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文字を書くこと

 Noteを始めてみることとする。動機は気が向いたから。もともと文筆業に憧れがあったという訳でもなく、そもそも文字を書くことも好きという訳ですらない。ただこうでもしないと自我が有耶無耶曖昧模糊、そんな具合に霧散してしまうのではないかという危機感を覚えたのだ。魂の輪郭を言葉で型どろうという試みである。ただ、自分から進んで書いているクセに書きながらビビっている。日頃「無知で愚かな私」のロールを演じることによって私は私にふりかかる嘲笑等のダメージとそれを呼ぶうすっぺらな自分自身から目を背け、愚図牛頭馬頭共をシニカルに笑い飛ばしているつもりになっているのに、自ずから言葉を用いて真に愚かな私の形を露にし、そしてそれを衆目に晒そうとしているのだ。恥ずかしい。自分が傷つくことを恐れるあまり、TPOに応じた便利な人格をゲームのキャラクターのように心に飼い、技のコマンドを選択するように適切と思われる人格をタイミングよく出してその場をしのぎ、騙し騙し日々を生きている私にとって、今さらnoteでデジタル自分探しの旅をしたとてなんら効果があるとは思えないが、それでもやらないよりかはまだマシだと信じているからこんなものをツラツラとしたためている。いざ書く側になってみると、この行いがいかに心身にストレスをかけるだけで無益かがよくわかる。そして未だに衒学的仕草がやめられないくせにメタ認知をも持ち合わせてしまった私にはこの文章だって「だ、である調」で書く必要は無いと知っている。ただよくみかける「こんな雰囲気の文章」らしさの演出の一環でわざわざこう書いているのだ、である。
 
東京に越してきて3年が経とうという頃になって、ようやくキチンと息が吸えるようになった。東京人としてのロールが板についてきたようだ。これでやっと自他共に騙し、楽に生きていくことができるのだ、である。

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