるのは相当難儀らしかった。見ている方が痛くなるほどだ。
 
 私は胸の悪くなるのを抑えようと、無意識に右手を握りしめていたらしい。ふと我が下腹に視線を移すと、私の右手に握られた短刀が、既にへその下に食い込んで止まっていた。意外なことに、どうやら三人のうちで最も早く刃を腹に突き立てたのは私のようだ。しかしその切っ先は、やっと三ミリほどが皮下に隠れただけで、その奥に潜り込む勇気を持たなかった。血も流れるのを忘れたように大して出ていない。それでも私は彼の勇気にほだされ、自らのやるべきことを思い出すと、ままよ、と右手に力を込めた――

 何とか水平に八十ミリは進んだように思う。
 サッカー選手は、さっきから二人の様子を見てずっと気分が悪そうに口を開けていた。
 私は彼を尻目に、とりあえず横傷はつけたのだから、女の彼に倣って、次は垂直に刃を進めなければならなかった。しかし横傷が半端な深さであったため、縦傷の一刀目が、横傷の下でまだくっつきあっている皮下組織に邪魔されて深く突き刺さらず、地獄の苦しみである。刃を突き入れようと抉る度に、嗚咽がこみ上げる。私の右で、女性の彼はすでに事切れたように見えた。秘部をさらけ出したまま、後ろにのけぞり意識を失っていた。しかし、血に染まった両手は腹に突き刺さったまま、結局は行き場を失った短刀に添えられ、彼の生真面目さを物語っていた。

 私はこれはとても無理だ、いったん若者の行く末を見よう、と自分の作業を諦めると、目が覚めた。

 寝そべった私の脚の両脇には、二匹の飼い犬が一匹ずつうずくまり、寝姿勢を整えていた。一匹が気紛れに私のすねの辺りに乗っかると、その体重が、面積の狭い彼の足の裏に集中し、私は短刀が腹に食い込むあの感じを思い出していた。

了 
 

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