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「なんかちがう」という感覚

温泉が好き。

スーパー銭湯も好き。

でも、家の風呂はあんまり好きじゃない。

風呂付きを公言している私ですが、風呂ならなんでもイイというわけではありません。

鄙びた温泉が好き。

古い温泉が好き。

でも、汚い温泉は嫌い。

鄙びた温泉は、大概古いところが多いんだけれども、古いからといって必ずしも汚いわけではない。

反対に、新しいからといって必ずしもきれいなわけではない。

今日はそんな話。


昨日は、家から車で10分くらいの場所にあるスーパー銭湯へ行った。スーパー銭湯は鄙びた温泉と同じくらい好きで、どこの土地でも(旅行先でも)ビジネスホテルに泊まりながらも、近所のスーパー銭湯を探して入りに行くくらい好き。

これまで、たぶん100以上のスーパー銭湯に行ってきたけど、外れた記憶はほとんどない。

でも、昨日のスーパー銭湯は、「なんかちがう」という感覚に襲われた。つまり、初めて”外れた”と感じたスーパー銭湯だった。

スーパー銭湯だから、鄙びた温泉に比べれば格段に新しい。

でも、新しいのに汚い。

自分自身が「なんかちがう」と感じたのはその汚さのせいだけじゃなかったと思う。

そこに置いてあるもの、働く人、お客さん、などなど様々な要素が複雑に絡み合って醸し出していた全体的な雰囲気のせいだと思う。

目に見えないものはあまり信じないタイプだけど、自分自身が「なんかちがう」と感じるのは第6感的な力とかそういうのではなくて、たぶん目に見える色んな要素がそう感じさせているんだと思う。

だからこそ、自分自身の「なんかちがう」という感覚は大切にしている。


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