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霞みそう

初めてノートを書く。
日記とか生まれてこの方続いたことがない。3日坊選手権があるなら優勝まではいかないものの、上位入賞しているだろう。最初は気合いを入れて、無駄に可愛く、文字も丁寧に描き並べる。誰が見るわけでもないのに上っ面な言葉を並べて、それで満足していたから一生3日坊主なんだと思う。

きっと今回もそう。
公開するかも分からないこの文書を、まとまっていない気持ちも、そのまま書こうと思う。

この10日の間にすごく色んなことがあった。急すぎる人生の転換期なのか、なんなのか。そして間違いなく家でも外でも泣いた10日間でもある。
私は私のことが好きじゃない。好きじゃないというかほんとうに自信がない。弱くて狡くて、精一杯取り繕って、ご機嫌うかがって、嫌なことも嫌と一言も言えない、やらなきゃいけないことも何もできない、ずっと逃げ続けている、こんな自分を愛してくれる人がいること、ものすごく胸が苦しくなる。
人が好きで嫌い、興味ないのか興味ないふりをしているのかも分からない。
私は自分のことがほんとうに分からない。「自分と向き合いなよ」最近よく言われる言葉だ。
私もそう思う。でもなぜだか逃げてしまう。何か分からない恐怖に怯え、気づくことを恐れ、手を差し伸べてくれるひとたちさえ鬱陶しいと思い今日も自己嫌悪に浸る。

だけどこの数日間で少しだけ変わったことがある。今まで私の芯の弱さに触れて来なかったひとたちが踏み込んできた。すごく嫌だった。でも同時に安堵なのか気持ち悪い感情になった。私は私の中から出られないから、踏み込まれるのが怖くてしかたがない。私をここから出してくれるのか、それとも希望だけ与えて手をはなすのか。共に沈んでくれる覚悟はあるのか。
手を離されるのが怖くて、私はその手を握れない。一生懸命に人差し指だけだして、どうにか引っ張ってもらおうとしてる。心底ずるいと思う。自分は全力でその手を掴みに行く気はない。ここが私にとって胸が裂けるほど苦しくて心地のいい場所なのかもしれない。

センチメンタルな気分が好きとかそういうんじゃない。むしろそんな感情だるいと思ってる。つくづく感情を出すのが苦手で嫌になる。

けど私の大切な友人は受け止めてくれた。のかな?野暮でありきたりな言葉はかけずに、ただ抱きしめてくれた。私はそれだけで救われた。なんかどうでもよくなった。酔っ払ってるのもあるけどただひたすらに「ごめんね」と謝っていた気がする。ごめんねと謝ることしかできない私に胸をかしてくれた。ワンワン子どもみたいに泣きじゃくる私に。

テーブルに置かれていた、友人が好きなバニラの甘い香りに包まれながら、あったことを思い出して考えならただ書き出してみてる。考えることも嫌いな私に、考える機会をくれた大好きな友人。考えても分からないことばかりの世の中で、考えることの苦しさ、嬉しさ、感情、言葉にすること、色んなことを教えてくれた。

私にとっての助け舟は何を言うわけでもない、ただ私の気持ちを知って欲しい、聞いて欲しいだけだったのかもしれない。ぐちゃぐちゃになりながら伝えることも苦しくて楽だった。
年々涙もろくなってきてしまっているのは歳のせいなのか、感情を溜めすぎたせいなのか。こうやって文章を綴っていると、まとまりはしないものの、整理はできるきがする。まだ気がするだけど。
拙いなりに、書きながら何回も読み直してみる。やっぱり誤字はあるし、表現も変だ。なぞの心配性も発揮してる。

それでもこうやってつらつらと書くことができた。意外と思ってることってあるんだなと。
まだたくさん書きたいけど、もう今日はやめる。

予防線を張らせて、またいつか。

2024.4.10


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