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デレラの読書録:原田敬一『日清・日露戦争』(シリーズ日本近現代史第三巻)


『日清・日露戦争』(シリーズ日本近現代史第三巻)
原田敬一,2007年,岩波新書

19世紀末から20世紀初頭。

帝国という様式を目指す強国たちは、周辺国を植民地化しようと画策する。

時代のうねり、日本は欧米風の近代化を取り込み、国を維新する真っ最中だった。

利権への欲望が渦巻くなかで、日本は近代化の象徴である国会討議を開始した。

国会討議、それは議員の熟議によって法や政策を決める、という近代の象徴。

しかし蓋を開ければ予算審議の中心は常に軍備拡張。

軍事費の増大に国は疲弊する。

西南戦争でインフレが起き、貨幣の価値を上げるために貨幣を燃やす。デフレが発生する。

資金が枯渇し、国民が疲弊すると、利権を求めて周辺国を植民地化しようとする。

軍備拡張と軍事行動。

しかしゲームのように簡単にはいかない。

現地では当然、住民の抵抗がある。

占領作戦は長引き、さらに軍事費が必要となる。

負のループ。


当時は現在とは状況は異なる。

確かに核の傘のようなある種の均衡はまだない。

人権意識も現在とは違う。

21世紀の流行りのSDGsどころか、そもそも植民地化の反省もなく、むしろ推進している時代、19世紀末から20世紀初頭の世紀転換期。

日本は、欧米諸国、露への対抗として脱亜を唱える時代。

とは言え、時代状況を盾に当時を肯定することはできない。


そして現代、軍備拡張、軍事予算増大の必要性が、今、叫ばれている。

冷戦が崩壊し、核の傘というある種の均衡と、SDGsなどの植民地化の反省がある今の時代に。

確かに21世紀に戦争は無くなっていない、むしろ現在進行で起きている。

その歴史状況の渦中にいながら、わたしたちは冷静にその状況を俯瞰する必要がある。

本当に必要なのか、本当に不要なのか、なぜ必要なのか、なぜ不要なのか、いくら必要なのか、他の手段はないのか。


簡潔な結論は出ないだろうから、せめて考えた末に出した暫定的な答えを積み重ねて。

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